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Nonfiction

読み物

読むダイエット 高橋源一郎

第5回 「料理」という物語

更新日:2020/06/24

 よく考えたら、わたしは、「料理」に恵まれずに育った。
 わたしの母親は、そもそも料理が苦手だった。たぶん、それは、母親がお嬢さま育ちのせいだったと思う(林芙美子も通った尾道の女子校に通って、宝塚を目指していた、オートバイ&自転車販売会社の一人娘だったのである)。訊いてみたら、母親の母親(祖母)も料理は苦手だったようだ。実家の尾道は魚も果物も豊富で、卓上には豊かな海の幸、山の幸が並んでいたが、凝った料理を作る必要がなかったのだろう。
 母の得意料理は、「肉の塩焼き」だった。「今日はご馳走だよ! 肉の塩焼き!」といって、なにが出てくるかというと、牛肉の薄切りをフライパンで炒めて、その上に、味つけとして塩をふりかけるだけ……。それは「料理」だったのだろうか。あと、得意なのは、というか、しょっちゅう出てきたのが「すき焼き」だ。「今日はご馳走だよ! すき焼きだよ!」と宣言して、フライパンの上に(そういえば、このときもフライパンだった)に脂を敷き、そして、牛肉の薄切りを載せる……って、「肉の塩焼き」とそこまで同じじゃん!
 それから、醤油に砂糖に、その他の具材を載せてゆく。まあ、昭和の一般家庭では、そういうものがご馳走だったのだ。でも、母親は途中から専業主婦ではなく、働く婦人でもあったのだから、文句をいうだけ罰があたる。ほんとに。
 問題は、父親の実家の方で、まず父親の母親(父方の祖母)は、そもそも料理をしない人だった。仙台の大金持ちの娘で、子どもを作るのは得意だったが(八人)、全員、育てたのは、乳母たちで、要するに子育てを丸なげしていたのである(!)。そして、料理はというと、これも作るのは女中たちだった。なので、父親の実家にいっても、祖母が台所にいるところを見たことがないのである。もしかしたら、生まれてから死ぬまで一度も包丁を握ったことがないんじゃないだろうか。ピアニストみたいだ。要するに、彼女はお姫さまだったのである。そのせいだろうか、超絶美人といわれた父の姉(高橋家の長女)も料理をしない人だった。実家に行くと、いつも、食卓で待っているのである。まったく動かない。料理を運ぶことすらしない。もちろん、食べた食器も下げたりしない。お姫さまを超えて、もはや人形である。この人も、生まれてすぐ、娘を里子に出してしまったのだ(育てるのがめんどうくさいので)。
 そんな高橋家にあって、台所を担当していたのが、叔母のK子さんだった。K子おばちゃんは、父のすぐ下の妹で、容姿にも知能にも性格にもいろいろ問題があった。父が友人に頼みこんで、その友人のところに嫁いだのだが、即日、離婚、実家へ送り返されたのである。理由は……当人の名誉のために、ここでは書かない。けれども、K子おばちゃんは、これほど純真な人はいないのではないか、と思えるほど心の美しい人であった。短気で、移り気ではあったけれど、最後まで子どものままであった。そして、わたしを、実に優しく、可愛がってくれたのである。心の底から。
 おそらく、子どものいない彼女にとって、わたしは息子代わりだったのだと思う。実家に戻るたびに、「ゲンイチロウくん!」と嬉しそうにいってもらえたのだ。とりわけ、一年近く、実家から中学に通うことになったときには、みっちり、K子おばちゃんと暮らした。そして、K子おばちゃんの食事を味わうことになったのである。
 いま思えば、K子おばちゃんも料理は得意ではなかったのだろう。なにしろ、家族の誰も料理を担当したことがなかったのに、気づいたときには、零落して、料理を作ってくれる女中もおらず、仕方なく、K子おばちゃんが作ることになったのだと思う。
 弁当のオカズが芋の煮つけだけ、というときは驚いた。K子おばちゃんは、熱狂的な阪神ファンだったので、阪神が負けたときには、だいたいそんなメニューだった。カレーのときも、ルーをかさましするために、大量に小麦粉を入れていたし、隠し味を超えて、はっきり味つけに醤油を入れていた。カレーが美味しいと思えるようになったのは、外食をするようになってからだ。K子おばちゃん、ゴメン、でも、どんな料理だったか、ぜんぜん覚えとらんのよ……。まあ、生き延びたから問題はないのだが。
 けれども、幸い、結婚をしてからは、ようやく家庭料理というものの美味しさに目覚めたのである。ほんとうに良かったです。めでたし、めでたし。

