
乗る前に食べるか、降りてから食べるか──道中、きっとお腹が空いて後悔するに違いない、でも、旅の一食をありきたりの物で済ませたくはない。駅弁は、旅人の悩みを首尾よく解決してくれる。それどころか、移動時間そのものを、貴重な旅の一場面として彩ってくれるのだ。発着駅には今、実に多種多様な駅弁の数々が並び、老若男女、洋の東西を問わぬ旅行客を魅了する。その起源はどこにあるのか。日本文化はなぜ、斯様に秀逸なアイディアを生み出すことができたのか。歴史を紐解けば、そこには日本人の世界観、思想が幾重にも隠されていた……。
駅弁の「思想」を解き明かす新たな人類学を中沢新一が綴る。
第1回
駅弁の大国
更新日:2025/11/12
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日本の駅弁はいまや、爆発的な生命進化の起きたカンブリア紀の生物界を思わせるほどの活況ぶりである。創意をこらした駅弁の新製品がつぎつぎと生まれ、多様化にむけての進化がいまも進行中である。古代魚を思わせる風格ゆたかな歴史的銘品の数々も、新型駅弁を押しのける健在ぶりを保っている。色とりどりのハーモニー、食材の種類の豊富さと、食べる前から見ているだけでも楽しくなってくる。駅弁というものが日本に生まれてから百四十年、その進化と成長はいま頂点に向かいつつある。
日本人でさえその進化の豊かさにびっくりしているくらいであるが、駅弁の世界のこの豊かさは、日本を訪れる海外からの旅行者たちをもすっかり魅了している。東京駅から新幹線に乗り込む前に、インバウンドの旅行者たちは、車内で食べるお弁当を求めて、駅構内にある駅弁屋を訪れる。そこで彼らは圧倒される。日本各地から集められた駅弁が、そこにはところ狭しと並べられている。小鯵の押し寿司、鯛めし、シュウマイ弁当、あなご飯、うなぎ弁当、昔ながらの幕の内弁当、何種類もの牛肉弁当、鶏めし、カツ丼弁当、ます寿司、カニ弁当、まだまだたくさん。この中からどれかを選ばなくっちゃいけないの?しかたない、発車時刻もせまっているし、とりあえず、これにしよう。
席について、ようやくホッとする。列車はなめらかに動き出す。車窓に富士山が見えてきた頃、おもむろに駅弁を開いて、そこに美しく詰め込まれた食材の配合の妙に、心を奪われる。お弁当を口に運んでまたびっくり。街中で食べた高級店の食事にも負けないほどにおいしいお弁当が、こんな安い値段で食べられるなんて。
海外からの旅行者たちは、こうしてすっかり駅弁の虜になる。たくさんの国々を旅してきた彼らも、こんなに豊かで美しい車中食には出会ったことがないからだ。これにくらべれば、ヨーロッパの列車の旅で出会う軽食などは、以前に比べればだいぶおいしくなってきたとは言え、日本の駅弁を思うとまだまだ貧弱と言わざるをえない。駅弁みたいな食べ物を自分の国でも食べてみたいものだ。そう思った多くの旅行者の思いがかなったのか、ヨーロッパでは「おむすび」に続いて「弁当」を販売する人気店までできてきた。そしてその弁当の中の興味深い一ジャンルとして、鉄道の旅の友とも言うべき駅弁を見出した。
旅行する生き物=人類は、こうして日本でEkibenを発見したのである。Ekibenは旅行の歓びを何倍にもする力を持つ。爽快に走る列車の快適な座席に座って食べる駅弁は、レストランや座敷でいただく食事にはない歓びを与えてくれる。日本人は駅弁の文化を発達させることによって、移動と食を結びつけた新しい快楽を、世界にもたらしている。日本はもはや経済大国などではないが、そのかわり車中食に関しては、世界に比類ない大国と言える。
しかし日本人はこの駅弁に隠されている秘密を、じつはまだよく知らない。なにげない折り詰めの中には、日本文化の歴史と日本人の心性の秘密が、たっぷりと詰め込まれている。その世界を探っていくと、思いもかけなかったようなめずらしいことが、たくさん掘り出されてくる。駅弁は日本を知るための食べられる宝箱である。
- 駅弁は奥が深い
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駅弁(駅売弁当)は、日本に鉄道が開かれてから十三年後に登場した。一八八五年、上野と宇都宮間に宇都宮線が開通したときの開通記念として、宇都宮駅で販売されたのが、その始まりである。そのときの駅弁は、おにぎり二個と沢庵ふた切れを竹の皮に包んだもので、日本人が普段仕事に出るときの携帯食として持ち歩いたものとあまり変わらない、いたって実用的な弁当だった。
