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読むダイエット 高橋源一郎

第4回 科学的か、愛か、それが問題だ……

更新日:2020/05/20

科学的か、科学的ではないか、それが問題だ……

 ダイエットに関して読んできた本はすでに200冊を超えた。その中には、おもしろい本も、つまらない本も、「眉に唾」しなきゃならない本も、うさん臭い本も、「おまえ、宗教か!」な本も、あった。当然とはいえ、その中には、科学的な説明をしている本も、たくさんある。こういった場合、こちらが最後に納得できるのは、科学的な説明、ということになる。ところが、だ。これがまた難しい。というのも、ていねいに読んでいくと、その本に書かれているのは、「その本が主張していることを支持するような科学的説明だけ」ということも多いのである。そりゃそうだ。「当方の主張に反する科学的説明もあります」では、商売にならないからである。
 世の中には「スタップ細胞はあります!」とか「宇宙人と交信しました」とか「あの世は存在します」といったことを「科学的に証明している学者」だっているのである。
 けれども、読んでいくと、その中には、「ここで使われている科学的説明は良心的だな」と思えるものもある。いま、とりあげた、2冊の「睡眠」本も、けっこういい線行ってたし。
 というわけで、現在のところ、あらゆる「ダイエット関連本」の中で、わたしがもっとも「良心的」かつ「科学的」だと考えている本を紹介してみたい。
 それは、『ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』(ティム・スペクター著 熊谷玲美訳 白揚社)だ。サブタイトルが泣かせる。『「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』ですよ。だって、ほとんどすべてのダイエット本が主張しているのは「これを食べれば健康になる」ということだからだ。

 ティム・スペクターさんは「ロンドン大学キングス・カレッジ遺伝疫学教授、英国医科学アカデミーフェロー。双子研究の世界的な権威であり、近年はとくにマイクロバイオームを中心に研究を続けている。これまでに発表した論文数は八〇〇本以上、論文の被引用数は世界でもトップ一パーセントに入る」(著者プロフィール)である。
 読んでみると、スペクターさんは、もともと双子研究の世界的権威で、双子研究のおもしろいところは「同じ遺伝子なのに、環境によって違いが出るのはなぜか」を調べることにあるからだ。なにより「疑り深い」研究態度が、いい感じなのである。スペクター先生は、この双子研究から、さらに歩を進めて、ダイエットや栄養学、人間の健康に深い関心を示した。そして、自ら、実験・研究をするだけではなく、世界中の信頼できる研究を集めてくださったのである。いい人だ。
 ちなみに出版している白揚社は、科学本の名作『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(ダグラス・R・ホフスタッター著)やガモフ全集やクワインの『哲学事典』等々、優れた科学啓蒙本や学術書で知られている。こういう場合、本の身元調査は絶対必要なのである。どことはいわないが、ダイエット本を出版している傍ら、他にどんな本を出しているか調べてみると、「オカルト本」だったり「占い本」だったりするから、用心しなきゃならないのだ。

「はじめに」を読んでいくと、スペクター先生が、この本を、というか、この種の研究を始めたのは、どうやら、健康を害してこれは食生活を変えなきゃと思ってみたものの、どの方法も信用できないことを発見して、じゃあ、自分で調べてみるか、と思ったのが発端だったのである。自分の健康のために研究したのである。そりゃ、真剣だよね!

「私は栄養学と生物学のさまざまなテーマについて何百もの科学論文を執筆してきたが、いざ自分の食生活を見直そうとしたとき、一般的なアドバイスに従うことはできても、実践的な判断をするのは難しかった」のだ。なぜなら、
「世間には、混乱を招く、矛盾したメッセージがあふれている」からである。