 さて、問題は、ダイエットを始めてからだ。
 わたしは、ダイエットのための料理を自分で作る。そりゃ、そうだ。食事を作っていただいている上に、別にダイエット料理まで、妻に作らせるわけにはいかない。また、わたしは、さまざまな研究の上に、考えて食材を決定しているので、やはり、自分で作るしかないのである。
 わたしがダイエット料理を作っているのを見ると、妻は、「私も食べたいよう! 人の作ったものが食べたい!」といった。当方には、なんの異存もない。何度か、妻の分も製作し、一緒に食べた。だが……である。数回、わたしの製作した料理(たとえば、サラダ)を食べると、「ありがとう、もういい」とおっしゃって、参加しなくなったのである。
「どうして?」と訊ねると、小さな声で、妻はこう答えた。
「……あまり美味しくない……」
 その瞬間、思わず、わたしはこう呟いたのである。
「……だよね……」

 わたしは、ダイエット本のレシピをもとに、あるいは、ダイエットや栄養・健康に関する本のレシピをもとに、いくつかの料理(もどき)を考案して、それを食べた。なぜ「考案」ということばを用いたのかというと、製作している当人ですら、「これ、料理といえないよね」と思うものばかりだったからである。
 たとえば、朝昼兼用のサラダを作る、とするでしょう。まずは野菜を買ってくる。そして、洗った後、キャベツ……千切りにしたいけどできないので、適当な大きさに切る。レタス……千切る。トマト……切るのがめんどうくさいのでミニトマト。セロリ……適当に切る。紫大根……適当に切る。そして、切ったり千切ったりした野菜を大きな皿の上に載せる。その上に、豆腐を千切って載せる。それに、時折、様々な助っ人が参加することもある。リンゴや海草、ヒジキ、ナッツ、コンビニで売っている「ほぐしサラダチキン」である。それらもまたおもむろに投下する。それが終わったら、この豆腐野菜サラダにかけるドレッシングの製作である。小さな皿に、まず、アマニ油を適当な量、投下する。それから、リンゴ酢を適当な量、投下する。柚子胡椒を適当な量、投下する。塩分控えめの梅干しの肉の部分を千切って投下する。それから、冷蔵庫の中にある、瓶詰めのニンニクを投下する。すべてを投下したら、かき混ぜる。かき混ぜたら、まとめてサラダに投下する。さらに、用意していたキムチを投下し、納豆をかき混ぜて追加投入する。以上で完成である。

 その特製サラダを、わたしは、しばらくの間、毎日食べ、連日スクワットに励み、お蔭さまで減量に成功したのである。だが、正直にいおう。毎回、目の前の「サラダ」を見るたびに、「……エサ?」と思わずにはいられなかったのである。
 そういえば、あのサラダ、どんな味だったっけ。そもそも、味見してなかったからなあ……。
 というか、もう一度食べたいと思えないのだ、あのサラダ。
 なにがいけないのか。それぐらいわかっている。わたしには、根本的なところで、「料理」のセンスが欠けているのである。それなりに美味しいものは食べてきた。だが、思えば、どれも、「誰かが作ったもの」だったのだ。
 確かに、レシピ通りに作ったこともある。その場合は、それなりの味になる。けれども、もう一度といわれると、困る。なぜって、
「めんどうくさい」からだ。
 レシピなんか見たくない。それぐらいなら、インスタント食品か、冷凍食品をいただく方がいい。っていうか、妻の作るものを食べていればいいわけである。

 自慢ではないが、小学校の教科書で、わたしの家庭科の評価は、ずっと5段階の「1」であった。滅多にはとれない得点だ。とにかく、料理も裁縫も、家事全般がまるでできなかったのだ。おそろしや、家事一切を乳母や女中といった「使用人」に任せていた高橋家の呪いなのか。わたしのときには、もう「使用人」なんかひとりもいなかったのになあ……。
 この、「お片づけ」から始まる、あらゆる家事が苦手、という根の深い問題を解決することは、わたしにとって、生涯において解決すべき宿題のひとつだったのである。でもなあ、やっぱり無理かも。
 思い返せば、家事だけではなく、ほとんどすべてが苦手だったのではあるまいか。なにをやらせても、うまくいかない。少しでも自慢できるものといえば、まあ、作家なので文章を書くこと、小説を製作製造すること。それぐらいじゃないのだろうか。あとは、ひとさまに自慢できるようなものはなにもなし。
 そんなある日、わたしは、驚くべきものに出会ったのだ。『カレンの台所』(滝沢カレン著・サンクチュアリ出版)である。

