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読むダイエット 高橋源一郎

第4回 科学的か、愛か、それが問題だ……

更新日:2020/05/20

愛のダイエット

 海老坂武さんは1934年生まれの(現在は)85歳。わたしたちの世代にとっては、ポール・ニザン、フランツ・ファノン、そして、なによりジャン・ポール=サルトルの翻訳家として名高い(他にもメルロ=ポンティやジャン・ジュネやジョルジュ・ペレック)。そればかりではなく、優れた評論家、批評家であり、さらに、海老坂さんを有名にしたのは『シングル・ライフ』という大ベストセラーで、男性がひとりで生きる道を提出したことだろう。上野千鶴子さんが女性の「シングルライフ」の提唱者なら、その男性版が(という言い方は失礼だが)、海老坂さんなのである。
 この『海老坂武のかんたんフランス料理』は、半分が海老坂さんの料理本、半分が、海老坂さんへのインタビュー本ということになる。海老坂さんが、インタビュアーを含む、男女の訪問者に対して、毎回、豪華な料理を作っておもてなししてくれるのである。
 4回分のレシピがそれぞれ、
「タイのソース・ブランをメインにした献立」では、
「クスクス・サラダ、ニンジン・サラダ、ジャガイモ・グラタン、タイのソース・ブラン、バゲット」が、
「ポテをメインにした献立」では、
「イカのイタリアン・ソース、パプリカのオーブン焼き、ポテ、ごはん」が、
「タラのベシャメルソース・グラタンをメインにした献立」では、
「豚肉のテリーヌ、ニンジン・サラダ、タラのベシャメルソース・グラタン、バゲット」が、
「牛頬肉の赤ワイン煮込みをメインにした献立」では、
「カボチャのポタージュ・スープ、ラタトゥイユ、アスパラ アボカド・ソース、牛頬肉の赤ワイン煮込み、バゲット、ごはん、はちみつクレープ」が、それぞれレシピと共に供される。
 実際に海老坂さんが作っているところと、それをみんなで食べる光景を見ていると、ほんとうに美味しそうだ。
 この材料の中には、一般的には、ダイエットに不向きとされるような牛乳、生クリーム、バター、豚ロース肉、小麦粉、牛頬肉も大量に使われる。海老坂さんは、このような料理を何十年も自分で作り、また、人々に振る舞ってきた。そして、84歳(この本の刊行時)になっても、太ることも、健康を害することもなく、ひとりで悠々と暮らしておられる。ボケることも、弱ることもなく、スクワットを一日20回(!)、夜中に1時間歩き、シュークリームとショートケーキを愛し、朝起きたときには70回の腹筋と30回の腕立て伏せを欠かさず、いまの目標は90歳でマスターズ陸上の60メートル走に出場して優勝すること……。
 どうしてそんなことが可能なのか。はっきりいって「××ダイエット」と書かれた本なんか読むより、海老坂さんに「生きる秘訣」を聞くべきなんじゃないだろうか。
 その秘密は、インタビューを読むとわかるのである(ちなみに、インタビューをしているのは作家の黒川創さんである)。

海老坂武『海老坂武のかんたんフランス料理──シングルライフ、84歳のおもてなし』
編集グループSURE

黒川 なんで恋人と一緒に住まなかったんですか? 恋愛っていう話は、海老坂さんの書くものによく出てくるけど。
 海老坂 はじめのころは相手がフランス人で、フランスと日本で離れて暮らしているというのがあったね。その次は相手が結婚してた。そのあとになってくると、相手が若いとか。
 黒川 若かったらなんで一緒に住まないんですか?
 海老坂 ほほほ。やがて離れていくのがわかってるからね」

 かくして、海老坂さんはひとりで生きることを選ぶ。海老坂さんの料理のレパートリーが広いのは、ガールフレンドたちに教わったからだそうだ。でも、作るのは海老坂さんだ。相手のことを考え、相手のために作る。そんな料理は多様で、美味しく、健康にいいのである。ダイエットなんかくそくらえ。でも、その結果が、健康でスリムな体となったのである。おお、海老坂パラドックス。なんか、生きる希望が湧いてきませんか。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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