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読むダイエット 高橋源一郎

第7回 肉か、野菜か、それが問題だ……

更新日:2020/12/23

肉よ、去れ!

 さあ、みなさん。ここからは心して読んでいただきたい。子どもたちはもう寝ているだろうか。起きて、いきなり、わたしが引用している文章を読んでショックを受けるようなことがあってはいけません。

『もう肉も卵も牛乳もいらない!』(エリック・マーカス著・酒井泰介訳、早川書房)はサブタイトルに「完全菜食主義『ヴィーガニズム』のすすめ」とつけてある。
 なんというか、ベジタリアンという党派の中の原理主義派、あるいは、ウルトラ左派と考えると、わかりやすいかもしれない。「もう肉も卵も牛乳もいらない!」とタイトルから気合が入っている。

「目覚めの時がやってきた」

 これが冒頭の一文である。とても、ダイエットの本とは思えない文章だ。覚悟して読まないと怒られそう。最初のパートは、肉食が如何に危険であるかについての熱弁である。

「『アメリカ人の半数が心臓病になるのも、まったく不思議はありません』研究者で臨床家でもあるディーン・オーニッシュ博士は言う。『典型的な米国式食事で、危険にさらされない人はいないのです』
 豊かさの象徴だった食事の正体は人殺しだった。脂肪たっぷりの動物性食品は、心臓病による死の最大の原因である」
「米国人のほぼ二人に一人は心臓病で命を落とす。(中略)
 しかし、動物性食品を最小限しか含まない低脂肪な食事が通常の国では、心臓病はずっと少ない。低脂肪の植物性食品中心の食事は、血中コレステロール濃度を低く保つのである」
「(前略)心臓病研究の権威ウィリアム・ロバーツは、心臓病の最大のリスク要因は、生涯にわたって血中コレステロール値が一五〇を超え続けること、としている(コレステロールはデシリットル当たりのミリグラム数で測られる。心臓病のハイリスク・グループの人々のコレステロール値は三〇〇を超えることがある。米国のヴィーガンの平均コレステロール値は、一二八である)」

 ふう……。どうしよう、今日、ゆで卵を二つも食べてしまった……あと、コンビニで買ったサラダチキンも……。そういうわけで、マーカスさんは、数値も適当なティルストンさんとは異なり、数値! 数値! 数値主義である。
 問題となるのは、心臓病だけではない。続いては、ガンが登場する。

エリック・マーカス『もう肉も卵も牛乳もいらない! 完全菜食主義「ヴィーガニズム」のすすめ』 酒井泰介(訳) 早川書房

「果物、野菜、穀物、そして豆類による低脂肪な食事がさまざまなガンを防げるという科学的な証拠は枚挙にいとまがない。専門家らは今や、ヴェジタリアン食、特にヴィーガン食に切り換えることで、アメリカ人はガンの危険を半減できると言う」
「すべてのガンの中で、結腸ガンは食品選択への関わりがもっとも深い。米国のキリスト教の一派である安息日再臨派は、国民平均よりも四〇%も結腸ガンが少ない。安息日再臨派の約半分は肉を食べないので、研究者は彼らの間で結腸ガンが少ない主因は食事かもしれないと考えている」
「(前略)乳ガンに関わる四つの食品カテゴリーが洗い出された。肉、赤身肉、飽和脂肪、そして総脂肪である。なかでも赤身肉の関連がもっとも深かった」
「果物の摂取と前立腺ガンのリスクの間にはつながりが見いだせなかったが、野菜の影響は大きかった。野菜を日に少なくとも三盛り食べる人は、日に一盛りも食べない人に較べて、前立腺ガンのリスクが四八%も低かったのである」
「肉を常食する人々は、発ガン率が高い。《ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル》に発表された成人六〇〇〇人を対象としたある大がかりな調査では、肉を食べる人はヴェジタリアンの二倍もガンで死ぬ確率が高いとされている。食事以外のライフスタイル要因を調整しても、やはりヴェジタリアンがガンで死ぬ率は肉を食べる人よりも四〇%も低い」
「一九九六年後半に発表された米国ガン研究学会の栄養ガイドラインは、次のように始まっている。『子供のころから老年に至るまでのどの時期であれ、健康的な食事と運動を取り入れることは健康を増進し、ガンのリスクを減らす』。(中略)推奨されているのは『肉類、特に脂肪分の多いそれの消費を控えること』である。さらに、(中略)『豆類、穀物、野菜の割合を増やせば、食事を動物性中心から植物性中心にできる』」
「(前略)このガイドラインの草稿を書いた公衆衛生修士でもあるマリオン・ネッスル博士(中略)の答えは、『ヴェジタリアンとヴィーガンのガンのリスクは、それ以外の人々に較べて三分の一から半分』というものだった」

