Nonfiction

読み物

読むダイエット 高橋源一郎

第5回 「料理」という物語

更新日:2020/06/24

コロナ自粛下、サヴァラン先生の『美味礼讃』を読む

 カレンさんの『カレンの台所』は、ただ食べるための「料理」ではなく、言語芸術としての「料理」を追求した名著であった。だが、「言語芸術としての『料理』」といえば、なんといっても、ブリア‐サヴァランの『美味礼讃』であろう。「料理」について触れた本で、『美味礼讃』に触れなかったものはない。キリスト教について考えるとき、まずなにより『聖書』に触れなければならないように、中国史や政治について語ろうとするとき、『論語』抜きではなにも考えられないように、サッカーならクリロナとメッシ、日本人大リーガーといえばイチロー、将棋なら羽生さんか藤井七段、文春砲ならアンジャッシュ……多すぎるか……誰もが思い浮かべる定番中の定番が、どの分野にも存在する。
 そう、「料理」本の世界の最高峰、あるいは皇帝といえば、『美味礼讃』なのである。でも、そういう大定番って、意外と読まれないものなんですね。あまりに有名すぎて、もう読んだ気になってるか、もしくは、みんな読んでるんだから自分が読む必要ないんじゃないかと思うからだろう。正直にいおう、わたしにとって、『美味礼讃』は、そんな「いつか読もうと思っている古典」のひとつに過ぎなかったのである。岩波文庫って、そういう本が多いんですよね。
 今回、コロナ自粛という絶好の環境の下で、ついに、わたしは『美味礼讃』に手を伸ばすことになったのである。そして、読んだ。素晴らしい! いや、いいこと書いてるよ、さすがサヴァラン先生!

ブリア-サヴァラン『美味礼讃』(上・下)
関根秀雄・戸部松実(訳) 岩波文庫

 サヴァラン先生は、ただのグルメ(美食家)ではない。1755年に生まれたサヴァラン先生は、法律を学んで弁護士になり、同時に音楽も学んだ。ヴァイオリニストとしてもプロ級であったというからすごい。やがて裁判長にもなったサヴァラン先生は、歴史の波に呑みこまれた。フランス大革命が勃発したのである。サヴァラン先生は「王党派」と見なされて、革命政権からにらまれた。そして、スイスへ亡命する。そんなサヴァラン先生に、革命政権はなおもつきまとった。生命の危機を感じたサヴァラン先生は、ついにアメリカへ脱出したのである。サヴァラン先生は、柔弱なグルメではなく、激動する社会の最先端で生きた人だったのだ。大革命の混乱が終わり、祖国に戻ったサヴァラン先生は、高級官僚として生涯をまっとうした。そして、最後に、史上もっとも偉大な「食」に関する書物を書き残したのである。
 とりあえず、全体を眺めてみよう。
 最初に書いておくが、本来のタイトルは『美味礼讃』ではなく『味覚の生理学』で、「科学」の本(のつもりで書かれたもの)なのである。

 まず、長大な「味覚の生理学」第一部では、「味覚」「美味学(ガストロノミー)」「食欲」が厳密に分析され、それに続いて「食物」が全分野にわたって定義され、考察されてゆく。砂糖やコーヒーやチョコレートが新奇な食べものであったことには驚かされるが、でも、なんだかちょっとうらやましい。「揚げ物の理論」なんて書いているところは、啓蒙の時代のフランスはなんでも理論にしちゃうんだよねと思いますね。「美味学」があるなら、当然の如く「美食家(グルマン、もしくはグルマンディーズ)」や「女性美食家(グルマンド)」の考察もある。
 ところで、みなさんも興味をもたれると思うが、この史上最強にしてもっとも有名な「食」に関する本の中に、はたしてダイエットに関することが書かれているのだろうか。
 書かれてますよ、もちろん!
 さっすが、サヴァラン先生! だてに、革命政府の刺客から逃げきった人ではない。ただの美食家でありません。ちゃんと、200年後の我々のために役に立つことも書き記しておられるのだ。
 サヴァラン先生は「章」ではなく「瞑想」という名前で章の役目を担わせておられるのだが、その「瞑想二十一」のタイトルが「肥満について」である。もちろん、これは、科学の本なので、すべての事象について定義がされている。

「わたしがここに肥満症というのは、その人が病気ではないのにただ四肢がだんだんと容積を増加していき、その天性の形とつりあいとを失うような、そういう脂肪過多の状態をさすのである」