 すでに書いたことがあるように、世界には、無数のダイエット法がある。そして、それらをぜんぶ集めてみると、矛盾し、相反するものの集合となってしまうのである。いったい、なにを信じればいいのやら。ちなみに、スペクター先生が調べた限りで「ダイエットに関する書籍の数は三万冊を優に上回っていた」のである。すごいですね。
 ここで、スペクター先生の、科学者としての血が騒いだ。自分も健康になりたいけれど、人間が健康でいるための真実とは何かを研究しよう、もちろん科学者としての良心に恥じないように、と決心するのである。そういえば、と、そこでスペクター先生は思い出した。
「私が研究対象としているイギリス人の双子の多くにはダイエットの経験があるが、ダイエット経験の有無と体重の関係を調べてみると面白いことがわかった。全体として見ると、減量目的のダイエットを過去に三カ月以上やったことがある人のほうが、やったことのない人よりも太っている傾向があるのだ」

 ええええっ! これ、衝撃じゃないですかね。双子というのは遺伝子的にはまったく同じ生きものなんですが、彼らを研究してみてわかったのは、ひとことでいうと「ダイエットをすると結果的には太る」ということなのである。逆効果……。3万冊オーヴァーのダイエット本、基本的に意味なしですから。
 実は、わたしも経験的にそうじゃないかと思っていたのである。その理由について、スペクター先生は簡潔に、こう書いていらっしゃる。
「カロリー摂取量が減っても、私たちの体は進化によるプログラムに従って、その状態に適応するだけのようだ。つまり、制限だらけの単調な食事制限をしても、脂肪を減らすまいという体からの信号がそれを無効にしてしまうらしいのである。それに加えて、しばらく肥満の状態を経験すると生物学的変化がいくつも起こり、食べ物に対する脳の報酬メカニズムや脂肪の蓄積が、維持されたり強化されたりするようになる。ダイエットのほとんどが失敗してしまうのは、こうした理由による」

 わたしたちの体はきわめて保守的で、変化を好まない。こちらから一方的に「減量しろ」と命令しても、体の方は「イヤです」と返事をする。この、体の、変化を好まない在り方は、遺伝的でもあり、環境の影響もあるが、ある意味で、もっとも根本的な人間の性質なのである。でも、ダイエット本の著者は、みんな、減量したままじゃないですか。そう思われるかもしれない。みんな、スリムだし、からだは柔らかくて、ぴったり胸が床につくし。
 あの人たちは、超人だから、できるのである。自分のダイエット法を信じて、それを布教することに全身全霊をかたむけているから、あの体型を保っていられるのだ。生物としての在り方を否定できるぐらい強い意志を持っているから、できるのだ。
 ふつうの人は無理です。みんな、リバウンドします。簡明にいうと、スペクター先生が、(300頁を超えるこの本の中で、あらゆる分野の栄養に関する臨床的研究をもとに)たどり着いた結論は、以上のようなものである。
 それでは、わたしたちは、無力なのか。ダイエットが可能なのかどうかはともかく、人間というものが健康になるためには、何を食べればいいのか。どんな食べ方をすれば、豊かに生きられるのか。
 こんなことを考えながら、スペクター先生は、あらゆる食べものの善し悪しを吟味し、わたしたちがよく知るダイエット法や健康法の謎について、科学の立場からメスを入れてゆくのである。
 わたしがスペクター先生を信頼するに至ったのは、まず、この本で、(あくまで)「結論のようなもの」にたどり着くまでの過程が、まるで冒険小説のようだからだ。主人公のスペクター先生が、ときに失敗し、ときに成功したかと思うと、結局はぬか喜びに過ぎなかった、という波瀾万丈の物語としても読めるのである。あるいは、探偵小説のようでもあるからだ。

