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読むダイエット 高橋源一郎

第6回 グルメ小説家の悲劇

更新日:2020/08/26

こんな日もある

 すいませんが、 昨日の夜からのわたしのスケジュールを読んでください。ここ数日は、こんな感じなんです。

 午後10時、仕事場の仮眠ベッドで就寝(寝酒も不要なほど、バッタリ倒れて寝る)。
 午前3時30分起床……①。
 水分をとる(十六茶の600ミリリットル・ペットボトル)……②。
 午前4時30分から、ペットボトルを抱えて鎌倉・由比ヶ浜海岸まで散歩。海岸に着くと、サンダルを脱いで、裸足で歩く……③。
 だいたい、この頃、朝日が昇ってくる。由比ヶ浜全体でこの時間帯にいるのは、サーファーが20~30名、他の人たち(観光客の若者+散歩の老人)が20~30名。今年は海水浴場も閉鎖され、海の家もないので、夜には勝手に花火を打ち上げる若者が溢れるが、その割には砂浜にゴミは少ない。
 午前5時30分、自宅に到着。家族を起こさないように風呂場に。スクワットを70回(年齢+1)やってから、シャワー……④。着替えて、仕事場に戻る。
 午前7時から仕事開始。仕事をしながらケールの青汁+ミネラルウォーター(500ミリリットル)+無糖コーヒー、時々、「チョコレート効果 CACAO72%」……⑤。
 午前10時、一回目の食事(朝食兼昼食)は、コンビニ食のアレンジ(byセブン‐イレブン)。「たんぱく質が摂れるおろしの豚しゃぶサラダ」+「小松菜のおつまみナムル」+「6種具材のお豆腐とひじきの煮物」+「だし仕立て!混ぜて食べるねばねばサラダ」+「夏のピクルス 瀬戸内産レモンピール入」に、「本場韓国産キムチ」と「素材の旨みを味わう 極小粒納豆」をかけていただきました。唯一、梅干しだけ、セブン‐イレブンでは売り切れていたので、「ユニオン」の「富之助の南高梅白干し」を追加……⑥。
 そして、仕事。
 12時から1時間、仮眠。
 13時から仕事。
 18時、自宅から「れんちゃん便」(長男が自転車でケータリングしてくれるのである)が夕飯を運んでくる。「サンキュー」といって受けとる。今日の夕飯は、「シラス載せ・混ぜごはん」+「厚揚げ入り・水ギョウザスープ」+「ダイコンとオクラのサラダ」+「ジャガイモ・ベーコン炒め」。それに、いつものように「セブン‐イレブン」のキムチとコンブをつけていただく。
 21時、もう眠くなってきたので、赤ワイン・250ミリリットルを「素焼きミックスナッツ」(byセブン‐イレブン)でいただいて、寝た……⑦。
 最後に目にした時計は21時45分だった。明日はまた、たぶん3時30分頃起きるだろう。お休みなさい……。

 どうだろう。作家の生活のいったんをご披露できたのではないかと思う。ところで、もしかしたらお気づきになったかもしれないが、実は、この文章には、多くの「健康法」ないし、健康に関する「叡知」が含まれているのである。その部分に関して、注をつけておいたので、そちらどうぞ。