料理という物語

「ロールキャベツ

 本日は包まれたい欲の強い乙女なひき肉と、包みたい欲が強いキャベツの男気溢れるロールキャベツを作りました。
 ラッキーな出会いをした5つ包みの話をします。

 男気キャベツは男試しに、まずは1枚1枚丁寧にキャベツを剥がしていき、熱湯で茹でられている真っ最中です。
 どの葉がいちばん男として強いかを、見定めていきます。
 おっきな包容力がありそうなキャベツ男には率先して先に乙女な豚ひき肉と一緒になる権利を与えましょう。

 一方で、乙女な豚ひき肉はハンバーグの作り方と似ていますが、キャリアウーマンな自立型ではなく、守りたいと思われるのがロールされる理由です。
 ひき肉には、玉ねぎ粉々、マヨネーズをお賽銭程度、卵を1個、お麩の粉々を鈴が2回なるほど、そして頼りっぱなしの塩胡椒をみなさんにふりかけるようにお願いします。
 マッサージを惜しげなくしたら、綺麗な形に整えていざロール時間です。

 両手をバサっと大袈裟に開いたキャベツ男の胸元に、豚ひき肉乙女は飛び込みます。
 そして両手をそぉっと右、左と包んだら下から上にと巻き込んでロールします。

 豚ひき肉乙女が完全に私たちの目からいなくなったら両想い確定ですので、結婚指輪がてらに爪楊枝などの棒をぶっ刺して離れないように誓ってもらいます。
 ロールしたときに横から豚ひき肉乙女がはみ出ていたら包容力オーバーですので、少しひき肉の形を変えるか、ほかのキャベツ男をお選びください。
 まだまだたくさんキャベツはいるはずです。

 それぞれ自分に合ったキャベツに出会えて、幸せなキャベツ男の背中しか見えなくなったら、お鍋やフライパンに式場を用意します。

 先に薔薇の床のようにトマト缶を流し入れ、コンソメカサカサをひとつの花束くらい添えて、部屋を整えていきます。

 愛の赤が足りないよと神父様から怒られるので、赤を足すためのケチャップを濃い赤にするまで入れます。
 と、いった割には不安になったのか、水も1人で飲むくらい入れます。

