Nonfiction

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読むダイエット 高橋源一郎

第4回 科学的か、愛か、それが問題だ……

更新日:2020/05/20

アナーキー・イン・ザ・スリープ

 正直にいって、わたくし、作家デビューして以来、経験したことのない生活形態で過ごしております。ずっと家。一歩も外に出ない日だってあります。もしかしたら、同じような状態のみなさんも多いのではないだろうか。
 2月末からずっと自宅待機している子どもたちも同じ。待機期間はすでに2カ月を超えた。ということは、もう夏休みより長期間、家にいるのである。長男は入学したはずの高校に登校できず(ただし、オンライン授業は開始)、中学3年の次男も学校とはオンラインで繋がっているのみで、少しずつ、「授業」も始まってはいるが、実際にはほとんど家。そういうわけで、高橋家結成以来の異変が起こっている。たとえば、睡眠に関してである。
 次男が一日18時間を超える長時間睡眠に入り、一時は「新人類の誕生か?」と、高橋家内が騒然としたことについては前回触れたとおりだ。残念ながら、それは新人類としての「覚醒」ではなく、単に眠たかっただけで、「もう寝飽きた」といって、通常の12時~13時起床に戻ってしまったのだ。
 ところが、「禍福はあざなえる縄の如し」というように(なんか間違ってるかも故事成語の使い方)、いつもきっちり午前7時起床だった長男が昼近くまで起きてこなくなったのである。彼もまた暇すぎて深夜まで「アニメを15本見た」りしていたからなのだが、そうなると、困るのが、妻である。
 朝食の用意をしても誰も起きてこない(わたしは、少し離れた仕事場から、だいたい夕刻あたり毎日帰っている)。なので、体調が悪いときには、いったん起きてもまた寝たりしてしまった。でもって、起きてきた次男が食卓に行ってみると、誰もおらず、お母さんは寝ているらしいので、仕方ないなとベッドに逆戻り。そこへ起きてきた長男が、どうやら全員寝ているらしいことに気づいて、ぼくの知らないうちになんかそんな決まりができたのかと、シリアルに牛乳をかけて食べて、またベッドへ戻ると、そこへわたしが戻ってきて、全員が寝ていることに気づき、あれもしかしていま明け方?……といったことが繰り返され、数日間ではあったが、高橋家では、「全員が同時に起きている状態」がなくなってしまったのである。あるいは、「食堂に行ってみてもひとり」(なんか、尾崎放哉みたい)というか。
 朝起きて、洗面所で顔を洗い、朝食をとることから始まる一連の作業は、それぞれの「社会生活」が前提なので、現在の「コロナ下」のような「準戦時体制」もしくは「非常時」で「社会生活」が破壊されると、人間の「自然状態」が露出してくるのではあるまいか。
 いつ寝て起きてもかまわない。ある意味で、これ以上にアナーキーな状態は存在しない。これは、もしかしたら、ある種の「(災害)ユートピア」なのかも。
 とまあ、なんだか、ちょっと興奮したのだが、それもまた、束の間の夢で終わってしまったのである。しかし、社会の規律とはちがうところで生きてみる実験には、うってつけの時期ではないだろうか。

 確かに、現在、「新型コロナウイルス」によって社会は閉塞状況に陥っているが、考えようによれば、これは、「突然、社会全体に訪れた夏休み」みたいなものなのかもしれない。わたしのような自由業でさえそうなのだから、もっときちんとした社会生活をおくってきた方々にとっては(不自由やら経済的なデメリットがあることは重々承知の上で)、このような「長期の休暇」、ロングバケーションは空前絶後のものだろう。一年中、動きを止めなかった社会が、(完全にではないにせよ)、急ブレーキをかけてストップしてしまった。こうなったら、ふだんなら絶対できないことをやってみる、あるいは、もう一度、生き方を考え直してみるという手もあるのではないか。

 あれは高校1年の夏休みのときだった。わたしは、父の実家に居候していた(家にいると「夏休みの宿題は?」とうるさく訊かれるのだが、実家のばあちゃんやおばちゃんは、わたしを完璧に甘やかしてくれたので)。ふだんは、大学生に貸している部屋が、夏休みで彼が帰省中のため、わたしの居室となったのである。そこで、わたしはこの夏休みを読書にあてることにした。いまでも覚えているが、「ドストエフスキー全作品読破」に挑んだのである。いったいなにを考えていたのやら。昼飯を食べて読みはじめ、気がつくと、夜9時、食卓に行ってみると、みんなはすでに終了していて、わたしの分だけが残されている。なので、晩飯を食べて、再び読書。明け方になってそのまま倒れるように寝て、昼頃に起きて、食卓の上に置かれたご飯を食べて、また読書。そんなことを繰り返しているうちに、いったい何時に起きて、何時に寝て、いま食べているのが、朝飯なのか昼飯なのか晩飯なのかもわからず、そういえば、もう3日ぐらい誰にも会ってないんだけど、みんな家にいるのかな、っていうかまだ夏休み?
 ……というような状態で、およそ半月を過ごしたのではないかと思う。思えば、生涯でいちばん「自由」だったのは、そのときだったのかもしれない。そして、初めて、自由に起きて寝ていると、起床時間がずれていくこと(要するに体内時計が24時間ではないこと)に気づいたのである。