 ①「黄金時間睡眠健康法」……どの時間に、どの程度寝るのが、健康にとってもっとも良いのか。この問題に関しては、さまざまな学説が入り乱れているが、いわゆる「黄金時間帯」と呼ばれる22時から午前2時までの4時間が最高である、との説が有力だ。わたしも、自らを実験台にして(仕方なくだけど)、あらゆる時間帯を試してみたが、やはり、この時間帯に寝ると、いちばん身体がラクな気がする(もちろん、そんな「気がする」だけなのかもしれないが)。ところで、睡眠に関しては、どれほど健康に留意しても、わたしのような職業では「締切り」だけにはかなわない。いざというときには、健康を害する可能性があっても、睡眠を切り詰めねばならないのである。しかし、その結果、怪我の功名というか、ふつうの人がやらないような実験的な睡眠さえすることになった(イヤイヤなんだが)。
 たとえば、断続的「10分睡眠」だ。そんなことやってどうするんだ! そう思われる方も多いのではあるまいか。わたしもそう思う。けれど、「締切り」ギリギリになって、「残りの時間」と「睡眠時間」を天秤にかけるときが、我々の職業には必ずやって来る。少しでも寝ないと眠くて原稿を書く速度が遅くなる。とはいえ、寝てしまうと、残り時間が少なくなる。ああ、なんという試練なのか(ここで、もっと早く書き出せばいい、なんて、正しいことはいわないでもらいたいです)。
 マンガ界の「神さま」、手塚治虫は「締切りぎわの魔術師」としても有名であった。膨大な量のマンガを描きつづけた手塚さんは、いつも締切りと戦ってきた。その様子を撮影したドキュメンタリーを見てびっくりしたことがあるのだが、手塚さんは、「10分」とか「15分」の細切れ睡眠をとっていらしたのである。そんなこと絶対無理! そう思っていたら、今度は、いつの間にか自分がやっていたのだった。なんてことだ。そこのところだけは、手塚治虫並である。
 ちょっと関係ないのだが、手塚さんの「締切りぎわの魔術師」ぶりは、ほんとうにすごい。わたしもギリギリだが、手塚さんは、「ギリギリ」すら超えている。
 手塚さんの生前、偶然、同じ雑誌で連載をしていたことがある。はっきりいおう、「野性時代」である。手塚さんは、「野性時代」に「火の鳥」を連載していた。わたしも小さなコラムを連載していた。担当編集者は「手塚さん、ほんとに、ギリギリなんだよね」とボヤいたのだが、ついに驚くべきことが起こった。送られて来た雑誌を見ると、手塚さんのところだけ、頁の数(ノンブル)がついていないのである。「どうして?」と訊くと、担当編集者は「手塚さん、ついに締切りが終わるまで完成しなくて、他の部分がすべて印刷された後に入稿したので、手塚さんのところだけ、別に印刷して、完成した部分の最後にギリギリはさみこんだんですよ!」とおっしゃった。要するに「付録」をそのままくっつけて製本したのである。さすが……巨匠。
 いや、睡眠法の話だった。もう一つ、わたしが実行している起床法がある。これは、あの手塚治虫でさえやっていないはずだ。あと2時間、あと3時間しか寝られないとき、目の前10センチのところに2台、目覚まし時計を置くのである。心臓に悪そう? いや、これがほんとうに不思議なのだが、起きるべき時間の1、2分前に必ず目が覚めるので、目覚まし時計が鳴る瞬間には、不思議に遭遇しないのだ。これ、もしかしたら、自分でも気がつかないうちに、何度も目を開けて時間を確認しているのかもしれないが。
 ②水分摂取健康法……水分を摂取する。これもあらゆる健康法に共通する項目だ。一日に1・5リットルぐらいとれればオッケーであるといわれている。だいたい、水を飲んでいるだけで数日は死なないし、そもそも水(分)で腹が膨れて他のものを食べる気がしなくなるし。とりあえず、水!
 ③足裏健康法……裸足で大地を歩くだけで健康になる、と書かれているものもよく見かける。中には、裸足で歩くことによって、大地のエネルギーを直接、足裏から吸収することができる、とするものもある。そこまで来ると少々眉唾だが、よい結果が得られるなら、それでよし。これもお勧めの健康法だ。確かに、足裏はふだん布(靴下)やらその他の物質(靴やサンダル)で保護されていて、刺激を受けることがない。感覚が鈍っているのは間違いないのである。また足の裏に、さまざまな「ツボ」があることもご存じの通り。わたしは「だまされた」と思って、裸足で歩いているのだが、きわめて気持ちがよろしい。ちなみに、海岸を歩いているうちに、水虫が治ってしまいました。
 ④スクワット健康法……「スクワット」に関する本は多い。近々、まとめてご紹介するので、楽しみにしていただきたい。スクワットによって、筋肉の量が増し、基礎代謝が上がることは確かなようだし、ふくらはぎは「第二の心臓」と呼ばれて、心臓に向かって血液を循環させてゆくポンプの役目も果たしているといわれている。また、それ以外にも、スクワットによって他の筋肉(背筋や腹筋)が増量し、その結果、腰痛が緩和するという副次的効果があったのである。スクワット様々だ。「死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい」というタイトルの本まであるのだ。わかりやすいなあ。
 ⑤、⑦ポリフェノール健康法……ポリフェノールを摂取すると心臓病が減るというのは、もはや健康オタクにとって常識だが、その代表が、カカオと赤ワインということになる。いうまでもなく、カカオはポリフェノール含有量が高い健康食品なのだが、チョコレートには砂糖という、健康の天敵も含まれている。「愛と憎しみ」の二重奏、それがチョコレート……。なので、当然、カカオの量が多い(=砂糖の量が少ない)チョコレートを選択することになる。その限界は、「カカオ72%」ではないか。カカオがこれを超えると、ちょっと苦くて食べられません……。ちなみに、この「チョコレート効果 CACAO72%」(meiji)は、近年、コンビニにおけるお菓子の最大のヒット作の一つなのだ! そして……。いや、これを読まれた読者の中には、だったら、チョコレートを食べながら赤ワインを飲めばいいんじゃないか、とおっしゃる方もいるかもしれない。でも、それは個人的にちょっと……。