 最後に客入れの塩胡椒をしましたら、いざロールキャベツの入場です。

 合同結婚式はロールキャベツ界では当たり前です。
 できあがった全てのロールキャベツで式場がピチピチになるまで詰め込みます。

 そうしましたら、あとは若いもの同士で煮詰まってくださいと言うように蓋をして、私たちは知らん顔です。せめて弱火でお願いします。

 30分くらい知らん顔をしたら開けてください。
『おいおい、こんなに仲良くなって』とロールさせた私たちはキューピッドですから嬉しくなるはずです。

 染み込んだ愛(トマト)をそっとお皿に乗せ、ヴェールのような生クリームを差し上げたらできあがりです」

 これが、短編「小説」「ロールキャベツ」の全文である。はっきりいって、カミュの『異邦人』を最初に読んだとき以来の衝撃かもしれない。
 いま、わたしは、短編「小説」と書いた。間違いではない。わたしは、最初『カレンの台所』の頁を開いたとき、「いかん、間違えて、新潮社のクレスト・ブックス(有名な外国文学シリーズさんである)を買ってしまった」と呟いたぐらいなのだ。「確か、料理の本だと思ったのだが」とも。
 で、確認のために、もう一度、本をパラパラとめくってみた。美味しそうな料理の写真がたくさん掲載されている。どう考えても料理本だ。
 しかし、しかしである、これ、あきらかに「物語」ではありませんか。最初から最後まで。そして、ひとたび、これを読むと、もう、あらゆる食材や料理が、物語の登場人物としか思えなくなってしまうのである。
 それにしても、寡聞にして、キャベツが「男性」で豚ひき肉が「女性(というか乙女)」だったとは気づきませんでした。ほんとうに申し訳ない。そう考えてみると、「結婚」した結果生まれたカップルなのに、名前が「ロールキャベツ」と、女性側の「豚ひき肉」さんの名前がどこにも残っていないところなど、実は、男性中心社会の恐ろしさを、わたしたちに訴えているのかもしれない。なんと深いたくらみに満ちた物語……いや、料理なのだろうか。「包容力がありそうなキャベツ男」が率先して、「豚ひき肉(乙女)」と「一緒になる権利」を与えられるところもまた、現代社会の縮図を表しているであろう。
 いや、文章表現としては、調味料の量を示すことばとして「お賽銭程度」、あるいは「鈴が2回なるほど」としたところなども、驚くしかない。後者など、調味料の側ではなく、それを振る「腕」のモーションで量の程度を教えてくれるのだ。これほど鮮烈な比喩は、横光利一が、短編「頭ならびに腹」の冒頭で、
「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された」と書いて、文壇に衝撃を与えたとき以来かもしれない。
 この一文をもって、横光利一は「新感覚派」という名称を得たのである。

滝沢カレン『カレンの台所』
サンクチュアリ出版

 滝沢カレンさんの料理は、というか、彼女が作る料理の製作過程は、そのまま「文学」になっている。それに比べて、自称文学者であるわたしの料理の製作過程には、「文学」の要素は、「お賽銭程度」もなかったのである。そうだったのか。だから、作っていても詰まらなかったんだよなあ……。
 これでは、カレンさんとわたしのどちらが文学者なのかと問われたら、わたしだって、「やっぱり……カレンさん?」と思わず返事をしたくなる。
「文学」というものが、この世界を豊かにするために存在するのだとしたら、あるいは、「文学」というものが、単に素材にすぎない「ことば」という食材を、作家というシェフが、その魔法によって、「文学」という料理に変身させるものだとしたら、この世界を豊かにするために存在している「料理」もまた、「文学」と同じ性質を持っていてなんの不思議もないのである。
 わたしは、自分の料理が下手であることに衝撃を受けたのではなく、料理と文学を、勝手に区別していた自分の不甲斐なさに衝撃を受けたのだ。

「麻婆豆腐」という短編……いや、レシピ……いや、短……うーん、どっちだかわからない……は、こんなふうに始まっている。

「みなさん、こんにちは。
 今回は、ちょっぴり名前が派手派手しい麻婆豆腐の物語です。

 豆腐をお婆さんにしていくことではありません」

 豆腐をお婆さんに……朝起きたら、虫になっていたのは、カフカの「変身」だが、朝起きたら、豆腐がお婆さんになっていたらすごく怖い。お婆さんが豆腐になるのも怖いけど。わたしは今日まで70年近く生きてきたが、麻婆豆腐から「豆腐がお婆さんに変身する」ことを想像したことは一度もない。頭に浮かんだことさえも。しかし、それが「物語」であるとカレンさんは断言するのである。
 そして、この、豆腐の物語は、以下のように進行してゆく。
 まず、「油を引いたフライパンににんにくと生姜をレディファーストしてあげ」るのである。ここで、にんにくと生姜が女性であることが判明する。でもって、「匂ってきたらひき肉塊を入れ」「ヘラで刺激」するのである。そして、その後、なんと、
「ある程度の男子学校になるなという分までバラけさせたら、また刻むだけ刻んだネギを入れ共学にさせます。
 男子という名のひき肉は喜びに変わりどんどん男らしくなっていきます」

 ちょっと待て。「ロールキャベツ」のとき、「乙女」だった「豚ひき肉」くんは、「麻婆豆腐」では「男」になっているのだ! えええっ? 「豚ひき肉」って、両性具有だったの? いや、ちょっといない間に、性転換手術を受けたのか? もはや、そのことが気になって読み進められないようでは、この「料理」という名の「文学」を理解することはできないのである。
 さて、「ひき肉」くんを炒めた後には、水をいれ、さらに「鶏ガラスープの素をお小遣いで500円玉もらった程度入れ」というところまで来ると、あまりにシャープな表現すぎて、意味がわからない。というか、日本語の表現に新しいなにかが加わったことだけは間違いないだろう。できたら、具体的な量がわかるようにしてほしい気もするが、そんな保守的な態度だから、ダメなんだよね……。そして、ここでようやく、この物語の主人公である「豆腐」が登場するのである。わたしは、この「豆腐」の登場シーンを永遠に忘れることはないだろう。

