
第5回
「歩く」を見つめると、自分がみえてくる
更新日:2026/10/14
今日も仕事場まで歩いてきました。
このところ雨が降ったりやんだりのぐずついた天気が続いていて、今日も昨日と、一昨日と、なんならその前日と、ほとんど変わらない天気です。しかし、似たようであってもやっぱり、昨日とも一昨日とも、今日の天気は違っています。同じように、私の歩いているときの足取りや気分も違います。
今日でいうと、天気は曇り。昨日より蒸していて不快。湿ったままの靴がひじょうに不快。足が重く、姿勢よく歩くのを諦めました。ダラダラと歩を進めながら、仕事場に着いたら書くつもりのこの原稿のことを考えたり、その前に郵便局に寄るんだったと思い出したり、すれ違った人が手に持っているあの弁当はどこのだろうと思ったりしました。
昨日は雨が降っていて、傘の向きに細心の注意を払って狭い歩道を歩いていましたが、前方から来た人が私の予測とは逆サイドによけたので濡れた傘が当たり、ハッとしたのと同時に顔をしかめました。その前から家のことで少しイライラしていたからかもしれません。一昨日は覚えていませんが、おそらく別のことを感じていたでしょう。
だいたい歩きはじめは、何気なくスケジュールや原稿の内容などを頭のなかで整理することが多いのですが、そのうちに不思議と色々考えているわりにリラックスしていると感じることがあります。頭のなかを回転している内容とは関係なく、鼻歌や独り言が繰り出されることがあったり、風や光を見て微笑んだり、大きくを息を吸って吐いてみたり……それがごく自然に自分から出てきて、意識と無意識の間にいるような感じ。パタパタと止めどもなく回転していく画像や考えや思い付きをあえて止めることなく頭の赴くままに。そうしているといつの間にか、ボーッと「空白」の何も考えていないカードがルーレットに加わってくる。私はこれが歩く効能だと思っていて、運動になる以上にこれを求めて歩いている節があります。
「空白」を発見したのは登山をしているとき。
誰もが想像するとおり、登山は山道を「歩く」ことです。目的地まで1時間かかることもあれば8時間以上かかることもあり、歩くほかにすることもありません。ときに重い荷物を背負っていることもあれば、足元が悪いこともあり、とうぜん疲れます。ですが、上に書いたような効能を得られやすい。考えたいことを好きなだけ考え、挙句考えることがなくなる。そんな言い方が分かりやすいでしょうか。
私は常に頭を忙しく使っていて、考えることがない「空白」が訪れにくいタイプです。だから一度あの「空白」を味わってしまうと、あの時間の必要性を感じずにはいられません。肉体的には疲れているのに、シンから休まっている感じ……。それを街で、日常で、登山時のように味わうのは無理に等しいのですが、歩いているときは似たような感覚を得られることがあります。ただし、ちょっとコンビニに行く程度の時間ではなく、私だと最低でも30分以上は歩き続けないと「空白」はやってきません。それはやっぱり、「考え尽くした挙句」じゃないとダメな気がしていて、考えることがなくなって、ようやく「休息」が訪れるのでしょうね。
でも逆に、普段“好きなだけ考えられる時間”というのも、あまりないのではないでしょうか?
なにかゆっくり考えようとしてもタスクや他人の介入で中断されて、同じ内容を心ゆくまで考えられないなんてこと、よくありますよね。それができない理由には年齢的なこともあります。中年になると集中力が続かなくなるのはデフォルト、短期記憶(いま言ったことや聞いたことなどを覚える)力も衰えるのでパッと思い浮かんでは消え、別のことがカットインしてきては消え、やがて何を考えていたか頭のどこにも残っていないというサスペンス劇場。だから「絵に描いたオバサン像」のように、物事に無頓着になったり、自己中心的に人から思われたりするようになると思うのですが、まだ自分のために、家族や友人のために、社会のために、考えたいと思っているんですけどね。切ないですね。
ちなみに私は「なにも欲しいものがなくなる」という心の変化で更年期だと気づいたのですが、「欲しいものがない」=「(欲しいものが)考えられない」だとはいえ、「空白」とはまったく違うものでした。
そのころは歩いていても、最初から放送終了後のテレビにかつて映っていた砂嵐やカラーバーを眺めているような、主人公のいない環境映像をみているような、なにも考えていないけど、休まってはいない……そんな感覚でした。それが何年もかけてここのところ徐々にほどけていき、いい考えを思いついて胸がキャッと弾んだり、知りたい調べたいと思うことが増えてきました。どんな内容でも、歩いているときに考えを巡らせるようになったというのは、私にとって安堵以外のなにものでもありません。
そんな自分の調子を私は「歩く時間」に診てきました。
私だけかもしれませんが「考える」ことと「空白」は表裏一体、セットでないと機能しないので、「考える時間」も重要な休むための要素です。ただ、比率としては圧倒的に「考える時間」が多いため、日々の「歩く時間」を有効活用しているというわけ。それは流行りの「タイパ」の面からだけではありません。歩く時間は「ひとりきりになれる」時間でもあるのです。
実は「歩く」と「考える」はとても相性がよく、脳科学の分野でも研究されています。
まず、歩くと血流がよくなり脳が活性化して集中力が上がります。そこに、一定のリズムの反復運動がリラックス効果をもたらし、頭はクリアで冴えているのに体の緊張感は和らぐという、なにか考え事をするにも、創作するにも最適な状態になるのだそうです。