 こんなふうに、ここ数日、わたしの一日の生活の中に含まれている「ダイエット法」あるいは「健康法」について紹介してみた。おそらく、何日かたてば、また、別の「ダイエット法」や「健康法」が登場しているはずである。何十とある、さまざまな「ダイエット法」や「健康法」を、その日、自分が置かれた状況にもとづいて臨機応変に組み合わせる。これが、わたしが目下行っている「アドリブ健康法」だ。ジャズの即興演奏のように、起きる時間、やるべき仕事、その日の気分によって、変化してゆく「ダイエット法」に「健康法」。そのレシピや組み合わせの秘訣については、おいおい書いてゆきたい。

 ところで、⑤も⑦もすべて、近くのコンビニで買ったものだ。もちろん⑥においては、いうまでもなく。我ながら、なんでもコンビニで買うようになったものだ、と感心する。みなさんもそうではないだろうか。自宅で食事をしたり、「れんちゃん便」に届けてもらうものを食べているときはかまわないが、そうではないときは、コンビニに頼る。はっきりいって、わたしは、もはやコンビニとは思っていない。少し離れたところにある「冷蔵庫」、それがコンビニだ。そう思っていらっしゃる方も多いのではあるまいか。いや、そればかりではない。もはや、コンビニは、グルメにとって主要な戦場の一つになっているのである。

グルメが見つけたコンビニというユートピア

「グルメ」といえば、アンジャッシュの渡部建……ではなく、かつて「グルメ」について書かれたものといえば、檀一雄の『檀流クッキング』(これは、どっちかというと作る方だが)、池波正太郎の『食卓の情景』や、北大路魯山人の『料理王国』、開高健の『最後の晩餐』や『ロマネ・コンティ・一九三五年』といった、優れた作家たちが、自らどこかへおもむいて時には料理をして、美食の粋をきわめようというものだった。だが、誰もが、どこへでも食べに行けるようになり、『ミシュランガイド』のようなものができて、グルメに関して作家の需要はなくなっていった。「文章」を味わうという、「文」のグルメの習慣もなくなったのである。
 その代わりに登場したのが、マンガ家たちだった。たとえば、『美味しんぼ』(雁屋哲原作・花咲アキラ作画)は日本中を歩いて、食材と料理を探求しつづけるし、『孤独のグルメ』(久住昌之原作・谷口ジロー作画)は、そこらのふつうの飲食店に入って、ふつうのメニューを注文する。でも、どんなところにも美味しいものはあるのだ。あるいは、『クッキングパパ』(うえやまとち)や『きのう何食べた?』(よしながふみ)では、ただひたすら、主に家の中で、美味しい料理をつくりつづける(どちらも、通常、料理を担当する「専業主婦」ではない人物が担当しているところがおもしろい)。どのマンガにもちゃんとしたレシピがついている。役立つ上におもしろい。よく考えてみると、お話よりも料理の方がメインのマンガたちなのである。しかし、それでも、「礼節」は保たれていた。それは、「コンビニは利用しない」という最後の一線だったのである。料理屋に行くのはいい、そこでは「料理」という手続きが存在しているのだから。だが、「コンビニ」はダメだ。あそこでは、大量生産の完成品しか置いておらず、この世でもっとも「グルメ」から遠い場所なのだから。そう思われていたのである。
 だが、ついに、「グルメ」が「コンビニ」に登場する日がやって来たのである。

坂戸佐兵衛(原作)旅井とり(作画)
『めしばな刑事タチバナ』(1)
徳間書店

 おそらく、その嚆矢は、9年前に誕生して以来、「週刊アサヒ芸能」の人気連載(わたしも楽しみにしている)となった『めしばな刑事(デカ)タチバナ』(坂戸佐兵衛原作・旅井とり作画)だろう。このマンガ、「刑事もの」なのに、場面はほとんど取調べ室と、刑事や警官たちがたむろしている控室で、なにをしているかというと、彼らが愛する「B級・C級グルメ」について熱くうんちくを語っているだけ! それだけで、連載9年、単行本が38巻というからすごい。っていうか、それをぜんぶ読んでるわたしもすごいが……。
 記念すべき第1回は「名代 富士そば」の珍奇メニュー「カレーかつ丼」、そして、日本中にあるいわゆる「B級・C級グルメ」やファーストフードの店をのきなみ攻略してゆく。では、この『めしばな刑事』が、いつコンビニにたどり着いたのか。わたしの知る限り、第3巻の「パンの妖精」で登場する「ランチパック」が最初のようだ。主人公のタチバナは、実は「山崎製パンの『ランチパック』」が苦手だ、と告白する。なぜなら、「ランチパック」には「パンの耳」がなく、それは主人公のタチバナたちおじさんにとって「世の中には不要なものを安易にリストラ」されることを想像させるからだ……って、そこかい! しかし、タチバナは決意して、「ランチパック」に手を伸ばす。ちみなに、「ランチパック」の誕生は1984年(ジョージ・オーウェル!)、この単行本の段階で、それまでに生産された種類は800を超えていたのである。もはや伝統。ちなみに不動の一番人気は「ピーナッツ」。勇気を出した、タチバナは「ランチパック」を買い、そして食べる。うまいじゃないか、「ツナマヨネーズ」……(ちなみに、わたしは「メンチカツ」党だ)。その後、コンビニで売っているさまざまなカレーを吟味することを経て、第4巻で、タチバナが給湯室の冷凍庫に隠していた「『ガリガリ君』梨味」(もちろん赤城乳業です)が行方不明になり、その犯人探しの過程で熱く語られるアイスの物語(そんなひまがあったら犯人探せよ)あたりで、本格的にコンビニ製品が取り上げられるようになった。若者から中年が「ガリガリ君」なら、もっと高年齢層は、森永の「みぞれバー」や、カップの「みぞれ」や「赤城しぐれ」を懐かしみ、そして、膨大なアイスの物語の森の奥へと分け入ってゆく。これは、わたしたちが読んできた、どんな「グルメ」の物語にもない語り方だったのである。それは、コンビニが「グルメ」の世界に入りこんできた歴史的瞬間でもあった。そして、これ以上、コンビニ食品について語りうる作品などもう出ないのではないか、という杞憂をはねのけ、究極の作品が現れた。もちろん、『コンビニお嬢さま』(松本明澄)であった。