しばらくすると、各地の鉄道駅近くの旅館や割烹屋や仕出し屋などが、工夫をこらした弁当を、つぎつぎに売り出し始めた。鉄道で旅をする人々が増えて、車中の楽しみを求め始めたからである。おにぎりと沢庵だけではあまりに実用的すぎて寂しいので、当時の人々にとってぜいたくな弁当の代表であった「幕の内弁当」が、駅頭で売り出され始めた。
幕の内弁当は長い歴史を持っている。「幕の内」と言われるだけあって、芝居に関係している。芝居に出ている役者たちに振る舞われた弁当であったからとか、取り寄せておいた弁当を芝居の幕間に見物人が食べたものだからとか、いろいろな説があるが、江戸時代に華美に発達した芝居がこの弁当の形式を発達させたことはまちがいがない。 - 幕の内弁当は列車の座席に座って食べるのに、最適な形をしていた。芝居小屋では桟敷の中で連れなどと会話を楽しみながら弁当を食べるわけであるから、汁がこぼれやすいものや扱いにくい食べ物では都合が悪い。そこで小ぶりに握った握り飯に、汁気の少ない数種の食材を組み合わせて、杉や檜を薄く削った経(きょう)木(ぎ)に詰めた弁当が好まれた。
駅弁は初期の頃この幕の内弁当の様式を踏襲した。揺れる車中で座席に座って、自分の膝にのせた弁当をおいしく食べるには、この様式が最適だったからである。こうして経木の箱の中に、小ぶりに握った握り飯(これはのちに俵型に軽く固めたご飯に変わっていった)に、伊達巻、きんとん、かまぼこ、焼き魚、鶏肉などを詰め込んだ、幕の内形式の駅弁が広まっていった。 
幕の内弁当はおかずとごはんの配置の妙で 私たちの目を楽しませてくれる。写真は秋田で人気の駅弁『サキホコレ』/武重到・撮影-
そこにはまだ、各地方の特産品の料理で駅弁を飾るという発想はない。芝居見物は非日常なあでやかな世界を現出させる。そこで楽しまれる幕の内弁当もまた、非日常な豪華な食の体験を与えてくれる。それと同じように、当時の人たちにとっての鉄道の旅は、日常を超えた体験をもたらすものであったから、芝居弁当のようなあでやかさが求められた。この当時、列車は動く芝居の桟敷席でもあった。そののち大発展をとげ、今日のような進化にまでたどり着くことになる日本の駅弁の「思想」は、まだ萌芽状態にあったといってよい。
日清戦争のあとあたり(明治四十年代ごろ)から、各地の駅弁に変化が生まれ始めた。料亭の出すふつうの幕の内弁当の献立の中に、地方地方で有名になっていた特産の食材や料理が、組み込まれるようになってきた。いや組み込まれるというよりも、そちらの特産品のほうが主となって、駅弁の構造自体を変え出した。
例えば静岡駅近くの東海軒では、醤油で炊いたご飯の上に鯛のそぼろをのせた鯛めしを売り出した。東海道の海沿いの漁村では鯵がたくさん獲れたので、湘南名物の鯵の押し寿司が創案された。富山駅では曲げ物(わっぱ)に笹の葉を円く敷いて、酢飯で合わせた鱒寿司を美しく詰め込んだ「ますのすし」が登場して、大人気となった。
各地の特産品を弁当に詰めたこういう新しいタイプの駅弁を、この連載では業界用語を借用して「特殊弁当」と呼ぶことにする。幕の内弁当は業界用語では「普通弁当」と呼ばれる。ごくありきたりの、米とオカズでできた弁当らしい弁当という意味である。特殊弁当はそれとは違って、地方色がきわめて強い。その土地にしかない弁当という意味もこめられている。(*)
初期の駅弁では幕の内弁当が全盛であったが、こういう特殊弁当が登場してからは、普通弁当と特殊弁当の二本立てで、駅弁の世界の進化は進められてきた。もっと正確に言うと、一時の隆盛を失った幕の内弁当としだいに主流となっていく特殊弁当とその二つのミックスという、この三つの形態が駅弁のスタンダードになっていった。
函館本線の森駅で売られている「いかめし」などが、特殊弁当の代表格である。小さな経木の箱の中には、米を詰めた小ぶりな烏賊をじっくりと煮込んだものが二つ、ごろりと入っているだけである。いかにも北海道の野趣そのままという感じで、幕の内弁当の持っている都会性はまるでない。しかしそこがこの弁当の魅力で、デパートの駅弁直売会では、どこでも目玉商品となってきた。 