「散歩中に曲が降ってきた」なんていうミュージシャンの話を聞いたことはないでしょうか。私も原稿書きが煮詰まったときに、帰り道で突然いいワードが浮かんで打破できたことが何度かあります。間違いなく、登山でも同じことが起きていると思います。
そのほかにも、歩くと自律神経が整うだとか、幸福ホルモンの「セロトニン」が分泌されるだとか、更年期世代なら喉から両手を出したいくらい欲しい効能ばかり。それがなんと「無料」で、思い立ったらすぐにできる「歩く」という行為で手に入るのですから、やはり基本にして最強の運動です。
姿勢改善を目指した歩き方は前回ご紹介しましたが、これらのメンタル寄りの効能を高めるために、プラスしてほしいポイントがあるのでご紹介します。

補足しますと、そろりそろり、ペタペタ、ズリズリと歩いても一定のリズムは刻めますが、できれば前回紹介した「カカトからポン」と着地させると、足音がからだに響く感覚がより得られます。カカトへの刺激は骨を作る骨芽細胞を活性化して「骨粗鬆(こつそしょう)症」の予防にもなります。音楽を聞きながらリズムに乗って歩くのもいいと思いますよ。
効果を高めるため「早足」がいいといわれていますが、我々はいつもより「やや早足」であれば大丈夫です。はじめから飛ばすと、心拍数が上がり過ぎて心臓に負担がかかったり、足がもつれて転倒したり、足をひねったくらいのことでも長患いしてしまう原因を作りかねません。意識して歩くことを続けているうちに「歩く筋肉」がついてくれば自ずとスピードは上がってきます。
参考に「歩幅」も調べてみました。「身長(㎝)×0.37~0.45」にするのが一般的のようです。(出典 オムロンhttps://www.faq.healthcare.omron.co.jp/faq/show/4195?site_domain=jp)
身長155cmの私が意識せず歩いてみると「約55cm」でした。最低値の0.37をかけても「57.35cm」なので、年齢や性別などで差があるとは思いますが、やや狭めだといえるでしょう。試しに最高値の0.45をかけた「69.75cm」で歩いてみると、もはや跳んで歩いているくらい不自然……。しかしながら「運動」としてウォーキングするなら、これぐらいしないとってこと……? と、絶句しているところですが、「早足」同様、数字はあくまで目安として、最初は「やや大股」を心がければいいのかなと思います。中年はなによりケガがこわいですからね。
ちなみに横断歩道は45cmおきに45cm幅の白線が引かれています。次に横断歩道を渡るときに、ちょっと意識してみてはいかがでしょうか。
私のように連日歩いていると、定期的に「歩く」行為に飽きてつまらなくなることがあります。そんなときは「線の上を歩く『ワニワニゲーム』」です。小学生のころ通学路でやったことありませんか? 路上の白線や、植え込みなどの境界ブロックの上を平均台に見立てて、落ちたらワニがいるからアウト! みたいなやつ。あれをですね、そうとはバレないように、平然とした態度で、線が途切れるまで渡り切るゲームです。日によってはグラグラで、3歩も進めないなんてこともあるのですが、大丈夫、落ちてもワニはいませんからね。あんまり頑張ると「ワニワニゲーム」している痛いオトナになっちゃいますしね。でも実はこれ、体幹を鍛えるのに一役買っています。やってみてください、けっこう難しいですから。レンガ調や幾何学的にタイルが敷かれている歩道があればワニワニチャンスです。
「道順を変える」もおすすめです。私は大きく4パターンの通勤路を持っていて、その日の気分によって変えています。なるべく行きと帰りを同じにしないようにもしています。それぞれのパターンで1分にも満たない近道をいまだに模索しています。道がちょっと違うだけでも景色が変わり、時に素敵なお店なんかを見つけて得した気分になることもあれば、明らかに違う角で曲がって、あえて迷子になってみることも。いつもの道では得られない少々の緊張感があるのもたまにはいいものです。こうしたことが脳への刺激になり、認知機能低下の防止にもなるそうですよ。
こうして私は、何気なくできてしまう「歩く」という行為を、運動としてだけでなく、気分や体調のバロメーターにして自分を観察しています。そのなかで、たまに訪れる「空白」を気長に待っています。
手軽でありながら続けると深いので、「歩きスマホ」せずにご自身を内観するような時間にしてみてはいかがでしょうか。
次回は、からだづくりの源、私の「食生活」について書いていこうと思います。

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- 著者プロフィール
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鈴木みき(すずき・みき)
1972年東京生まれ。イラストレーター、執筆家、防災士、ウィメンズヘルスアドバイザーⓇ。24歳のときに訪れたカナダで山旅の魅力にはまり、帰国後に自ら登山専門誌の取材同行モデルに応募し本格的に登山をはじめる。山小屋やスキー場のアルバイトをしながら、全国の山に取材に出かけイラストや山行記を雑誌に寄稿。コミックエッセイ『悩んだときは山に行け!』(平凡社、2009年)以降、山に関する著書を多数出版。近著に『キャンプ気分ではじめる おうち防災チャレンジBOOK』(エクスナレッジ、2023年)、『知っている山からはじめよう! 大人の日帰り登山』(講談社、2024年)、『更年期の歩き方――アラフィフ山女子、不調と向き合う』(講談社、2026年)。国内外での登山ツアーの企画同行、講演、メディア出演なども行っている。
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