コンビニ・ワンダーランド

「京都のとある高校」「いろは女学園の2年生兎月翠里(うづきみどり)」は「頭脳明晰・文武両道」、「お人形さんのよう」に美しく、周りの生徒たちは「どうすればあんな素敵な方になれるのかしら」とためいきをつく。そんな「翠里」には、大きな秘密があったのです……そう。「良家の子女」である「翠里」は、もちろん家から「買い食い」など禁止されています。けれど、どうしても、「翠里」はつい「コンビニ」に寄ってしまうのだった……。というわけで、お腹が空いた「翠里」は、学校の帰り、肉まんを買ってしまう。そして、食べる……だけでは、マンガになりません。これが、『めしばな刑事タチバナ』なら、どのコンビニにどんな肉まんがあるのか、という方向に向かうのだが、『コンビニお嬢さま』はちがう。なんと、コンビニで買った肉まんを「料理する」のである! なぜなら、「美味しいものをさらに美味しく」することが「翠里」の生き方なのだから……。
 というわけで、まず、「翠里」は着物に着替える(良家のお嬢さんで、しかも、ようやく、女子寮での一人暮らしを許されたという設定である)。戦闘服だ。そして、冷蔵庫の残り物の野菜(聖護院カブと丹波しめじ)を切り、だし・しょう油・みりん・酒(アミノ酸の多い純米酒)で煮て、火が通ったら水溶き片栗粉を入れ、素早く混ぜトロトロに……さらに、コンビニで買ってきた肉まんにごま油を塗り、(骨董市で買ったミニ)七輪で炙る! 炙った肉まんを器に移し、先ほどのアツアツトロトロをかけたら、ごまと焼きのりを添えて、「あんかけ肉まん」の完成! そして、「翠里」は思わず口走るのだ。
「ファーストインパクトはまるでスープパンのよう。少し甘みのあるふかふかモチモチの皮に出汁が染みてまるで……ぜいたくな巨大小籠包!」
 まるで開高健かワインの帝王ロバート・パーカーの表現のようだ。しかも材料費は両御大の千分の一!
 その後も、「翠里」は、アメリカンドッグに独自の「梅ペースト」や「田楽みそ」をつけ、「シュークリームディップ」につけこんだり、「ビーフジャーキー」とカップ麺を合わせて「ビーフコンソメ味麺」を発見する。いや、なんだか、カロリー高そう? ご心配なく。「翠里」はちゃんとわかっている。
「大丈夫! コンビニはダイエットの味方でもあるのです!」
 そうだ、その通り!

松本明澄『コンビニお嬢さま』(1)
講談社

 というわけで、一つだけ「コンビニによるコンビニのためのダイエットメニュー」をご紹介しよう。用意するのは「裂けるチーズ」(意外と低カロリー)、「春雨ヌードル」(適度な炭水化物はダイエットの味方……だそうです)、「サラダチキン」(低脂肪、高たんぱく)。これをもとに、「トムヤムクン」と言いたいところだが、チキンなので「トムヤムガイ」を作ります。
 まずは、「シトラスレモン風味のサラダチキン」を裂いて、「袋に溜まったスープ」も一緒に入れます。次に「裂けるチーズ」を裂いて入れる。それからタバスコを入れ、あとはふつうにお湯を入れるだけで、「コンビニ・トムヤムガイ」の完成。「裂けるチーズ」で腹持ちアップ、タバスコには脂肪燃焼効果、サラダチキンにはたんぱく質。味は「美味ですわー!」