「全体を校長先生になったつもりで安心したら、強い意志をもった教育実習の先生のような木綿豆腐を、なんと自分の手でむしり取りながらおっきめに入れてきます」

「木綿豆腐」は「強い意志をもった教育実習の先生」だ。ということは、いうまでもなく、それ以外の具材は、生徒諸君ということになる。おお、この「麻婆豆腐」という物語は、男子学校にやって来た「教育実習の先生」の物語だったのだ。昨今の材料は輸入品が多いことから考えて、国際色豊かな、ベトナムやブラジルからの転校生がいる学校ではあるまいか。そして、わたしたち料理の作り手は、「強い意志をもった教育実習の先生」(「教育実習の先生」ではないが、わたしとしては、なんとなく「ごくせん」の仲間由紀恵を想像してしまう)やそのすべてを愛をもって見守る、優しい校長先生なのである。もう、料理を作る前、食べる前から、胸が一杯になってしまうではありませんかね。
 ちなみに、短編小説「ラザニア」のこんな一文を読んでからは、ラザニアが食卓に出ても、考えこんでしまい、なかなか食べられなくなってしまったのである。

「そんなラザニア。たった4文字には普通は組み合わせないカタカナが並んでいる時点で、深さを感じます」

 じゃあ、「アボカド」は? あと「アスパラ」とか。あ、どれも、料理じゃないか。「オニギリ」はどうですかね。それから「バッテラ」とか。「ビビンバ」も、よく見るとシュール。「パエリア」もなかなか、強烈な4文字の組み合わせではないでしょうか。個人的には「ババロア」の響きが、ドキドキするんですが。どうでしょうか、カレンさま。

コロナ自粛下、サヴァラン先生の『美味礼讃』を読む

 カレンさんの『カレンの台所』は、ただ食べるための「料理」ではなく、言語芸術としての「料理」を追求した名著であった。だが、「言語芸術としての『料理』」といえば、なんといっても、ブリア‐サヴァランの『美味礼讃』であろう。「料理」について触れた本で、『美味礼讃』に触れなかったものはない。キリスト教について考えるとき、まずなにより『聖書』に触れなければならないように、中国史や政治について語ろうとするとき、『論語』抜きではなにも考えられないように、サッカーならクリロナとメッシ、日本人大リーガーといえばイチロー、将棋なら羽生さんか藤井七段、文春砲ならアンジャッシュ……多すぎるか……誰もが思い浮かべる定番中の定番が、どの分野にも存在する。
 そう、「料理」本の世界の最高峰、あるいは皇帝といえば、『美味礼讃』なのである。でも、そういう大定番って、意外と読まれないものなんですね。あまりに有名すぎて、もう読んだ気になってるか、もしくは、みんな読んでるんだから自分が読む必要ないんじゃないかと思うからだろう。正直にいおう、わたしにとって、『美味礼讃』は、そんな「いつか読もうと思っている古典」のひとつに過ぎなかったのである。岩波文庫って、そういう本が多いんですよね。
 今回、コロナ自粛という絶好の環境の下で、ついに、わたしは『美味礼讃』に手を伸ばすことになったのである。そして、読んだ。素晴らしい! いや、いいこと書いてるよ、さすがサヴァラン先生!

ブリア-サヴァラン『美味礼讃』(上・下)
関根秀雄・戸部松実(訳) 岩波文庫

 サヴァラン先生は、ただのグルメ(美食家)ではない。1755年に生まれたサヴァラン先生は、法律を学んで弁護士になり、同時に音楽も学んだ。ヴァイオリニストとしてもプロ級であったというからすごい。やがて裁判長にもなったサヴァラン先生は、歴史の波に呑みこまれた。フランス大革命が勃発したのである。サヴァラン先生は「王党派」と見なされて、革命政権からにらまれた。そして、スイスへ亡命する。そんなサヴァラン先生に、革命政権はなおもつきまとった。生命の危機を感じたサヴァラン先生は、ついにアメリカへ脱出したのである。サヴァラン先生は、柔弱なグルメではなく、激動する社会の最先端で生きた人だったのだ。大革命の混乱が終わり、祖国に戻ったサヴァラン先生は、高級官僚として生涯をまっとうした。そして、最後に、史上もっとも偉大な「食」に関する書物を書き残したのである。
 とりあえず、全体を眺めてみよう。
 最初に書いておくが、本来のタイトルは『美味礼讃』ではなく『味覚の生理学』で、「科学」の本(のつもりで書かれたもの)なのである。

