ミクソヴァース—変形菌たちの世界—より 増井真那

第1回

変形菌の生きる世界

更新日:2024/02/28

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 今月から始まる新連載のテーマは「変形菌」。2022年、集英社より『変形菌ミクソヴァース』を刊行し、変形菌研究の最前線を走る増井真那さんがみなさんを不思議で美しい世界へ案内します。

変形菌という生きもの
 ネバネバしていて、二度と同じ形にはならず、動き回り、巨大化し、「二つ」が「ひとつ」になったり「ひとつ」が「二つ」になったりし、ある日突然まったく異なる形への変身を遂げ、大空を舞い海をも越える。美しく、たくましく、精緻で、カワイイ仕草を見せてくれる。こんな生きものが私たちのそばにもいます。
 それは「変形菌」。「粘菌」と呼ばれることもあります。この呼び名の方が馴染みのある方が多いかもしれませんね。
目を奪われ、愛さずにはいられない
 変形するから変形菌。この子たちは、自らの形をダイナミックに変えながら生きていきます。わずか数ミリから出発し、ネバネバのからだでゆっくりと這い回り、栄養をとりながら数十センチ、時には1メートルを超える大きさにまで育つ。変形菌のこの段階を「変形体」と呼びます。


変形菌アシナガモジホコリの変形体 幅30センチほどにまで育った。時速約1センチのスピードでゆっくりと動き回る。これで1個体。『変形菌ミクソヴァース』より

 驚くべきことに、変形体はどれほど大きくなり、複雑な形を描こうとも、細胞はただひとつだけ。超巨大な単細胞生物なのです。
 変形体がうねりながら身を広げる様は精妙、優雅で見飽きることがありません。さらにそこには迷いや喜び、時には大慌てで動いたり、「あ、間違えた」と踵を返したり、といった(もちろん科学的な言葉ではないですが)「強い意思や感情のようなもの」を見てとることができます。
 目も口もないし、言葉はおろか鳴き声だってあげず、芸をするわけでもない。でも、変形体に対しては、人がイヌやネコを愛するのと同じような気持ちを持たずにはいられないのです。
 変形体には、さらにすごい特技があります。「二つ」が「ひとつ」になったり「ひとつ」が「二つ」になったりできる。このお話はじっくりお伝えしたいので、次回以降に取っておこうと思います。
変身—未来を得るために
変形体は成長過程で「いまだ!」という時に——それは周囲から見たら突然——無数の「子実体」に変身します。


変形菌アシナガモジホコリの子実体 ひとつの高さが2ミリほど。1匹の変形体が1000以上もの子実体に変身した。『変形菌ミクソヴァース』より

わずか半日ほどで成し遂げられる変身の様子には、生命の爆発のような凄みがあります。


変形菌アシナガモジホコリの変身の様子 ネバネバの変形体が少しずつダマダマになっていき、立ち上がり、子実体へと姿を変える。この間、わずか6時間ほど。

 子実体はもはや動くことはなく、風に揺られ雨粒にさらされながら、少しずつ崩れていきます。すると中から数千、数万、数億の胞子が露出し、こぼれ出てきます。子実体は変形菌の種(しゅ)によって色や形が大きく異なり、標本にして保存できるのでコレクションとして人気があります。でも、動かぬ子実体に意思があるとするならば、それは「美しくありたい」ではなく「壊れたい」であるはずです。内に抱えた胞子たちを世に放つことが子実体の唯一の使命なのですから。人知れず、静かに壊れていくその先には、この変形菌の未来があります。
 だから、爆発的変身の時間と、壊れていく閑寂な時間との対比にこそ美を感じるのです。
変形菌、空を舞う!
 例えば「イタモジホコリ」のように、変形菌の和名には、すべて「ホコリ」が付きます。それは変形菌の胞子がホコリのようだからだとされています。
 直径が0.01ミリほどしかない胞子は風に乗って空中を舞い、すぐそばに落ちることもあれば、高空にまで上昇し大陸間を渡ることすらあると言います。変形菌は「空を飛び移動する」のです。
 胞子たちはどこかに着陸し、そこが好条件であれば中からアメーバが出てきます。このアメーバがオスとメスのように「つながれる相手」を見つけると、やがて変形体となり、また大きく育っていきます。こうして変形菌の生の物語は続いていくのです。
死んでいる瞬間などない?
 この変形菌のライフサイクルを眺めていると、不思議な気持ちになります。
 「死んでいる瞬間がない?」「個体に終わりはないのか?」
 私たち人間は、子を産み落とします。だから親は子や孫と並行して生きることができます。当然のように、その誰もが「別の人(個体)」であると認識されます。同じ世界に別の存在として生きているのですから。
 生命とは世代をつないでいくものであり、変形菌も例外ではありません。それなのになぜ変形菌は特別に見えてしまうのでしょうか。そのカギは「変身」という言葉にあるような気がします。変形菌の変形体は自らの全身を子実体に作り変えてしまいます。それが「変身」と呼ばれるゆえん。変形菌は「次世代を別の存在として産み落とす」のではなく、「自分が次世代になる」のです。子実体となることを「変形菌の死」と捉える人もいます。しかし、子実体の中には胞子ができていて、そこにはすでにアメーバが存在しています。
 死んでいる瞬間などない、とどまらず続く生。私にはそう見えるのです。
ミクソヴァース—変形菌たちの世界—はどこにでも
 人間が気づかないだけで、変形菌たちは実に様々な場所で生を紡いでいます。大自然の中はもちろん、私たちのすぐそば——都会の公園や街路樹、家の植木や生垣など——にも潜んでいます。
 人間とは異なるシステムを携え、異なるものを感じ、異なる生き方(とどまらない生!)をしている。変形菌がたとえ私たちの生活圏にいたとしても、その営みが私たちと交わることはないでしょう。同じ場所、同じ時間であっても、そこには「人間の世界」と異なる別世界があり、変形菌は「変形菌の世界」を生きています。それを私は「ミクソヴァース(myxoverse)」という造語で呼んでいます。5歳の時に麗しきあの子たちに取り憑かれて17年、今日も私はミクソヴァースに分け入るのです。

著者プロフィール

増井真那(ますい・まな)

2001年東京生まれ。変形菌研究者。5歳で変形菌(粘菌)に興味を持ち、6歳から野生の変形菌の飼育を、7歳から研究を始め、9歳から現在まで「変形菌の自他認識」の解明に取り組み、「自己」の理解を目指す。日本学生科学賞内閣総理大臣賞など受賞多数。16歳で『世界は変形菌でいっぱいだ』(朝日出版社)、20歳で『変形菌ミクソヴァース』(集英社)を上梓。17歳で国際学術誌に論文が初掲載された。講演、メディア出演など変形菌の魅力を広める活動にも力を入れる。慶應義塾大学先端生命科学研究所所属。公益財団法人 孫正義育英財団 正財団生。
https://mana.masui.jp

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