 どうだろうか。「コンビニ」は、もはや、仕方なく利用する場所、ほんとうは、ちゃんと買い物をしたいのに時間がないから、とりあえず買って、ただ食べるだけのものを置いてあるところではない。「コンビニ」は、いつしか我々にとって不可欠の存在になっていた。だとするなら、「コンビニ」で売っているものを食材とした料理こそ、『コンビニお嬢さま』のレシピこそ、喫緊に必要なものなのかもしれないのである。
 グルメもレシピも、「健康法」や「ダイエット法」も時代によって変わってゆく。その代表的な例を、最後に紹介しよう。涙なくしては読めない……グルメ小説家の悲劇を。

明治最大のベストセラー作家

「村井弦斎」という作家をご存じだろうか。「知ってますよ」という読者がいたら、脱帽だ。わたしは、最近まで、その名を知らなかったのである。ただ知らなかったというなら、まあいい。だが、わたしは、『日本文学盛衰史』という明治の小説家たちの群像を描いた長編小説を書いているし、それ以外にも、明治文学についてはいろいろな場所で書いている。はっきりいって、「わたし、明治文学の専門家です」という顔をしていたはずである。なのに、この「明治文学史上最大のベストセラー」の生みの親を知らなかったのだ。なんてこった。ただもう恥ずかしい限りである。ちなみに、その作品のタイトルは『食道楽』、これに匹敵するほど売れたのは、尾崎紅葉の『金色夜叉』か徳冨蘆花の『不如帰』くらいだといわれているそうだ。こちらの二作は文学史に残る名作で、教科書にも載っている。でも、『食道楽』は、ほとんど誰も知らないのである。
 そこには、一つ大きな秘密があった。そもそも、「村井弦斎」は、忘れ去られる運命にあった作家だったのだ。
 以下、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)を参照して、その人生をたどってみよう。

 村井弦斎は1863年(文久3年)に生まれた。森鷗外が1862年、二葉亭四迷が1864年、幸田露伴・正岡子規・夏目漱石が1867年、尾崎紅葉が1868年、明治文学の錚々たる面々とほぼ同時代だった。それは、弦斎さんにとって不幸なことかもしれなかった。
 弦斎さんは、三河国吉田藩の藩士の生まれで、家は代々儒学を修めた。ところが、明治維新が到来し、失職、混乱の中で、父は息子の弦斎さん(本名は寛(ゆたか))を、東京外国語学校のロシア語科で学ばせた。その理由が、将来、ロシアと戦うことになるかもしれないから、というのだから、由緒正しい愛国的日本人の一家だったのだ。しかし、弦斎さんは健康を害し退学(勉強しすぎでノイローゼになったらしい)。
1884年(明治17年)には旅費を工面してもらいアメリカへ渡り、一年近く学んだ。なので、ロシア語も英語もオッケーなのである。明治の人はほんとにエラい。弦斎さんの小説に、欧米のように生活を改良しようというフレーズがしょっちゅう出てくるのは、このときの経験のせいだろう。やがて、報知新聞(当時は「郵便報知新聞」)に就職、ここから大活躍が始まるのである。1890年(明治23年)に小説『小説家』を郵便報知紙上で連載、文才を認められ、次々と書くようになった。翌1891年からの連載『小猫』は傑作といわれたらしく、なんと、漱石の『吾輩は猫である』と並ぶ、明治の二大「猫」小説と呼ばれたというのだから、びっくり。知らなかったよ、それも! ……ただし、猫が登場人物?になっているわけではないようだ。単にタイトルに出てくるだけ……。
 そうやって、人気新聞小説家として押しも押されもせぬ存在となった弦斎先生は明治29年から6年間、『日の出島』という超大作を連載。なんでも、これは「明治の小説史上最長編」だそうである。マジかい!
 しかし、一つ、説明しておかねばならないのは、いわゆる「文壇」の中では、評判はきわめて悪かった。「婦女子の坐右にあるには適すべし。弦斎に向つて素(もと)より人物を活写するの筆あるを望むべきにはあらねども、此小説中に見えたる人間の如きは、一人として人間らしきものゝなきも亦(また)妙なり」と当時の雑誌に書いてある。

黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』
岩波書店

 要するに、エンタテインメントとしては読むならいいけど、文学とはとてもいえない、というのが評価だったのだ。そりゃ、傷ついたろうなあ、弦斎さん。
 そのせいだろうか。この小説の中では、ついに文壇に喧嘩を売ってしまう。
「文学を修めるならば一枝の筆を以て天下の人心を鼓舞する程の事業を仕給へ。気概が無ければ役に立たんよ。世道人心に関せずんば文字美(ぶんじび)と雖も取るに足らん。酢豆腐が甘いとか辛いとか、男と女が辷(すべ)つたとか転んだとか、爾んな気楽な事を言ふのはモー百年計り後(のち)に仕度(した)いね」
 鷗外も紅葉も藤村もみんな「酢豆腐が甘いとか辛いとか、男と女が辷つたとか転んだとか、爾んな気楽な事を言ふ」と一言で片づけられてしまう。そんなことをいうものだから、弦斎さんは、ますます、文壇からは無視され、その結果が、現在の無名状態なのだ。ほんとに気をつけたいです。
 とはいえ、一般庶民からの人気は高かったのだ。そして、絶頂期を迎えた明治36年から、ついに運命の『食道楽』の連載を開始する。単行本も売れに売れた。その人気は、尾崎紅葉の『金色夜叉』に匹敵し、半年で30版を重ね、「中流以上の家では、備えないのを恥じたほどで、娘の嫁入道具に必ず入れられた」(『食道楽』中公文庫所収、村井米子編「村井弦斎略年譜」)というから、スゴい……けど、やっぱり、いいのかなこれ、小説としては。「嫁入道具」だって……。
 ちなみに、『食道楽』の連載は1903年、続編は1906年、そして続編終了後、弦斎さんは、小説家として筆を折る。いったい何があったのか。新聞小説家としての人生に終わりを告げた弦斎さんと、入れ替わるように現れたのが1907年、朝日新聞に小説家として入社した夏目漱石さんだったのだ。なんというか、運命なんでしょうか。
 さあ、それでは、いよいよ、『食道楽』を読んでみようではありませんか。それは、いったいどんな小説なのか。そして、なぜ、明治最大のベストセラーといわれるほど売れたのか。
 この小説、手に入りやすい中公文庫版は現代語かつ抄訳で、本文は350頁ほどだが、完全版の岩波文庫は、付録もついて上下でなんと、1100頁。そんなことで驚いてはいけません。その1100頁の半分以上が料理の話で占められているのである(以下、引用は中公文庫による)。
 主な登場人物は、文学士(大学の文学部卒業生である、当時は超エリート)大原満くん、同窓の親友・中川くんを訪ねたところ、郷里長崎から妹・登和さんが上京していた。この登和さんは「美人のうえに料理が上手」で、たちまち、大原くんは登和さんを好きになり結婚したいと思う。しかし、大原くんの田舎では、「学資の半分を助けてもらった本家の娘、美しくない従妹を押しつけ」ようとしていた。どうなる大原くん。お話は、これだけである。これだけで、1100頁。なので、登和さんは、ずっと料理を作りつづけるはめになったのである(連載の必要上)。

村井弦斎『食道楽』
村井米子(編訳)
中公文庫

村井弦斎『食道楽』(上)
岩波文庫

 物語の冒頭は、正月元日を迎えて、主人公の大原くんの腹の中の胃と腸の会話から始まる……って、なんてアナーキーな小説なんだ。

「腸蔵『オイ胃吉さん、お目出度う』
 胃吉『ヤアこれは腸蔵さん、去年中はいろいろお世話さまでしたね、今日は正月の元日といって、一年に一度の日だから、お互いに少し楽をしたいね』」
 そうやって世間話がはずむ胃と腸。すると、そこに、ふたり(?)の頭上から何かが降ってくる。
「『ソラ来たぞ、何だか堅いものが、これは照ゴマメだ。石のようにコチコチしている。魚の形がそっくりしている。オットどっこい、今度は数の子だ、乾し固まって塩の辛い奴を、ろくに塩出しもしないでこしらえるから、消化(こな)そうとおもってもこなれない。腸蔵さん、ほんとに泣きたくなるね』
 腸蔵『元日から災難だ。おい胃吉さん、危ないぜ、上の方から黒い石が降ってきた』
 胃吉『これは黒豆だよ、よく煮てないから堅くって、石のようだ。択(よ)りによって、なぜこんな悪いものばかりよこすだろう。オヤオヤまた来た。今度は柔かい。玉子焼だ。何だか、少し臭いね。プーンといやな匂いがしたぜ。腐っているのではないか』」
 これぐらいで辟易していては、『食道楽』を読むことはできない。このすぐ後に、別の新聞では、漱石が『虞美人草』を連載するのだから、なんだか目まいがしそうだ。っていうか、文壇の人たちは、目まいがしたので、文句をいったのだろう。しかし、弦斎さんは、まったくめげることはなかった。中川兄妹はどちらも料理の鉄人なので、誰にでもわけへだてなく教えてくれる。中川家に料理を習いに来ていた広海(ひろうみ)子爵の娘玉江お嬢さんとの会話はこんな感じ。