 そうなんだろうと思う。たぶん、この人たちのいっていることは正しいのだろう。でも、なんというか、糾弾されているような、なにかの説明会だと思って入ってみたら、食器の販売をやっていて、買うまでなかなか帰してもらえないときのような気がするのは、もちろん、わたしに後ろめたいところがあるからだ。たぶん、これほど詳しい数値ではないが、その多くは、どこかで聞いて、でもまあいいか、と思っていたことばかりなのかもしれない。でも、なんか、つらい。いや、ここでつらいといっているようでは、この先を読むことはできないのである。
 なぜなら、この本の、というか、ヴィーガンな(「ベジタブルな」の最上級と考えていただきたい)本にとって、もっとも重要なパート、「家畜たちの真実」が控えているからである。

 まず、ニワトリさん。

「現代的な養鶏施設では、一〇万羽もの鶏を詰め込んだ鶏舎を、一人か二人の係員で管理する場合さえある。係員の仕事は自動給餌装置と採卵装置が滞りなく働くかどうかを監視し、死んだ鶏を檻から取り除くことだ」
「では、二億羽の雄のひよこはどうなるのか? 卵の殻を突き破って出てきて、外の世界のまぶしさに黄色い声を上げながら瞬きをしている間に、捨てられるか挽肉にされるのである。
 この性別鑑定は孵化場で行なわれる。(中略)雄は全部捨てられる」
「より手軽で広く用いられている手法は、ひよこをプラスチックのゴミバケツに投げ込んでいくやり方で、ひよこはのしかかる他のひよこの重さで徐々に潰れて死んでいく」
「処分されたひよこのもっとも一般的な用途は肥料にすることで、このためにはミンチにする必要がある。しかし孵化場によっては、雄のひよこの身体を利用する前に、殺す手間さえ取らない。ひよこを雄と鑑定すると、生きたままグラインダーに投げ込む孵化場もある」
「今日、レイヤー雌鶏の九八%は生涯の大半においてケージに入れられており、業界の専門家はこれからこの比率はさらに高まると予測している。レイヤー雌鶏はふつう五羽ごとにケージに入れられ、ケージ一つの床面積はタイプ用紙(A4用紙に近い)二枚分もない」
「(前略)卵を産み始めて最初の二年のうちに、採卵効率は落ち、たいていの雌鶏は『使用済み』と見なされる。その雌鶏たちはまだ幾らかの卵を産むが、ケージを空けて新しい鶏たちにすっかり入れ替えた方が安上がりなのである。鶏舎の鶏たちはひとまとめに食肉処理場に送られる」
「『使用済み』の雌鶏の肉は人間の食べ物としてはほとんど用無しなので、しばしば動物用の餌に加工される。ある会社では、『ジェット・プロ・システム』なるものを売り込んでいる。このシステムでは解体場さえ必要ない。鶏舎に出張し、その場で『使用済み』の鶏たちを他の鶏の餌に挽いてしまうのである」

 次は豚さんなんですが……すいません。ちょっと、一杯呑んでいいですか……だんだん書くのがつらくなってきちゃって……じゃあ、書くなよ、ってことなんだけど、そうもいかないし……たまには呑みながら書いてもいいですよね……ツマミはトリの燻製……なわけがありません……もちろん、ミックスナッツ!

「(前略)豚は敷き藁も無しに固い床に寝る。(中略)コンクリートの上に寝ることは不快なだけではない。時間が経つうちに、深刻な健康被害が出る。関節の腫れ、皮膚の摩耗、そして脚部の深刻な擦過傷や病菌感染などだ。これは豚のストレスを増し、喧嘩や共食いの発生率を高める」
「(前略)最近の調査では、七一%が肺炎を起こしていた。これほど高率の呼吸器疾患の原因は、豚たちが四六時中耐えている空気の質のためかもしれない。養豚場に足を踏み入れた人は、反射的に息を殺し、鼻から空気を吸い込むまいとする」
「豚舎の中の空気はあまりにもよどんでいるため、場所によってはガス、埃、そして汚物が雲のようにエア・ポケットをつくっている」
「生後間もなく、作業員は赤ちゃん豚の耳に識別用の切れ目を入れる。麻酔は用いられない。ケンカによる怪我を防ぐために牙も抜かれるが、この際も麻酔は使われない。雄豚は去勢されるが、これも麻酔なしだ」
「豚は、できるだけ狭いスペースで飼育される。若い一一〇キログラムの豚一頭に対して、〇・八平方メートルのスペースが推奨されている」
「現代の養豚家は、豚たちができるだけ動かないことを望んでいる。豚が動きまわれば、高価な餌が身になる代わりに運動エネルギーとして消費されてしまうからである。(中略)研究では子豚一頭あたりの面積を、〇・二二平方メートルから〇・一四平方メートルへと減らすことで、餌代を一〇%削ることができた」
「生後六カ月で、豚は食肉処理場行きになる。(中略)すべての豚を生きて食肉処理場に届けることが最優先されるわけではない。輸送費を抑え込むには、二、三頭の豚の死は、仕方がないのである」……。