函館本線森駅の「いかめし」/STUDIO EST / PIXTA(ピクスタ)- しかし多くの地域色の強い弁当では、幕の内弁当の形式の中に、各地の特産品が組み込まれるという形がとられている。ここでは例として、横浜崎陽軒の名品「シウマイ弁当」を取り上げてみよう。この弁当は、俵型に押されたお米の部分と、横浜の特殊性をあらわすシュウマイ五個と、幕の内弁当の定石どおりの食材(筍の煮物、蒲鉾、卵焼き、焼き魚、鶏の唐揚げなどを詰めた部分と、隅にそっと置かれた香の物との、四つの部分で構成されている。
- 特殊弁当の売り物となる各地の特産品は、しばしば華やかさに欠ける場合がある。それを幕の内弁当特有の華やかさで補って、旅の車中での食事の祝祭感を盛り立てようという配慮が、このような中間的な意匠を生み出したのであろう。「シウマイ弁当」の例で言えば、シュウマイの個数がこれ以上多くなってしまうと、幕の内弁当特有の華やかさが薄らいでしまうという配慮から、シュウマイの数を制限して、普通弁当と特殊弁当とのバランスを取っているようにも見受けられる。

横浜崎陽軒の名品「シウマイ弁当」/武重到・撮影-
各地のブランド牛を使った牛肉弁当も、これと同じ普通弁当と特殊弁当の中間形態である。ご飯の上いっぱいに調理された牛肉が広がっているが、端の方に彩りを工夫した幕の内的な普通素材が詰められている。いくら牛肉は美味しいと言っても、茶色いお肉が全面をおおってしまうと、いかにも華やかさがない。普通弁当の要素が、その欠落を補うことによって、牛肉弁当は見た目も美味しそうな逸品にしあがる。
これに各地の特産品として知られてきた、さまざまな意匠の寿司類を並べれば、駅弁世界の全体像はほぼ尽くされる。寿司は、意味的には幕の内弁当と特殊弁当の中間に置かれる。寿司は「ハレ」の食べ物として、あとで出てくる「花見弁当」などと同じカテゴリーに属するものとして、芝居弁当としての幕の内弁当に近いが、いっぽうでは江戸前寿司や大阪寿司と違って、各地の固有な寿司製法とつながるものとして、特殊弁当の仲間とみなすことができるからである。
駅弁の世界は、このような普通弁当と特殊弁当という二つの異なる考えから生まれた弁当が、たがいに対立軸をなすようにしてつくられてきた。私たちはともすれば、この対立軸の意味をとらえ損ねたまま見過ごしてしまう。そうすると駅弁世界の上っ面をなでただけで、本質に至らないまま表面を素通りしてしまうことになる。大げさなことを言えば、幕の内弁当(普通弁当)といかめし(特殊弁当)の間には、日本人の世界観の本質に関わる重大な対立が隠されている。それは日本人の考える「聖なるもの」の持つ二面性につながっている。この二種類の弁当には、それぞれの歴史につながる深い意味がこめられていて、それは日本人の外食をめぐる二つの異なる思想に根を下ろしている。
その思想を明らかにする旅を、これから始めていこうと思う。思うに日本の駅弁の世界がこんなにも多様性豊かなのは、それが単一の「日本料理」の原理でできているのではなく、複雑な矛盾を含んでできあがっているからである。駅弁の世界は奥が深い。駅弁には複雑な構造が隠されていて、そのことが世界に類例の少ない豊穣な駅弁をつくりだしてきた。そしてその構造は日本人の心性深くにまで及んでいる。
- (*)この連載では「普通弁当」と「特殊弁当」という、業界で使いならわされている法制上の用語を使って、駅弁の世界の分析がおこなわれる。しかし法制上の「お硬い」意味とは多少のズレがある。とくに「特殊弁当」に関しては、駅弁の意味世界の分析に適合するように、柔軟な解釈を施すことがある。そのことについては折にふれて語ろう。
- 主な参考文献
榮久庵憲司『幕の内弁当の美学』、2000年、朝日新聞社
『おいしい駅弁風土記』、1991年、講談社
『駅弁日本一周』、1963年、早川書房
『調べてみよう 都道府県の特産品 駅弁編』、2017年、理論社
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- 著者プロフィール
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なかざわ・しんいち
1950年生まれ、山梨県出身。思想家・人類学者。チベットで仏教を学び、人類における精神の考古学を構想・開拓する。中央大学教授、多摩美術大学芸術人類学研究所所長を経て、明治大学特任教授/野生の科学研究所所長などを歴任。『チベットのモーツァルト』など著書多数。
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