 まず、長大な「味覚の生理学」第一部では、「味覚」「美味学(ガストロノミー)」「食欲」が厳密に分析され、それに続いて「食物」が全分野にわたって定義され、考察されてゆく。砂糖やコーヒーやチョコレートが新奇な食べものであったことには驚かされるが、でも、なんだかちょっとうらやましい。「揚げ物の理論」なんて書いているところは、啓蒙の時代のフランスはなんでも理論にしちゃうんだよねと思いますね。「美味学」があるなら、当然の如く「美食家(グルマン、もしくはグルマンディーズ)」や「女性美食家(グルマンド)」の考察もある。
 ところで、みなさんも興味をもたれると思うが、この史上最強にしてもっとも有名な「食」に関する本の中に、はたしてダイエットに関することが書かれているのだろうか。
 書かれてますよ、もちろん!
 さっすが、サヴァラン先生! だてに、革命政府の刺客から逃げきった人ではない。ただの美食家でありません。ちゃんと、200年後の我々のために役に立つことも書き記しておられるのだ。
 サヴァラン先生は「章」ではなく「瞑想」という名前で章の役目を担わせておられるのだが、その「瞑想二十一」のタイトルが「肥満について」である。もちろん、これは、科学の本なので、すべての事象について定義がされている。

「わたしがここに肥満症というのは、その人が病気ではないのにただ四肢がだんだんと容積を増加していき、その天性の形とつりあいとを失うような、そういう脂肪過多の状態をさすのである」

 いや、確かに、そうなんだが……。そして、もちろん、その原因についても、サヴァラン先生は、真理を追求する科学者のマインドによって厳密に考察されている。

「第一は各人の生まれつきの素質である」……救いようがない。

「第二の原因は、人間が日常の糧の基礎にしている澱粉類メリケン粉等の中にある」……だから困ってるんだよね。

 そして、さらに、
「肥満症の最後の原因は、食べすぎ飲みすぎである」……そりゃ、そうだよねえ……。

 もちろん、肥満への対処法もバッチリ。

「どんな肥満症の治療も必ず三つの規則から始まる。食事を控え目にすること、睡眠を節すること、徒歩または騎馬で運動をすること」

 食べすぎず、寝すぎず、運動をする……サヴァラン先生、それぐらいなら、わたしたちも知ってるんですが……。いや、そんな野暮なことはいうまい。要するに、健康になるための原理は、どんな時代も同じなのだ。わたしは、サヴァラン先生の大著を読みながら、そんなことを考えていたのである。
 もちろん、森羅万象、あらゆる学問・文化に通じていたサヴァラン先生の筆致は、断食の起源(もともとは、家族の死に際して悲しみのあまり、なにも食べられなかったことが、その起源なのだそうだ。心の中にそれほどの大きなモチーフがあれば断食など簡単にできるはずである)から、ローマ人たちが横になって食事をしたこと(確かに、どこかで読んだ記憶はあるが、実際に詳細に説明されるとびっくりする。ローマの貴人たちは横になって、というより、ベッドに寝ころがって食事をとったのである。そのせいで、酒はこぼすわ、食べ物は落とすわで、周りは汚れまくっていたそうである。それだけならば、まだいいが、男女入り交じって、ひとつの寝台に横になって食べているわけだから、エッチなことをする連中も続出したのだとか、酒池肉林とはこのことだったのか)など、「食」に関するあらゆる分野に及んでゆく。人類誕生以前の世界に思いを馳せ、世界中のあらゆる「食」に関心を示し、興味のある食材や料理なら、どんなに細かな情報も逃さない。まことに、「食」と「料理」に関する百科事典(エンサイクロペディア)とは、サヴァラン先生の、この『美味礼讃』のことであろう。
 確かに、サヴァラン先生は、「食」のすべてのジャンルを横断する。わたしたちが読む「食」や「料理」の本の中に、それほど壮大な規模のものは存在しない。これは、もしかしたら、百科全書が生まれた時代、大革命が起こった時代、知性や知識が信じられた、18世紀から19世紀フランスだからこそ可能であったのかもしれない。もちろん、サヴァラン先生の書物の世界は広大だ。けれども、正直にいって、それらひとつひとつの情報や知識は、いまでは目新しいものでもなく、その多くは、古いのである。サヴァラン先生の名著も、素晴らしい古典たちを襲った運命をたどったのであろう。
 だが、その中には、永遠の生命を保つと思われるものもある。最後に、そんなエピソードをみなさんに紹介したい。「瞑想二十二  肥満症の予防と治療」の中、「酸の危険」と題されたエピソードである。