 ……牛さん……です。

「(前略)今日の乳牛はほとんど休みなく妊娠させられ続ける。出産後、次の種付けまでわずか二、三カ月しか休ませてもらえない。米国の乳牛は平均して一三カ月ごとに一頭の子牛を産んでいる。こうして絶え間なく妊娠させられ続ければ酪農家が手に入れる乳の量は増えるが、当の牛には大変な危険が伴う。病死した牛の五頭に一頭は、妊娠合併症が死因である。
 絶え間ない妊娠とかつてない産乳量のため、今日の乳牛は深刻な疾病の間際にいる。毎年、病気による衰弱で立てなくなる牛は数万頭に及ぶ。衰弱して倒れた牛はダウンド・カウ(もしくはダウナー)と呼ばれて殺される。治療を施しても経費がかかるばかりだからだ」
「鶏卵業界と同様に、ここでも生まれた牛の半分は、要らない雄である(中略)酪農業界ではヴィール(食肉用子牛)産業に売る」
「ヴィール牛は、あらゆる牛の中で、もっともひどい扱いを受けている。子牛は産後すぐに殺されなければ、高価な『ミルク育ちのヴィール』になる。(中略)肉の柔らかさという値打ちを保つため、子牛は筋肉を発達させないよう普通に動くことすら許されない。そのため、肩幅よりわずかに広い程度の木枠の中に鎖でつながれる」
「ヴィール牛は生後一六週間で木枠から出される。生まれてすぐに木枠に押し込められてから、初めて解放される瞬間だ。そしてそのままトラックに乗せられ、食肉処理場へと運ばれる」
「ケージに押し込められた鶏はヒステリーになり、豚たちは狭すぎる飼育場で激しく抵抗するが、ヴィール牛の反応はまったく違う。立ち並ぶ木枠に押し込められた子牛たちは、恐れても怒ってもおらず、ただしょげかえっているだけに見える。木枠の中で立ったまま、運動もせずに日々無気力になっていき、困惑と悲しみに耐えているように見えるのだ」

 ……どうだろうか。みなさんは、もう金輪際、肉を食べないと思ったであろうか。本書の冒頭、「訳者よりおことわり」にあるように、ここに書かれているのは、どれも「アメリカの畜産」だ。日本とはだいぶ異なっているのだろう。そう、自分を慰めてみても、やはり心のもやもやは晴れないのである。おそらく、根本的なところでは変わらないような気がするからだ。動物たちが置かれた、このような現状については、さすがに「肉食」派の面々も、よろしくないと考えている。どうにかして、彼らの環境を改善すべきである、と考えてもいる。それは、食べられる動物ばかりではないことは、みなさんもご存じの通りである。この動物に関する倫理の問題については、「動物の権利運動のバイブル」といわれた、ピーター・シンガーの『動物の解放』に詳しい。さすがのわたしも、これらを読んだ次の日に、焼き肉屋に行く勇気はない。
 だが、である。それでも、わたしは、3日後くらいには肉を食べると思うのである。あるいは、人間は、肉を食べた方がいいのではないか、と考えているのである。いや、食べたくない人は、食べなくてもいいんですよ。
 それは、『肉食の哲学』の著者、ドミニク・レステルさんが、本の中で、悲しげにいったように、わたしたち人間は、自分が動物であることを忘れてはいけないように思うからだ。すべての動物のトップと自称したって、わたしたち自身が動物であることに変わりはない。生きものは、別の生きものの命を奪って、生きてゆく。葉緑体を持っていて光合成できる植物ではない生きものは、みんなそうだ。元の形象がなにだったかわからない合成の産物を食べるより、元が生きものだったことがわかるものを食べる方が、わたしたちのメンタルを健全に保つことができるのではないか。なんだか、そんなことを、わたしは考えてしまうのである。
 ダイエットや食事から、ずいぶん遠くまで来てしまったような気がする。けれども、食事は、わたしたち人間にとって、生命活動そのものなのだ。いくら考えても、考えすぎということはない。食べることそのものが、わたしたち人間に深い叡知をもたらすことだってあるのだ。おそらく、このとき、わたしたちは「精神のダイエット」とでもいうべき新たな課題に直面するのである。

※店舗情報は、すべて2020年12月現在のものです。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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