読み物
第6回 グルメ小説家の悲劇
更新日:2020/08/26
グルメが見つけたコンビニというユートピア
「グルメ」といえば、アンジャッシュの渡部建……ではなく、かつて「グルメ」について書かれたものといえば、檀一雄の『檀流クッキング』(これは、どっちかというと作る方だが)、池波正太郎の『食卓の情景』や、北大路魯山人の『料理王国』、開高健の『最後の晩餐』や『ロマネ・コンティ・一九三五年』といった、優れた作家たちが、自らどこかへおもむいて時には料理をして、美食の粋をきわめようというものだった。だが、誰もが、どこへでも食べに行けるようになり、『ミシュランガイド』のようなものができて、グルメに関して作家の需要はなくなっていった。「文章」を味わうという、「文」のグルメの習慣もなくなったのである。
その代わりに登場したのが、マンガ家たちだった。たとえば、『美味しんぼ』(雁屋哲原作・花咲アキラ作画)は日本中を歩いて、食材と料理を探求しつづけるし、『孤独のグルメ』(久住昌之原作・谷口ジロー作画)は、そこらのふつうの飲食店に入って、ふつうのメニューを注文する。でも、どんなところにも美味しいものはあるのだ。あるいは、『クッキングパパ』(うえやまとち)や『きのう何食べた?』(よしながふみ)では、ただひたすら、主に家の中で、美味しい料理をつくりつづける(どちらも、通常、料理を担当する「専業主婦」ではない人物が担当しているところがおもしろい)。どのマンガにもちゃんとしたレシピがついている。役立つ上におもしろい。よく考えてみると、お話よりも料理の方がメインのマンガたちなのである。しかし、それでも、「礼節」は保たれていた。それは、「コンビニは利用しない」という最後の一線だったのである。料理屋に行くのはいい、そこでは「料理」という手続きが存在しているのだから。だが、「コンビニ」はダメだ。あそこでは、大量生産の完成品しか置いておらず、この世でもっとも「グルメ」から遠い場所なのだから。そう思われていたのである。
だが、ついに、「グルメ」が「コンビニ」に登場する日がやって来たのである。
坂戸佐兵衛(原作)旅井とり(作画)
『めしばな刑事タチバナ』(1)
徳間書店
おそらく、その嚆矢は、9年前に誕生して以来、「週刊アサヒ芸能」の人気連載(わたしも楽しみにしている)となった『めしばな刑事(デカ)タチバナ』(坂戸佐兵衛原作・旅井とり作画)だろう。このマンガ、「刑事もの」なのに、場面はほとんど取調べ室と、刑事や警官たちがたむろしている控室で、なにをしているかというと、彼らが愛する「B級・C級グルメ」について熱くうんちくを語っているだけ! それだけで、連載9年、単行本が38巻というからすごい。っていうか、それをぜんぶ読んでるわたしもすごいが……。
記念すべき第1回は「名代 富士そば」の珍奇メニュー「カレーかつ丼」、そして、日本中にあるいわゆる「B級・C級グルメ」やファーストフードの店をのきなみ攻略してゆく。では、この『めしばな刑事』が、いつコンビニにたどり着いたのか。わたしの知る限り、第3巻の「パンの妖精」で登場する「ランチパック」が最初のようだ。主人公のタチバナは、実は「山崎製パンの『ランチパック』」が苦手だ、と告白する。なぜなら、「ランチパック」には「パンの耳」がなく、それは主人公のタチバナたちおじさんにとって「世の中には不要なものを安易にリストラ」されることを想像させるからだ……って、そこかい! しかし、タチバナは決意して、「ランチパック」に手を伸ばす。ちみなに、「ランチパック」の誕生は1984年(ジョージ・オーウェル!)、この単行本の段階で、それまでに生産された種類は800を超えていたのである。もはや伝統。ちなみに不動の一番人気は「ピーナッツ」。勇気を出した、タチバナは「ランチパック」を買い、そして食べる。うまいじゃないか、「ツナマヨネーズ」……(ちなみに、わたしは「メンチカツ」党だ)。その後、コンビニで売っているさまざまなカレーを吟味することを経て、第4巻で、タチバナが給湯室の冷凍庫に隠していた「『ガリガリ君』梨味」(もちろん赤城乳業です)が行方不明になり、その犯人探しの過程で熱く語られるアイスの物語(そんなひまがあったら犯人探せよ)あたりで、本格的にコンビニ製品が取り上げられるようになった。若者から中年が「ガリガリ君」なら、もっと高年齢層は、森永の「みぞれバー」や、カップの「みぞれ」や「赤城しぐれ」を懐かしみ、そして、膨大なアイスの物語の森の奥へと分け入ってゆく。これは、わたしたちが読んできた、どんな「グルメ」の物語にもない語り方だったのである。それは、コンビニが「グルメ」の世界に入りこんできた歴史的瞬間でもあった。そして、これ以上、コンビニ食品について語りうる作品などもう出ないのではないか、という杞憂をはねのけ、究極の作品が現れた。もちろん、『コンビニお嬢さま』(松本明澄)であった。