ティム・スペクター『ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』
熊谷玲美(訳) 白揚社

 いや、それ以上に、この本の向こうに透けて見える、スペクター先生の人柄や生活スタイルが信用できるように思えるからだ。
 いや、もっとはっきりいって、スペクター先生の文章が、読むに耐えるからなのである。 わたしは、どんな本でも読む。どんな種類の本でも。60年以上読みつづけて、結局、出た結論は、たったひとつ。
 すぐれた作家は、その人が書いた文章を判定すればわかる。同じように、すぐれた学者も、その人が書いた文章でその程度がわかる、のである。もちろん、すぐれた内容(であるはず)なのに、文章が追いつかない書き手も、たいした内容でもないのに、文章で誤魔化すことができる書き手も、いないわけではない。けれども、それは、例外に留まるのである。
 ノーベル賞を日本で最初に受賞した物理学者・湯川秀樹の達成した学問の中身は、わたしにはよくわからない。しかし、彼が書いたエッセイのレベルの高さに驚愕することはできる。数学者・岡潔の文章、経済学者・都留重人(やカール・マルクス)が書いたもの、例をあげればきりがない。いちばんいい例は、昆虫学のファーブル先生ではありませんかね。

 さて、話をつづけよう。スペクター先生が、最後に見つけた「食と健康」を司る犯人は、「腸内細菌」であった。遺伝的ちがいや人種的ちがい、歴史的ちがい、さまざまな環境によるちがいを、厳密に除いてゆき、最後に残る健康の秘密は、わたしたちの腸の中に蠢く無数の細菌たちだったのである。実は、この点については、たくさんの本で触れられている。現在、健康とダイエットに関して書かれるものについて、もっともポピュラーなテーマなのだ。だから、スペクター先生の本が腸内細菌をとりあげていることがすごいのではない。それをあらゆる食品や栄養、健康法について応用し、実験・観察してみせたことがすごいのである。
「朝食抜き」は健康に悪い、という俗説を、綿密な研究の下に一蹴し、「抜いても抜かなくても、どちらが健康に悪い、というエビデンスはないよ」とあっさり証明してくれる箇所など、涙なしでは読めない。そんなスペクター先生の真骨頂はやはり最後のところだろう。ちょっと、長編小説のラストっぽくて、いい感じなので、引用しておこう。
 最終節のタイトルは、「腸はあなたの庭である」だ。

「万能のダイエット法などというものは存在しない。ここまで繰り返し見てきたように、脳や腸は個人差がとても大きいし、食べ物に対する体の反応も人によってさまざまで、なおかつ柔軟性が高いからだ。また、二番煎じの理論が正確な実験結果の一万倍もあふれているこの世界では、絶対に間違いを犯さない専門家や、完全に公正な判断を下せる人も存在していない。現代は合成DNAやクローン動物さえも生み出せる時代だが、実のところ、私たちの生命を支える仕組みについては、驚くほど少ししかわかっていないのだ。こうしたことを考えれば、私たちの人生は、自分の体にとって最適な食生活を見つけるための、いわば発見の旅とも言えるだろう。
 私がこの本で実現したかったのは、ダイエット法や食べ物にまつわる無数の神話の真実を明らかにすることだった。それによって、もっともらしく売られているダイエット商品や食品の宣伝文句を、読者のみなさんが懐疑的な目で見られるようになったのなら、著者冥利に尽きると言えよう。また私は、ダイエットの神話や根拠のないルールを一掃しようとするにあたって、それらの代わりに新たな制約を持ち出すのではなく、知識をもたらそうと試みた。その代表的なものが腸内細菌だった。
 私たちの腸とそこにすむ細菌は、庭の手入れをするように世話をしてやることで、きっと豊かになっていくはずだ。肥料、つまりプレバイオティクスや食物繊維や栄養素をたっぷりと与えよう。そしてその庭には新しい種(たね)、つまりプロバイオティクスや未経験の食べ物を定期的にまいてみよう。断食をして、ときどき土を休ませるのもいいだろう。保存料たっぷりの加工食品や殺菌効果のあるマウスウォッシュ、ジャンクフードや砂糖で、自分の腸という庭の反応を試してみるのはかまわない。しかし、それで庭が汚染されてしまうようでは本末転倒である。
 こうして世話をしていけば、あなたの腸内細菌の種類は増え、多様性が最大限に高まり、さまざまな栄養物を合成してくれるようになる。たまに洪水(食べすぎ)や干ばつ(空腹)、あるいは有害な雑草の侵入(感染症やがん)が起きても、腸内細菌の豊かなコミュニティがうまく対処してくれる。もちろん、嵐が襲来すれば多少の犠牲は避けられないだろう。しかし、多様性とバランスのおかげで、その災害を乗り切った後には、あらゆる細菌が再生して、それまで以上にしっかりしたものになり、体や腸内細菌を健康に保ってくれるはずだ。自分の体を寺院だと考えなさいという教えがあるが、私はむしろ、自分の体をこうしたかけがえのない庭と考えていきたいと思っている。
 ダイエットと食生活について、研究すべき問題はまだたくさん残されている。しかしそれでも、多様性こそが謎を解く鍵ではないか──私はそう直感している」