西野精治『スタンフォード式 最高の睡眠』
サンマーク出版

「人間はおよそ『24・2時間』のサーカディアンリズムで動いている。そんな私たちが、24時間の地球のリズムに同調できるのは、光があるためだ。
 では、光がなかったらどうなるのだろう?
 マウスのサーカディアンリズムは24時間より短く、たとえば『23・7』時間の種類もいる。
 このマウスを光がまったくない状態に置く実験をすると、彼らは固有のリズムで生活することになるので、生活の開始時間が毎日18分ずつ早くなる。マウスの体温の変化から、彼らにとっての『生活開始』は、ヒトでは起床や洗顏、朝食にあたると思われる。
 この条件で1か月飼育を続けると、夜行性のマウスはなんと、昼の時間帯に活動しだすのだ」(『スタンフォード式 最高の睡眠』西野精治著 サンマーク出版)

 どうして、身体のリズムが24時間ではないのだろう。もしかしたら、人類が発生した太古の時代は一日が24時間ではなかった、ってことなんだろうか。それは、ともかく、ダイエットに関するエッセイなのに、なぜ「睡眠」が出てくるのかが不思議と思われる方もいらっしゃるだろう。いえいえ、「睡眠」とダイエットには深い関係があるのだ。

「カナダ内科学会が発行する『カナディアン・メディカル・アソシエーション・ジャーナル』誌に、睡眠不足がダイエットに直接関係することを実証する実験が載っていた。被験者全員が同じ運動をして同じ食事をとったにもかかわらず、睡眠不足のグループ(毎晩6時間未満)は、毎晩8時間以上眠ったグループに比べて一貫して体重や脂肪が減らなかったという」(『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』ショーン・スティーブンソン著 花塚恵訳 ダイヤモンド社)

 ほらね! 次男が超長時間睡眠で劇的に痩せたのにも科学的な理由があったのではないだろうか。まあ、そんなことより、この部分の少し先の方を読んでいくと、

「別の研究では、睡眠不足はガン、アルツハイマー病、鬱病、心臓病にかかる確率を高めることも実証されている。たとえば、アメリカ睡眠医学会が発行する『スリープ』誌(しかし直接的なタイトルだな、これ……わたしの感想)の記事によると、14年間に9万8000人を調査した結果、睡眠時間が4時間未満の女性は、心疾患によって死期が早まる確率が2倍に高まるという。
 女性の例をあげたからといって、男性諸君も安心はできない。男性のほうがただでさえ心臓病で死亡する確率が高く、そこに睡眠不足という要素が加わると、事態はかなり深刻だ。WHO(世界保健機関)が14年にわたって657人の男性を追跡調査した研究がある。それによると、睡眠の質が低い男性は心臓発作を起こす確率が2倍に上昇したほか、実験期間中に発作を起こした確率は4倍近くになったという」

 ちょっと。これはもう「食べ順ダイエット」や「炭水化物抜きダイエット」をやってる場合じゃありませんね。生命の危機の方が緊急じゃありませんか……と思う、誰だって。 いやいや、そうではありません。「良い睡眠」を得るためには、なにより食事が大切なのである。

「睡眠の質には食べたものも大きく影響する。
 食べものを単なる食べものだと思ってはいけない。食べものは情報だ。何かを食べれば自動的に体内で処理され、食べたものがどういう種類のもので、どんな栄養素が含まれている(いない)かによって、身体、健康、睡眠の状態が決まる。
 それだけではない。良質な睡眠がとれるかどうかは、お腹のなかの環境に左右される。この章で学ぶことは、あなたの人生を一変させる可能性があると思ってもらいたい」

ショーン・スティーブンソン『SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術』
花塚恵(訳) ダイヤモンド社

「人生を一変」ですよ! そりゃ、読みたくなりますね。

「第2章で、セロトニンの95パーセントが消化管に存在すると説明した。セロトニンは、腸粘膜にある腸クロム親和性細胞によって生成される。生成されたセロトニンが体内に分泌されると、腸の運動が活発になる。文字どおり、消化の働き全般を助けているのだ。
 セロトニンが睡眠に深くかかわっているのは、快眠ホルモンであるメラトニンの原料であることからも明らかだ。とはいえ、消化の働きを助けるという意味でも、セロトニンが脳や睡眠に与える影響は私たちが想像する以上に強力だ」

 睡眠の謎を求めて、研究してきた著者は、その謎が、なぜか「脳」ではなく、「第二の脳」といわれる「腸」にあることを発見する。腸の中に、人間の全細胞の10倍もの数で存在しているといわれる「腸内細菌」こそ、睡眠の質を決定する秘密の司令塔であり、人間の健康を左右する鍵だったのだ……。
 さて、今回のテーマは、ここからである。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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