「『ハムと牛肉と、どちらが人の身体に良いものでございましょう』
ときく。学ぶ者が熱心なのは、教える者のよろこび、中川も
『玉江さん、家庭料理を学ぶには、一とおり食物の成分を知っていないと、人の身体に適した料理を、つくることが出来ません』
 ハムと牛肉の成分を調べてみると、ハムは蛋白質が二四%、脂肪が三六%ほどあり、牛肉はモモの肉が蛋白質二六%、脂肪二%、脂肪肉が蛋白質一六%、脂肪二七%位ある。蛋白質と脂肪とを共に備えた点からいうとハムの方が滋養分に富む。しかしそれは水分の有無によっても違うし、働く人と働かぬ人、また夏と冬とでも、身体への効き目が違うから、よくその場合を考えねばならぬ、とくわしく説く。
 玉江は
『食物の中で、一番滋養分の多いものは何でございましょう』
『蛋白質と脂肪の点からいうと、鯛のでんぶが一番でしょう。あれは蛋白質が七六%、脂肪が八%ほどあります。それからカツオ節で、蛋白質が七五%、脂肪が五%です』
 中川は
 高野豆腐、湯葉、大豆、豆腐なども滋養分は多いが消化があまりよくない(筆者注。ちょっと現代の常識では否定されていることも多いみたいです。すまんね、弦斎さん)、といちいち食品を説明し
『食物の分析表を写して、さし上げましょう』」
 とまあ、こういうのである。どうです。青年男女の会話として、これほど色気のないものを想像することは不可能ではないだろうか。そして、こんな会話しかしないのに、この中川と玉江は、小説の最後に婚約してしまうのだから、もはや、宇宙の神秘としかいいようがないのである。
 おお、大切なことを忘れていた。この「食物の分析表」、ただ、おざなりにいっているのではなく、岩波文庫版(上巻)を見ると、巻末に、「日用食品分析表」が付録としてついている。なんと31頁も! 食品関係の本を備えているわたしの本棚にも、これほど巨大な「食品分析表」はないのである。なんて役に立つ本なんだ。そればかりではない。この上巻にはさらに、「料理法の書籍」「台所道具の図(値段付き)」「西洋食器類価格表」「西洋食品価格表」が合わせて32頁! この、合わせて63頁だけでも充分という読者もいただろう。というか、もしかしたら、そういう読者の方が多かったかもしれない。ちなみに、下巻の「付録」は「米料理百種」「パン料理五十種」「病人の食物調理法(151種)」「戦地の食物衛生」と合わせて約80頁。おそらく、「嫁入道具」として、この小説を買った親たちは「付録だけ売ってくれれば良かったのに」と思っただろう。かわいそうな弦斎さん……。
 もう一つ、重大なことを忘れていた。いままで書いたのは、すべて、この小説の「付録」部分にすぎない。この小説の本体は、登和(&時々、中川や他の登場人物)たちが、レシピを語りながら料理を作ってくれるシーンなのである。登場するレシピはなんと630! 料理の本だって、それほど多くのレシピを収めたものはないだろう。しかも、これ、小説までついている……この言い方、ゴメン……安い買い物ではないだろうか。
 その部分はどこを引用しても同じなので(だって、ほとんど、そればかりだから)、少しだけ、ご紹介しておこう。こんな感じだ。

「洋行する大原への最後のごちそうに、リンゴのパイもこしらえよう、と台所へ立ったお登和は、小山夫人に説明しながらこねはじめた。
『こういうふうに、木鉢とノシ板とノシ棒を使うので、上等にすると、石のノシ板が熱をもたないでよいのですが、おソバのノシ板やノシ棒があれば、それでも出来ます』
 パイにも種々あるが、一番上等はバターでつくり、次はケンネ脂すなわち牛の生脂、下等は豚の脂のラードとなる。バター製のは、メリケン粉三斤(一八〇〇グラム)を木鉢にとり、玉子の黄身二つ、塩小サジ一杯、水大サジ八杯加え、ウドンをこねるようによくこねる。暖い日は水だが、寒い時はお湯でこね、固さもウドンくらいにして、ノシ板へとり、打ち粉をまいて、ノシ棒で少しずつのばす。
『ウドンのように四方へ広くのばしません。幅は一尺(三三センチ)ぐらいにして、長く帯のように向うへのばします。そのとき決して厚い処と薄い処のないようにのばして、まず二分(〇・七センチ)くらいの厚みにのばしてしまいます。なれないうちは棒へ力を入れますから、平均にのばせませんね。こういうふうに平らにのばせたら、ハケで、玉子の白身を一面に敷きます』」

 ふう……。ほぼぜんぶこんな調子なので、もういいですよね。確かに、これでは「文壇」の評価は辛かっただろう。というか、この人、なんでこんなものを書いているの、と思われたかもしれない。だが理由はあったのである。