 サヴァラン先生は、このエピソードに触れる前に「酸の常用」の危険について書いている。

「婦人たちの間には憂うべき俗説が信じられていて、そのために毎年幾多の若い女性たちが命を失う。というのは、酸類、特にぶどう酒の腐敗したものが、肥満症の予防になると信じられているのである。
 酸類を継続して使用すればやせることは確かだけれども、同時に若々しさも、健康も、生命も失われる。レモナードは中でいちばん弱いものだが、それでも長くこれに耐えられる胃はほとんどないといってよい」

「酸」ダイエットなど耳にした覚えがないので、長いダイエットの歴史の中ですでに淘汰されたのだろう。そんな、消えていったダイエット法・健康法はたくさんあったはずだ。 そして、サヴァラン先生は「ほとんどわたし自身の経験とも申すべき事実をお話しいたそう」とことばを続けるのである。

「一七七六年に、わたしはディジョンに住んでいた。わたしはそこの大学で法律を、当時次席検事だったギトン・ド・モルヴォー氏のもとで化学を、ブッサノ公の父であり、アカデミーの終身秘書であったマレ氏のもとで家庭医学を学んでいたのである。
 わたしはそこで、わたしの記憶に残っている限りの、もっとも美しい人を友だちとして愛した。
 友だちとして愛した、というのは決して嘘ではないのだが、考えてみれば、ずいぶん不思議なことである。まったく、当時のわたしは、恋をすればいくらでもできる年頃だったのだから。(中略)
 さてそのルイズというお嬢さんはたいそうかわいらしい人だった。ことに、つりあいのよくとれた、太りじしの典型的美人で、みる人をほれぼれさせ、芸術家の創作意欲をもかきたてるような風情だった」

 なんとも美しい青春の風景ではないか。だが、その人生のもっとも美しい季節に、影をおとす事件が起こった。ある晩、若きサヴァラン先生はルイズが「少しやせた」ことに気づくのである。もしかしたら病気なのでは。そう訊ねるサヴァラン先生にルイズは、「やせたとすれば、かえってけっこうだと思いますわ」というのである。
 サヴァラン先生の危惧は的中する。ルイズに会うたびに、彼女は「だんだんと顔色が悪くなり頬がくぼんで」きたからである。とうとう、サヴァラン先生はルイズを問い詰め、友だちから「太った」とからかわれ、やせようとして、一カ月の間毎朝酢を一杯ずつ飲んでいたことを告白したのである。

「さっそく皆が寄りあって相談をし、医者にも見せ薬も飲ませた。だがだめだった。命の泉はもうとり返しのつかぬ傷を受けていた。つまり、これはと気がつく時はもうおそいのである。
 かくしてかわいらしいルイズは、軽率な人の勧告を真に受けたばかりに、全身衰弱に伴う目もあてられない状態になって、あたら十八歳で帰らぬ人となった。(中略)
 わたしが死んでいく人を見たのはこれが初めてだった。まったく彼女は、外が見たいと言うので抱き起こしてやったその時に、かわいそうにわたしの腕の中で息をひきとったのである。彼女が死んでから八時間ばかり後に、うちひしがれた彼女の母親は、娘に最後の別れがしたいから一緒に来てくれと私に頼んだ。ふたりは彼女のなきがらの前に立って驚いた。なき人の相好には、かつて見たことのない、何とも言えぬはればれとした、夢みるような面影が現われていた。わたしははっとした。お母さんは、それをせめてもの慰めとなさった」

 サヴァラン先生が、生涯、独身を貫かれたのは、こんなエピソードのためだったのかもしれない。なるほど、どんな「食」や「料理」や「ダイエット」の本が、束になってもかなわないわけである。
 それにしても、わたし、毎朝、酢を飲んでいるのだが、もうちょっと無理かも……。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』など、多数ある。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

株式会社集英社

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  • 第5回「集英社・熊本地震災害被災者支援募金」募金状況とご報告
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