ミクソヴァース—変形菌たちの世界—より 増井真那

第4回

それは平和な世界

更新日:2024/05/22

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生きているのだから、「生き方」だってある
 変形菌のような生きものは侮られやすく、なーんにも考えていない、生き方も倫理もなにもないように見られがちです。確かに、私たち人間が頭で考えるようなそれとは明らかに異なりますが、変形菌には変形菌なりの生き方が厳然と存在しています。それは意外に、私たちが見習うべきものかもしれません。
ミクソヴァースは都市のように
 変形菌は、実にさまざまな生きものたちと共に暮らしています。特に植物は変形菌たちが生きる土台のような存在ですし、身のまわりにはアリやトビムシなどさまざまな昆虫、クモ、ワラジムシ、ダニなどの小さな生きものが行き交い、そこにはカビ、キノコもたくさんいます。最も数が多いのは、肉眼では見えないサイズの微生物たち——線虫と呼ばれるウニョウニョな生物や、バクテリア(細菌)など——です。
 変形菌の生きる世界=ミクソヴァースはいつも静かですが、多様な生きものたちから成る大都市のようでもあります。立って見下ろして、地面に這いつくばって、顕微鏡で拡大して——さまざまなスケールで、にぎやかな瞬間を目撃することができるのです。
「この世に敵などいない」という生き方
 複数の変形菌がひとつの場所にいるのはよくあることです。第3回で見てきたように、出会った相手に対して無視、回避、融合のどれが選ばれようとも、ミクソヴァースで繰り広げられている「自己」たちのネットワークに敵対関係はないように思えます。


複数の種の変形菌が共存している様子 できたばかりの赤い子実体(ウツボホコリ)のまわりを黄色い変形体(種は未同定)が動き回っている。相手を無視することで、異種と共存できる。『変形菌ミクソヴァース』より

 変形体に目を凝らすと、からだ中にたくさんの生きものが群がっていることに気づきます。たとえば、線虫たちが頭を突っ込んで変形体を食べているのは日常の光景です。線虫の体は透明なので、黄色い変形体を食べるにつれて、どんどん体の中が黄色くなっていくのでびっくりさせられます。寄ってたかって食べられたら、変形体は弱ったり死んでしまったりしないのか? 心配顔の私をよそに、変形体は逃げもしませんし、相手を攻撃もしません。泰然として元気なままなのです。
「いただきます」
「どうぞ、どうぞ」
 なんて声が聞こえてきそうです。


変形菌アカモジホコリの変形体 1ミリほどのダニが赤い変形体の体をどんどん食べている。それにつれて、ダニの半透明な体が赤く染まっていく。まわりには、このような「赤いダニ」でいっぱいだ。

 無数の胞子を抱えた子実体がトビムシやキノコムシなどの昆虫から襲撃されるのも、変形菌にとってはメリットしかありません。昆虫は、体に付着した胞子の「運び屋」となります。子実体が食べられたとしても、胞子はフンと共に排泄され、やはりどこかで発芽するチャンスをもらえるのです。
 変形菌は切断されたり、壊されたりしても大丈夫ですし、食べられたって平気。
 そんな変形菌たちには敵——避けたり、撃退したり、乗っ取ったりするべき相手——などいないように見えませんか?
「この世に敵などいない」
 こういう生きものこそ強い。そう思います。
人間と変形菌
 私は小さな頃から、いつでもどこでも変形菌を探しています。ミクソヴァースはどこにでも存在し得るので、外を歩くときはいつだってフィールドワークなのです。
 小学生だったある日の私は、家の近所の生垣に何種もの変形菌たちがいることに気づき、「またここに来よう」と上機嫌でした。でも1週間後、目にした光景に愕然とします。生垣はサッパリと刈り込まれ、その下の落ち葉だまりはキレイに掃除されていました。変形菌の姿はもうありません。「死など存在しないかのよう」な変形菌(第1回)といえども、生きる場を失えば、その生は中断され消滅してしまいます。
 似たようなことはよくあります。街路樹や遊歩道の植え込みにはミクソヴァースが散見されるのが常ですが、定期的に清掃が入るので、その度に変形菌たちは消えてしまいます。
 では、人間だけは変形菌に害をなす天敵なのでしょうか?
 人間には環境の破壊者という側面が確かにあります。
 だけど、それだけではない。
 人間が意図せず変形菌を滅ぼすことが少なくない一方で、人間は意図せずに変形菌を育むこともしているのです。たとえば、シイタケ栽培のホダ木が積まれたトタン屋根付きのスペースは、変形菌が生きる上で最高の環境です。ホダ木を引っ張り出すと、たくさんの変形体たちと「こんにちは」です! 家の植木、植木鉢の中。駐車場の切り株。人の世界の中にある人々があまり気にかけない場所は、つまり「そっとしておいてもらえる場所」なので、そこにミクソヴァースが息づく可能性があるのです。
 お互いに侵さない関係、共存的な「無関係」を保つことはできる——私たちが、そのことに気づくなら。私はそう思います。


人のそばにいる変形菌 左は都市の駐車場にある切り株の上にできたススホコリの子実体(未熟)。右は家のそばの排水口にシロジクキモジホコリの子実体を発見した小学生の私。

ミクソヴァースは(けっこう)平和な世界
 変形菌の「自己」は、他の存在と絶妙な距離感を持って生きているように見えます。
 変形菌以外の生きものに対する態度からは、なすがまま、「いいよいいよ」の精神を感じます。異種の変形菌とは争わず無視することで自由に共存します。同種とはゆっくりと情報を交換し、その結果、まれなる「別のワタシ」に出会えたならば「ひとつのワタシ」になったり、「別であるアナタ」とは互いを尊重するかのように棲み分けたりもします(第3回)。
 こうした生き方には、数億年もの間、貫かれ、有効であり続けた「倫理」が込められているとすら思えるのです。
「自己に厳しく、他者に寛容」
 そんな変形菌は、食べられてしまったり、踏んづけられたり、互いが絡み合ってしまったり、いつも大騒ぎ。でも、これでけっこうミクソヴァースは平和なのです。

著者プロフィール

増井真那(ますい・まな)

2001年東京生まれ。変形菌研究者。5歳で変形菌(粘菌)に興味を持ち、6歳から野生の変形菌の飼育を、7歳から研究を始め、9歳から現在まで「変形菌の自他認識」の解明に取り組み、「自己」の理解を目指す。日本学生科学賞内閣総理大臣賞など受賞多数。16歳で『世界は変形菌でいっぱいだ』(朝日出版社)、20歳で『変形菌ミクソヴァース』(集英社)を上梓。17歳で国際学術誌に論文が初掲載された。講演、メディア出演など変形菌の魅力を広める活動にも力を入れる。慶應義塾大学先端生命科学研究所所属。公益財団法人 孫正義育英財団 正財団生。
https://mana.masui.jp

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