コンビニ・ワンダーランド
「京都のとある高校」「いろは女学園の2年生兎月翠里(うづきみどり)」は「頭脳明晰・文武両道」、「お人形さんのよう」に美しく、周りの生徒たちは「どうすればあんな素敵な方になれるのかしら」とためいきをつく。そんな「翠里」には、大きな秘密があったのです……そう。「良家の子女」である「翠里」は、もちろん家から「買い食い」など禁止されています。けれど、どうしても、「翠里」はつい「コンビニ」に寄ってしまうのだった……。というわけで、お腹が空いた「翠里」は、学校の帰り、肉まんを買ってしまう。そして、食べる……だけでは、マンガになりません。これが、『めしばな刑事タチバナ』なら、どのコンビニにどんな肉まんがあるのか、という方向に向かうのだが、『コンビニお嬢さま』はちがう。なんと、コンビニで買った肉まんを「料理する」のである! なぜなら、「美味しいものをさらに美味しく」することが「翠里」の生き方なのだから……。
というわけで、まず、「翠里」は着物に着替える(良家のお嬢さんで、しかも、ようやく、女子寮での一人暮らしを許されたという設定である)。戦闘服だ。そして、冷蔵庫の残り物の野菜(聖護院カブと丹波しめじ)を切り、だし・しょう油・みりん・酒(アミノ酸の多い純米酒)で煮て、火が通ったら水溶き片栗粉を入れ、素早く混ぜトロトロに……さらに、コンビニで買ってきた肉まんにごま油を塗り、(骨董市で買ったミニ)七輪で炙る! 炙った肉まんを器に移し、先ほどのアツアツトロトロをかけたら、ごまと焼きのりを添えて、「あんかけ肉まん」の完成! そして、「翠里」は思わず口走るのだ。
「ファーストインパクトはまるでスープパンのよう。少し甘みのあるふかふかモチモチの皮に出汁が染みてまるで……ぜいたくな巨大小籠包!」
まるで開高健かワインの帝王ロバート・パーカーの表現のようだ。しかも材料費は両御大の千分の一!
その後も、「翠里」は、アメリカンドッグに独自の「梅ペースト」や「田楽みそ」をつけ、「シュークリームディップ」につけこんだり、「ビーフジャーキー」とカップ麺を合わせて「ビーフコンソメ味麺」を発見する。いや、なんだか、カロリー高そう? ご心配なく。「翠里」はちゃんとわかっている。
「大丈夫! コンビニはダイエットの味方でもあるのです!」
そうだ、その通り!
松本明澄『コンビニお嬢さま』(1)
講談社
というわけで、一つだけ「コンビニによるコンビニのためのダイエットメニュー」をご紹介しよう。用意するのは「裂けるチーズ」(意外と低カロリー)、「春雨ヌードル」(適度な炭水化物はダイエットの味方……だそうです)、「サラダチキン」(低脂肪、高たんぱく)。これをもとに、「トムヤムクン」と言いたいところだが、チキンなので「トムヤムガイ」を作ります。
まずは、「シトラスレモン風味のサラダチキン」を裂いて、「袋に溜まったスープ」も一緒に入れます。次に「裂けるチーズ」を裂いて入れる。それからタバスコを入れ、あとはふつうにお湯を入れるだけで、「コンビニ・トムヤムガイ」の完成。「裂けるチーズ」で腹持ちアップ、タバスコには脂肪燃焼効果、サラダチキンにはたんぱく質。味は「美味ですわー!」
どうだろうか。「コンビニ」は、もはや、仕方なく利用する場所、ほんとうは、ちゃんと買い物をしたいのに時間がないから、とりあえず買って、ただ食べるだけのものを置いてあるところではない。「コンビニ」は、いつしか我々にとって不可欠の存在になっていた。だとするなら、「コンビニ」で売っているものを食材とした料理こそ、『コンビニお嬢さま』のレシピこそ、喫緊に必要なものなのかもしれないのである。
グルメもレシピも、「健康法」や「ダイエット法」も時代によって変わってゆく。その代表的な例を、最後に紹介しよう。涙なくしては読めない……グルメ小説家の悲劇を。
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。