ミクソヴァース—変形菌たちの世界—より 増井真那

第3回

「自己」のネットワーク

更新日:2024/04/24

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変形菌は、自己と他者を見分ける
 変形菌が秘める、かっこいいところ!
 第2回でお話ししたように、この子たちには「自己と他者を見分ける力」があります。一見、無表情な生きものが相手を見分け、くっつくか避けるかの行動を決めようというときに見せてくれる複雑な表情と振る舞いはとても魅力的です。生への懸命さ、厳格さ、しなやかさ、したたかさまであるように思えてくるのです。
相手によって、けっこう態度を変える
 変形菌の変形体の自他認識行動は、私以前にはほとんど調べられていませんでした。2匹の変形体が出会う様子を見つめる。しばしば2日がかりで。この繰り返しが1000回を超えて、見えてきたことがあります。
 もともと1匹だった変形体が分かれた2匹なら、出会えばあっさりくっつきます。迷いはありません。


変形菌の変形体が融合する様子 左はイタモジホコリ、右はアカモジホコリ。どちらも2匹は迷いなく融け合い、一体化の証のような太い管を形成する。接触から融合の完了まで、数十分ほどしかかからない。

 でも、同じ種の異なる個体(別々の環境から採取された同種異個体)の場合は様子が違います。じっくり数時間もかけて相手を判別するのです。実はくっつける関係は同種であってもまれで、ほとんどの場合は相手を「くっつけない他者」として避けていきます。争わず悠然と、ときに相手を気遣うように。こうした行動を初めて見たときの衝撃は忘れられません。なんてエレガント!


変形菌イタモジホコリの変形体が回避する様子 別の産地で育ったこの2匹は、出会って接触すると双方とも進む向きを変えてお互いを避けていった。

 異なる種の間ではどうでしょう。これがまた興味深い。同じ種どうしの場合に見せた慎重さ、優雅さ、気遣いのようなものはどこへやら。相手の上に乗っかったり、絡み合ったり、好き放題の果てに通り過ぎていき平然としているのです。一言でいえば「無視」。この発見は、「変形体が持つ自他認識の仕組みは同種内でのみ使われる」こと(自他認識システムの種間特異性)を意味します。


変形菌イタモジホコリ(黄色)とアカモジホコリ(赤色)の変形体が「無視」する様子 2匹は遭遇しても行動を変えず、自由に振る舞った果てに、こんがらがってしまった。この後、何事もなかったかのように2匹はきれいに分かれていった。『変形菌ミクソヴァース』より

自己を発信する
 9歳のある日。私は、変形体が「相手に触れずに相手を判断できる」ことに気づきました。2匹が近づき、相手を窺うように動きを止めてじっとしている。ここまではおなじみの行動です。でも、数時間もそのままでいて、結局相手に接触せずに去っていくことがあるのです。最初は自分の目を疑いましたが、実験の積み上げによって、かなりの割合で非接触での自他認識をすることがわかりました。


変形菌イタモジホコリの変形体の接触型と非接触型の自他認識行動 上段では2匹が接触してから引き下がっている。下段では2匹が0.2ミリまで接近したが、接触しないまま相手を避ける行動をとった。
Mana Masui et al 2018. Allorecognition behavior of slime mold plasmodium—Physarum rigidum slime sheath-mediated self-extension model. J. Phys. D: Appl. Phys. 51 284001. [https://doi.org/10.1088/1361-6463/aac985]. CC BY 3.0 [https://creativecommons.org/licenses/by/3.0/].

 変形菌の変形体には目も耳もありません。接触もしないで、なぜ相手を判別することができるのでしょう。一体、相手の何を見分けている?
 これまでの実験の成果から、ある種のシグナルを感知していることがわかっています。そのシグナルは、変形体が自分自身を包み、環境と自分を隔てている粘液に含まれていることもわかりました。この粘液は体の外に広がるので、変形体はこの粘液に触れることによってシグナルを受信でき、しかも透明なので一見何にも触れていないように見えるのです。
 このシグナル物質が何であるかは、何年もかけて進めている分子解析からもうじきわかるので、私自身とても楽しみなのです。
 変形体たちは環境に対してシグナル=「自分」に関する情報を発信している。それを互いに受け取り、行動を決めている。変形菌は、自己を情報的に拡張、拡散している!
 私たちは、さまざまな形で自分に関する情報やメッセージを環境に拡散しています。それによって私たちは肉体を超えて遍在するかのように振る舞い、互いの情報に基づいて社会的なネットワークを形成(あるいは分断)していると捉えることができます。
 変形菌も自己を発信し、まだ見ぬ「自己」を求めることで、ミクソヴァース(変形菌たちの生きる世界)に、ある種の社会性を与えているように思えるのです。
 そういう意味で、人間と変形菌はとても似ているような気がしてきました。
いくつもの「自己」が交錯する
 ある森に出かけ、そこでひたすら変形体を探したら、7匹のイタモジホコリに出会うことができました。この7匹たちは同じ種ではあっても、やはりくっつく関係は少ない。問題は、そのくっつける関係の生じ方です。現地での個体間の距離がほぼゼロであっても、くっつけない。そうかと思えば、数百メートルも離れた個体間でもくっつける関係が出てきました。
 ひとつの森には「複数の自己」が散在している。ひとつの自己でありながら分かれ、異なる生を歩む子もいれば、出会いを果たし融合して「ワタシたち」が「ワタシ」になる子もいるでしょう。さらに「ワタシたち」とは違う、決して融け合うことのない「別の自己」に出会っても、いがみ合うことも侵すこともなく独立した生を営むでしょう。
 森の中から、複数の自己たちが「他とは違う、自分というもの」を主張する声が聞こえたような気がしました。
「ここには、いくつの自己が生きているのだろう」
 森に立つと、いつも考えます。
変形菌の「自己」を知り尽くしたい
 変形菌の変形体が見せてくれる「自己」のあり方はとてつもなくおもしろく、その様は美しく、またたくさんのことを教えてくれます。変形菌の「自己」を、自己たちが織りなすミクソヴァースを知り尽くしたい。そう考えながら今日も研究を続けています。

著者プロフィール

増井真那(ますい・まな)

2001年東京生まれ。変形菌研究者。5歳で変形菌(粘菌)に興味を持ち、6歳から野生の変形菌の飼育を、7歳から研究を始め、9歳から現在まで「変形菌の自他認識」の解明に取り組み、「自己」の理解を目指す。日本学生科学賞内閣総理大臣賞など受賞多数。16歳で『世界は変形菌でいっぱいだ』(朝日出版社)、20歳で『変形菌ミクソヴァース』(集英社)を上梓。17歳で国際学術誌に論文が初掲載された。講演、メディア出演など変形菌の魅力を広める活動にも力を入れる。慶應義塾大学先端生命科学研究所所属。公益財団法人 孫正義育英財団 正財団生。
https://mana.masui.jp

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