 いい文章の定義は、そこに書かれているそれ以上のことをわたしたちに考えさせる文章であることだ。
 だとするなら、スペクター先生のこの文章こそ、そうではあるまいか。確かに、ここで、スペクター先生は、「腸内細菌」やダイエット法について書いている。しかし、「汚染」や「庭」や「洪水」や「干ばつ」や「コミュニティ」や「多様性」ということばが、わたしたちに指し示すものは、もっと大きなものではあるまいか。
 思えば、ダイエット以上に個人的なものはない。最初から「わたしと一緒にダイエットしない?」と呼びかける人はいない。ひとりでひっそり、「太ったから痩せたいな」と思って、静かに始めるのがダイエットなのだ。
 しかし、スペクター先生は、ダイエットや健康は、食べ物や体のことを考えることがなくては不可能であり、そして、食べ物や体は、個人的な問題に留まらないことを示唆してくれるのである。人びとの精神や社会を変えることなく、食べ物や体を変えることはできず、そしてそれ故、ダイエットに成功することも健康になることも不可能なのではないか、そんなことを、スペクター先生はおっしゃっているような気がするのである。健康な社会がなくては、健康な体は生まれないのだから。
 最後に、スペクター先生の、たくさんあるアドバイスの中の一つを、書き記しておきたい。これは、わたしがもっとも気に入っているアドバイスだ。
 スペクター先生は、健康で知られる地中海沿岸諸国の人たちの食事を研究し、こう書いている。

「食事を心から楽しむ人々は実際に、その脳を通じて、自分自身をより幸せな気分にさせると同時に、腸内細菌を刺激することができるのかもしれない。前の章で述べたとおり、フランスや地中海沿岸諸国では、自分たちの食事や食の伝統に愛着をもつという文化があり、そうした国の人々はアングロサクソンと比べると、食事をしたり、それについて語り合ったりすることにはるかに長い時間をかけるものだ。そして彼らは、自分たちの祖母が食べていたものは何であれ、自分たちにとっても良いものが多いということを、しっかりとした食文化を通して理解しており、祖母の時代と同じ調理法を絶えず学んでいるのである」

 この節のタイトルは「祖母が食べていたものを食べること」だ。
 ここには深い文化的叡知があるように思える。「おばあちゃんと同じものを食べるダイエット」がなぜないのだろうか。それは、おばあちゃんやおじいちゃんと同居しなくなったからである。わたしたちやわたしたちの息子や娘、孫たちは、おばあちゃんが何を食べていたのかを知らないのである(もしかしたら、いまの「おばあちゃん」はすでに、「そのおばあちゃんが何を食べていたのか」を知らないのかもしれないのだが)。
 確かにそうだ。わたしの記憶の中で、母方の実家で祖母や祖父が食べていたもの、その食卓に並んでいたものは、新鮮なもので種類も多かった。加工食品も保存料を使ったものもジャンクフードも存在しなかったのだから。
 いや、だからといって、絶望することはあるまい。スペクター先生のいう通り、必要なのは「多様性」だからである。
 最後に、もう一つ、わたしの好きな本を一冊、紹介しておきたい。
『海老坂武のかんたんフランス料理──シングルライフ、84歳のおもてなし』(海老坂武著 編集グループSURE)である。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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