「『お登和、おまえはさいわいに、料理のことを研究しているから、程と加減ということがわかるが、婦人の教育も、和漢洋の長所をとって、最も進歩した婦人を作るのが目的であろうが、往々反対の例を見るね』
 男女同権とか、自由結婚とか、女の神聖とか、自然の恋愛とか、とっぴなことばかり唱えて、口と筆とは達者になるが、家におれば親に逆らうし、嫁に行ってそうざい料理一つ作れず、子を生んで子供の着物もぬうことのできないような、婦人をつくる。ことにちかごろは、昔の抑制主義を直すつもりであろうが、婦人の独立とか、神聖とか、理想とかいうことを唱えるため、程と加減を通り越し、たいそう生意気になった」

 これが、弦斎さんの本音だった。でも、弦斎さんは真剣だった。この国を愛し、立派な社会を作る。それが弦斎さんの目的だった。そのために、料理をまじめに作る女性をいちから育てあげる。それが弦斎さんの壮大な野望だったのだ。古いよね。堅いよね。考え方が。そりゃ、当時の作家たちから、無視され、嘲笑されるのも無理はないのである。
 だが、時は移り、いま、『食道楽』を読めば、最先端の「グルメ文学」に見えるのである。『美味しんぼ』より70年以上も前、すべての「グルメ文学」に先んじて生まれた、『食道楽』という巨大な伽藍は光り輝いて見えるのではあるまいか。

「その後」の弦斎さんについて、少しだけ書いておこう。小説家を引退して後も、「食」や「健康」に関する関心が薄れることはなかった。まずは、平塚に邸宅を建築し、そこに留まって「美食の殿堂」を作った。山海の珍味を食し、奥さまが、さまざまな料理を作られたのである。次に、弦斎さんが取り組んだのは「脚気」の研究である。弦斎さんは深く「脚気」を研究し、「玄米と糠で脚気が治る」という説を発表した。これは日本で「脚気」の原因として「ビタミンB1欠乏説」が発表される遥か以前のことであった。弦斎さんはさらに進んで玄米の食べ方を工夫し「半搗米(はんつきまい)」がベストであるとの結論にたどり着く。いま我々が食べている健康食としての玄米と同じだ。さらに、健康を追求した弦斎さんは「断食」を始めるようになる。「グルメ」から「断食」へのコペルニクス的転回である。1917年に刊行した『弦斎式断食療法』は、なんと600頁以上あったそうだ。やるときは徹底してやるのである。「断食」をきわめた弦斎さんは、次に「木食(もくじき)」に挑戦する。野生の植物を中心に食べる生活で、春は草木の若芽、夏は草の葉や野菜、秋は木の実、冬は草木の根、その間に大豆やそば粉を水で溶いて食べるだけ。中国では「仙人」になるための秘法なのだそうだ。
 弦斎さんは、どんどん「グルメ」から遠ざかる、というか、「人間」から遠ざかっていった。山奥の小屋にひとり住んだ弦斎さんは、最終的に「木食」から「自然に存在するものを火を使わずに生で食べる『天然食』」へと移行していった。
 もはや、「文壇」だけではなく、世間の人たちも、弦斎さんを「奇矯な人」として見るようになった。そのことを考えると、わたしはなんだか心が痛くなるのである。最後に、弦斎さんの最終到達地点を紹介して、今回は終わることにしたい。食と健康について考えつづけた、ひとりの明治人の「遺言」である。1921年(大正10年)、雑誌「婦人世界」に掲載された文章から、黒岩比佐子さんが前掲書の中で抜粋したものだ。

「三月号では、『私は以前有名な食道楽家で、天下の美味を食べ尽くしたものですが、今に至つて、食物の真の味は、少しも人工を加へざる天然物に在る事を悟りました』と述べている。具体的に何を食べていたかというと、アケビの実、栗、椎茸、松茸などのキノコ類、山ブドウ、山百合の根、自然薯などだった。もちろん、すべて生のままで食べるのである。
 五月号で弦斎は、『私の理想としては、人間は活きる為めに食物を摂るのであるから、成るべく活きてゐるものを食するのが天然自然の道に適うだろうと信じてゐます』と書いている。宗教界の行者などは植物質のものしか食べないが、彼は実験のために、虫や蟹や小鳥なども食べた。
『蟹を段段食べ慣れてから、今度は種種の虫を試みました。蝗(いなご)や螽斯(ばった)は勿論、葡萄の虫でも、エビヅルの虫でも、木の幹や蔓にゐる虫を捕つて食べましたが、臭木の虫が生で食べては一番味の良いものです。(中略)自分で小鳥を撃つて、直ぐに丸の儘食べますと、その味の良いことと申したら、骨も頭も柔かで、煮たり焼いたりしたものより遥に結構です。羽は勿論除りますが、内臓は少しも手を附けませんで、全体を残らず食べますと、胆嚢の苦味と内臓の塩気と肉の甘味と混和した一種の深い味があります』」

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』など、多数ある。

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令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

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