
乗る前に食べるか、降りてから食べるか──道中、きっとお腹が空いて後悔するに違いない、でも、旅の一食をありきたりの物で済ませたくはない。駅弁は、旅人の悩みを首尾よく解決してくれる。それどころか、移動時間そのものを、貴重な旅の一場面として彩ってくれるのだ。発着駅には今、実に多種多様な駅弁の数々が並び、老若男女、洋の東西を問わぬ旅行客を魅了する。その起源はどこにあるのか。日本文化はなぜ、斯様に秀逸なアイディアを生み出すことができたのか。歴史を紐解けば、そこには日本人の世界観、思想が幾重にも隠されていた……。
駅弁の「思想」を解き明かす新たな人類学を中沢新一が綴る。
第5回
海民的駅弁
更新日:2026/10/21
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駅弁のおおもとは幕の内弁当である。この弁当の起源が、日本人が長年続けてきた農耕文化に発していることは、すでにお話ししたとおりである。農家の少女たちによって初春の山里におこなわれた古代の「山入り」の慣行のさいに、山中に持参された弁当あたりが、その起源になっていると言われてきた。そこから桜や躑躅(つつじ)などの花見の習俗が発達して、「花見弁当」へと洗練されていった。現代まで続く芝居見物につきものの幕の内弁当は、その流れの中から生まれたものである。
ことほど左様に、幕の内弁当の本質は農耕文化的なのである。そう言われてみれば、各食材の味が混じりあわないように間にはめ込んである仕切りの構造などを見ていると、なんとなく田んぼのイメージが連想されてくる。食材に突出した存在がなく、全体がほどよい均等なバランスを保っているところなども、目立ちたがりを好まない日本人の性格を、よく表しているようにも思える。
そのことは幕の内弁当の「進化形」とも呼ばれたことのある、「松花堂弁当」の傑出したデザインの中に鮮明に現れている。 
重箱の中を「田の字」に仕切った松花堂弁当- 松花堂弁当は重箱の中を「田の字」に仕切って、そこにご飯、刺身、煮物、揚げ物などが分けて詰められている。この形の弁当容器を最初に発案した茶人(松花堂昭乗、江戸初期の人)は、田舎に出かけた折に農民たちが菜や胡麻などの種子を、十字の仕切りで小分けしている箱を見て、茶会で煙草盆や絵の具箱として用いることを思いついたと言われている。弁当箱の中を田の字に区分けして、それぞれの小区画に彩り鮮やかな料理を配置していく松花堂弁当のデザインは、とくに茶人に好まれたという。それが料亭の仕出し料理の定番になっていったのである。
もっともそれは伝説の一種で、この形の弁当箱はそれ以前からもよく使われていたという。よくよく日本人は田んぼの形が好きらしくて、郊外に建てられる一戸建住宅の造成区割りなどを見ても、田んぼ文化の明らかな影響をいまだに感じ取ることができる。
そういう伝統の中で生まれた、幕の内弁当系の駅弁である「普通弁当」には米作りを中心とした、日本の農耕文化の思考が色濃く反映されている。中心となるのは、稲作を代表する俵型にまとめたお米のご飯である。そのまわりに、田の字をした仕切りを配して、ご飯(稲作)、刺身(漁労)、野菜の煮物(畑作)、鶏肉の唐揚げや卵(養鶏)など、列島の大地がもたらす恵みを偏りなく詰めてある。
なによりも「偏りなく」というところが大事で、平凡このうえないような表情をしたお米のまわりを、個性ある海山の珍味が精一杯自己主張を抑えて、満遍なく平等に詰められている。この構成を見ても、幕の内弁当の背後にお米を中心とした伝統的な世界観が働いているのを、はっきり見てとることができる。そしてこのタイプの弁当が、駅弁の世界の「普通」なのである。 - **
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ところが、「特殊弁当」の領域に一歩足を踏み入れると、がらりと様相が変わる。特殊弁当では、各地の特産品が主役となる。それら特産品の多くは魚や貝のような海産物であり、またそれらを使った鮨である。そうした特産品をクローズアップすることによって、特殊弁当はできあがっている。そうなると、特殊系の弁当では、もはや幕の内弁当の節度ある落ち着いたデザインは維持することができなくなる。そこではもはやお米ですら中心ではなくなり、そこには別種の思考が働き出す。