 いや、確かに、そうなんだが……。そして、もちろん、その原因についても、サヴァラン先生は、真理を追求する科学者のマインドによって厳密に考察されている。

「第一は各人の生まれつきの素質である」……救いようがない。

「第二の原因は、人間が日常の糧の基礎にしている澱粉類メリケン粉等の中にある」……だから困ってるんだよね。

 そして、さらに、
「肥満症の最後の原因は、食べすぎ飲みすぎである」……そりゃ、そうだよねえ……。

 もちろん、肥満への対処法もバッチリ。

「どんな肥満症の治療も必ず三つの規則から始まる。食事を控え目にすること、睡眠を節すること、徒歩または騎馬で運動をすること」

 食べすぎず、寝すぎず、運動をする……サヴァラン先生、それぐらいなら、わたしたちも知ってるんですが……。いや、そんな野暮なことはいうまい。要するに、健康になるための原理は、どんな時代も同じなのだ。わたしは、サヴァラン先生の大著を読みながら、そんなことを考えていたのである。
 もちろん、森羅万象、あらゆる学問・文化に通じていたサヴァラン先生の筆致は、断食の起源(もともとは、家族の死に際して悲しみのあまり、なにも食べられなかったことが、その起源なのだそうだ。心の中にそれほどの大きなモチーフがあれば断食など簡単にできるはずである)から、ローマ人たちが横になって食事をしたこと(確かに、どこかで読んだ記憶はあるが、実際に詳細に説明されるとびっくりする。ローマの貴人たちは横になって、というより、ベッドに寝ころがって食事をとったのである。そのせいで、酒はこぼすわ、食べ物は落とすわで、周りは汚れまくっていたそうである。それだけならば、まだいいが、男女入り交じって、ひとつの寝台に横になって食べているわけだから、エッチなことをする連中も続出したのだとか、酒池肉林とはこのことだったのか)など、「食」に関するあらゆる分野に及んでゆく。人類誕生以前の世界に思いを馳せ、世界中のあらゆる「食」に関心を示し、興味のある食材や料理なら、どんなに細かな情報も逃さない。まことに、「食」と「料理」に関する百科事典(エンサイクロペディア)とは、サヴァラン先生の、この『美味礼讃』のことであろう。
 確かに、サヴァラン先生は、「食」のすべてのジャンルを横断する。わたしたちが読む「食」や「料理」の本の中に、それほど壮大な規模のものは存在しない。これは、もしかしたら、百科全書が生まれた時代、大革命が起こった時代、知性や知識が信じられた、18世紀から19世紀フランスだからこそ可能であったのかもしれない。もちろん、サヴァラン先生の書物の世界は広大だ。けれども、正直にいって、それらひとつひとつの情報や知識は、いまでは目新しいものでもなく、その多くは、古いのである。サヴァラン先生の名著も、素晴らしい古典たちを襲った運命をたどったのであろう。
 だが、その中には、永遠の生命を保つと思われるものもある。最後に、そんなエピソードをみなさんに紹介したい。「瞑想二十二  肥満症の予防と治療」の中、「酸の危険」と題されたエピソードである。

 サヴァラン先生は、このエピソードに触れる前に「酸の常用」の危険について書いている。

「婦人たちの間には憂うべき俗説が信じられていて、そのために毎年幾多の若い女性たちが命を失う。というのは、酸類、特にぶどう酒の腐敗したものが、肥満症の予防になると信じられているのである。
 酸類を継続して使用すればやせることは確かだけれども、同時に若々しさも、健康も、生命も失われる。レモナードは中でいちばん弱いものだが、それでも長くこれに耐えられる胃はほとんどないといってよい」

「酸」ダイエットなど耳にした覚えがないので、長いダイエットの歴史の中ですでに淘汰されたのだろう。そんな、消えていったダイエット法・健康法はたくさんあったはずだ。 そして、サヴァラン先生は「ほとんどわたし自身の経験とも申すべき事実をお話しいたそう」とことばを続けるのである。

「一七七六年に、わたしはディジョンに住んでいた。わたしはそこの大学で法律を、当時次席検事だったギトン・ド・モルヴォー氏のもとで化学を、ブッサノ公の父であり、アカデミーの終身秘書であったマレ氏のもとで家庭医学を学んでいたのである。
 わたしはそこで、わたしの記憶に残っている限りの、もっとも美しい人を友だちとして愛した。
 友だちとして愛した、というのは決して嘘ではないのだが、考えてみれば、ずいぶん不思議なことである。まったく、当時のわたしは、恋をすればいくらでもできる年頃だったのだから。(中略)
 さてそのルイズというお嬢さんはたいそうかわいらしい人だった。ことに、つりあいのよくとれた、太りじしの典型的美人で、みる人をほれぼれさせ、芸術家の創作意欲をもかきたてるような風情だった」

 なんとも美しい青春の風景ではないか。だが、その人生のもっとも美しい季節に、影をおとす事件が起こった。ある晩、若きサヴァラン先生はルイズが「少しやせた」ことに気づくのである。もしかしたら病気なのでは。そう訊ねるサヴァラン先生にルイズは、「やせたとすれば、かえってけっこうだと思いますわ」というのである。
 サヴァラン先生の危惧は的中する。ルイズに会うたびに、彼女は「だんだんと顔色が悪くなり頬がくぼんで」きたからである。とうとう、サヴァラン先生はルイズを問い詰め、友だちから「太った」とからかわれ、やせようとして、一カ月の間毎朝酢を一杯ずつ飲んでいたことを告白したのである。

「さっそく皆が寄りあって相談をし、医者にも見せ薬も飲ませた。だがだめだった。命の泉はもうとり返しのつかぬ傷を受けていた。つまり、これはと気がつく時はもうおそいのである。
 かくしてかわいらしいルイズは、軽率な人の勧告を真に受けたばかりに、全身衰弱に伴う目もあてられない状態になって、あたら十八歳で帰らぬ人となった。(中略)
 わたしが死んでいく人を見たのはこれが初めてだった。まったく彼女は、外が見たいと言うので抱き起こしてやったその時に、かわいそうにわたしの腕の中で息をひきとったのである。彼女が死んでから八時間ばかり後に、うちひしがれた彼女の母親は、娘に最後の別れがしたいから一緒に来てくれと私に頼んだ。ふたりは彼女のなきがらの前に立って驚いた。なき人の相好には、かつて見たことのない、何とも言えぬはればれとした、夢みるような面影が現われていた。わたしははっとした。お母さんは、それをせめてもの慰めとなさった」

 サヴァラン先生が、生涯、独身を貫かれたのは、こんなエピソードのためだったのかもしれない。なるほど、どんな「食」や「料理」や「ダイエット」の本が、束になってもかなわないわけである。
 それにしても、わたし、毎朝、酢を飲んでいるのだが、もうちょっと無理かも……。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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