いくつかの代表的な特殊弁当を見ることによって、そこに働いているこの「別種の思考」というのを取り出す作業をおこなってみよう。 
鱒の切り身を、ご飯が見えないくらい盛り付けた「ますのすし」-
前にも登場したことのある名物の鯛をクローズアップした静岡駅の駅弁では、鶏肉の場合と同じように、そぼろ状にして味付けしたものを、ご飯が見えなくなるくらい弁当箱いっぱいに広げてある。見ようによっては、上品な色合いでどこか凪いでいる一面の海を連想させる。
富山駅の駅弁「ますのすし」は、丸い形をした容器に笹の葉を敷きそこに酢飯をつめ、その上に塩漬けした鱒の切り身を、これもご飯が見えないくらいびっしりと盛り付ける。どこにも仕切りはなく、ここには田んぼの構造は見えてこない。丸い容器は、空間を閉じるのではなく、むしろ広大な領域への広がりを誘っている。ここでも弁当はピンク色をした凪いだ海のように見えてくる。 
海面が小波を立てているようなカニ寿司- 日本海側の駅では名物のカニの料理がふるまわれる。カニ飯、カニ寿司いずれの場合も、カニ肉はすっかりほぐされて、ご飯を覆うようにして一面に広げられる。ここでも幕の内弁当や松花堂弁当のような田んぼへの連想はいっさい働かない。海面が風を受けて小波を立てている様子である。大きめのカニ足が散らされている場合、海面になにかの漂流物が浮かんでいるようで、ここでも強く海への連想が働いている。

子鯵の寿司が斜めに並んだ「鯵の押し寿司」- 海産物でも、そぼろ状にしたり、練ったり、原形をとどめないくらいほぐしてしまうことのできない魚介類もある。広島駅の「あなご飯」や大船駅の「鯵の押し寿司」の場合である。その場合あなごや子鯵を前面に押し立てると、同じ形状をした魚の切り身ばかりが並ぶことになり、幕の内弁当の多様性は影を潜めて、ご飯の上は単調になりかねない。そこであなごや子鯵の寿司を斜めにして並べることによって、表面にリズムを導入する工夫がこらされることになった。この工夫のおかげで、これらの弁当でも海面に波が立つような視覚的効果が生まれることになった。
このように、海産物をメインに立てる特殊弁当では、普通弁当の田んぼ構造に代わって、海と波のリズムが表面に現れることになっている。そこではお米を中心にして海、山、野の珍味を上品に配置する構図はとられない。お米は海産物で覆われて見えないようになっている。田んぼのイメージも表に現れてこない。海原の広がりとそこにたゆたう波のリズムが、これらの特殊弁当の基調をなしている。 - **
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日本列島を走る鉄道の多くが、海岸べりを走っている。だから海辺にはたくさんの駅があって、そういう駅で駅弁をつくって売ろうということになれば、当然のことながら近くの漁港で水揚げされる魚介類をメインとした「特殊弁当を」、ということになる。そうなると、田んぼのイメージではなく、海と波を基調とするさまざまなデザインの駅弁が生まれる。これは四方を海に囲まれた日本列島には当然のなりゆきである。
ところが幕の内弁当をモデルとする「普通弁当」では、田んぼをつくって稲作をおこなう農業的日本人の思考が表面に現れている。これについてインダストリアル・デザイナーの栄久庵憲司は、一九七〇年代末に書かれた名著『幕の内弁当の美学』の中で、幕の内弁当のデザインの中には、空海の開いた真言密教の「曼荼羅」の思想が生かされていると主張した。稲作農民である日本人の美学は、ひっきょう曼荼羅の構造に凝縮されていき、その美味学(ガストロノミー)的表現の代表者が幕の内弁当であるという考えである。
曼荼羅では太陽を象徴する大日如来を中心にして、この世界の森羅万象を司る仏や神々が、一つの曼荼羅の構図の中に、欠けるものなく、また偏りもなく、すべてが満遍なく配置されることによって、世界の秩序が生み出されている。全体と部分は一体であり、万物はこの曼荼羅の中に包摂されることになる。たしかにそう言われてみれば、幕の内弁当のデザインと曼荼羅の思想の間には、たしかな対応関係を見ることができる。
稲作による農耕的文化の考えをソフィスティケートしていくと、たしかに曼荼羅の構造にたどり着く。しかし、この思考法が深く及んでこなかった地方が、日本列島の中には広く存在している。農民ならぬ海民の子孫たちの暮らし続けてきた海辺の町々、海辺の村々の世界である。そこでの主産業は米作りではなく、漁労である。目の前には田んぼではなく、波に揺れる海が広がっている。その結果、そこには「農耕的思考」ならぬ「海民的思考」がもう一つの日本的伝統として発達してきた。
海民的思考は日本列島において、農耕的思考よりも古い来歴を持つ。しかし稲作が始まってからは、海民的思考は農耕的思考の優勢に圧倒されて、なかなか日本文化の表面には出てこられなかった。それはニッチの領域で細々と自分らしさを守り続けてきた。ところがその孤独な細い精神性の伝統の糸が、駅弁の世界にひっそりとよみがえっていた。そのことに、日本人は気づいてこなかったようである。
日本人の農業的思考には、「曼荼羅的」という立派な名称が与えられている。それならば、海民的伝統にも、それ相応の名称を与えてもいいのではないか。
波のリズムにたゆたう海という運動体は、農業や国家とともにつくられた曼荼羅構造の以前からすでにあったはずであるが、いつのまにやら忘れられてしまった。曼荼羅以前に存在したこの思考には、いったいなんという名前を与えればよいのだろう。
私はちょっと大げさかもしれないけれど、哲学者プラトンの「コーラ」という名称をそれに与えようと思う。プラトンによればコーラは万物の母であるという。曼荼羅は地上の耕作地のようなしっかりとした構造を持つ。ところがコーラはそういう構造が働き出す以前に、宇宙を海のようにみたし、たえまなく動揺を繰り返しながら、その波立ちの中から物事の形を生み出してくるのである。コーラは中心を持たない。全体がたえず海のように揺れ動いている。このような世界を動揺する海として考えるコーラの思考が生まれた後に、世界を曼荼羅の構造で考える農耕社会型の思考は発達してきた。
この言い方を使うと、普通弁当たる幕の内弁当が曼荼羅を原型としているのにたいして、海産物メインの特殊弁当はコーラというとてつもなく古い海民的思考につながっているということが、言えるようになる。特殊弁当のデザインは、はからずも日本文化の奥深い内部に、稲作民族のものとは違う要素がセットしてあることを示している。特殊弁当は幕の内弁当から派生したと言われてきた。しかし本当のところは、幕の内弁当の示す曼荼羅構造は、さらにその奥に潜んでいるコーラの海が生み出したものである。
海産物をメインとするこういうタイプの特殊弁当は、海岸線にそって日本列島を取り巻くように分布している。内陸の都市部の駅に幕の内系の駅弁がよく売られているのと対照的に、海岸部にはコーラ系の駅弁が盛んである。これはけっして偶然ではない。駅弁は庶民の構想力がつくりだすものだから、そこには日本人の無意識の構造が表出されてくる。軽い気持ちで始められた駅弁をめぐる私たちの思考の旅は、特殊弁当に出会うことによって、思いもかけなかった日本文化の深層に触れることになってしまった。
参考文献
榮久庵憲司『幕の内弁当の美学』、朝日文庫、2000年
プラトン「ティマイオス」種山恭子訳、『プラトン全集』、第12巻、岩波書店、1975年
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- 著者プロフィール
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なかざわ・しんいち
1950年生まれ、山梨県出身。思想家・人類学者。チベットで仏教を学び、人類における精神の考古学を構想・開拓する。中央大学教授、多摩美術大学芸術人類学研究所所長を経て、明治大学特任教授/野生の科学研究所所長などを歴任。『チベットのモーツァルト』など著書多数。











