読み物
第16回 失われた「食べる」を求めて
更新日:2023/02/01
あの頃、「食べもの」たちには魔法がかかっていた
「アイスキャンディを売っていた小さな雑貨店のような店のどこにも、アイスキャンディを作る設備があったとは思えない。製造元が、卸しに来ていたはずだ。ブロック・アイスを使うアイスボックスしかなかった時代に、そのようなアイスキャンディはなぜ溶けなかったのか。溶け始めた印象のあるアイスキャンディを、店のおじさんやおばさんから受け取った記憶は皆無だ。いつどこでアイスキャンディを買っても、それは完全に凍って完成の域に達し、そのままの状態が維持された新品そのものだった。まず最初にそれを舐めるとき、舌の先が軽く貼りつくほどに、どのアイスキャンディも美しく凍っていたではないか。自転車で売って歩くおじさんから買うアイスキャンディですら、そうだった。いったいどんな工夫があったのか。
アイスキャンディが持っている魅力で最大のものは、リアルではないことだ。アイスキャンディそのものは、充分にリアルな現実なのだが、周辺に無数にあったはずのさまざまな現実のどれとも、アイスキャンディは結びついていない、という印象を僕は強く持った。虚空に浮かんだ架空の食べものだ。
食べ終わると、細い棒が一本、手のなかに残った。頭のてっぺんを照りつける日本の夏の陽ざしに、この一本の細い棒はよく似合った。消えてしまったアイスキャンディの、ファンタジーとしてのリアルさの、名残ないしは思い出だ。地面に数センチだけその棒を埋め、その上から足でいっきに踏みつけ、棒が倒れたり折れたりせずに、そのぜんたいが地面にめり込むかどうか、という遊びのあとには、名残や思い出すらどこにもないのだった」(「アイスキャンディ」)
そうだったのだ。大人にとっては、「食べもの」は、単なる「食べもの」でしかない。「食べもの」以上でも以下でもない。そういう存在だ。
だが、子どもにとっては違うのである。まだ、世界にやって来て間もない子どもにとっては、目に入るものすべて、手で触るすべて、耳で聞くすべてが新鮮だ。それがなになのかわからないのだ。それがなになのかを、子どもたちは、「学習」することで学んでゆく。教えられて、知ってゆく。だが、「知識」として覚える前に、唐突に、突然に、「それ」はやって来る。それは、大人たちや、社会が教えてくれるものとはちがう。
そのとき、「食べもの」は、単なる「食べもの」ではない。子どもたちにとっては、世界が豊かであることを教えてくれるサインなのだ。
「悲しい」ということ、「嬉しい」ということ、「怖い」ということ、その意味、その感情を、教えてくれるもの。大人にとっては、それは「事件」だ。人との出会いだ。
けれども、大人より遥かに繊細な感情を持つ生きものである子どもは、もっと別ななにかからでも、それを教わることができる。たとえば、「食べもの」のようなもの、によってである。
わたしもまた、たくさんのアイスキャンディを食べた。色とりどりのアイスキャンディを。ときにはひとりで、ときには友だちと食べた。親と食べることはなかった。なぜなら、アイスキャンディは子どものものだったからだ。
それは「食べる」ものであり、「お菓子」であったけれど、同時に、「棒」についているなにかでもあった。1本の棒こそが主役で、そこに固くこびりついた氷状のなにかは、脇役なのかもしれなかった。なぜなら、よく、わたしも棒を捨てずにとっておいたりしたからだ。そんな完璧な小さな棒状のものを、わたしたちはつくることができなかったし、ものによって、棒に字が印刷されてあったりした(アイスキャンディではなく棒状のアイスクリームだったかもしれない)。それは、「おまけ」の印で、「的中」と書かれてあると、もう1本もらえるのだった。
そこには、アイスキャンディの周りには、豊かな世界があった。だから、わたしは、よく自転車に乗って駄菓子屋に行き、アイスキャンディを買った。アイスキャンディが収納されていたのは筒型の小型冷蔵庫のようなもので、上方に丸い蓋があって、その蓋をとると、中にアイスキャンディがぎっしり詰まっていた。わたしは金を払い(5円だったろうか、それとも10円だったろうか)、店主からアイスキャンディを受けとった。そして、棒を掴んで、本体を口に入れた。感想は「冷たい!」だ。ただ冷たかった。甘さを感じるためには、ほんの少し時間を必要とした。その凍るような質感の向こうに、やがてうっすらと甘さの帝国が姿を現すのだった。
「六歳、七歳、八歳といった年齢の子供の頃、ハーシーのチョコレート・バーにいまひとつ心ときめくものを僕が覚えなかったのは、包装紙のデザインのせいではなかったか。ハーシーズ、という一語が包装紙の前面ほぼいっぱいに、四角く硬い感触で、デザインしてある。いまでもおなじだ。ここに重苦しさのようなものを、子供の僕は感じたのではなかったか。平坦な長方形であることも、やや重い雰囲気をかもし出す方向へと、加担していたように思われる。
包装紙をはがすと、当時の言葉では銀紙と言った薄い皮膜のようなもので、ぜんたいがくるまれていた。この銀紙もはがし、銀紙だけにして丁寧に平らにすると、それはまさに銀紙としか言いようのない、不思議な物体として目の前に軽く横たわるのだった。銀紙だけでくるまれた状態のバーの、あちこちを指先で押していくと、板状のチョコレートに刻んである縦と横の溝がへこみ、それによって規則的にならんでいるひと口サイズのいくつもの小さな長方形が、銀紙の下に浮き上がった。この遊びはやや面白かった。飽きると指先で強く押す。銀紙は破れ、その下のチョコレートがあらわれた。それはまさにチョコレート色をしていて、その事実も僕にとってはどちらかと言えばつまらないことだった。銀紙をすべてはがすと、溝に沿ってぜんたいをいくつものピースへと割っていく遊びが残るだけだ。だからみんな割ってしまう。完全に遊び道具だ。ひとつくらいは食べただろう。
(中略)
誰もがチョコレートをたいそう好んだ。あっと言う間にひとつ残らずなくなり、包装紙や銀紙を持って帰る子供もいた。夏は柔らかくなって指先についた。その感触をいま僕は思い起こそうとしている。冬には硬くなった。これを金槌で叩いて砕き、細かい破片をヴァニラ・アイスクリームにふりかける、という食べかたを教えてくれたのは、両親がサンフランシスコ生まれの二世だという、ゴードンという名の少年だった」(「玩具として買うには面白い」)
片岡よりおよそ10歳年下のわたしにとって、片岡とちがい、「ハーシーのチョコレート・バー」は特別な存在だった。もしかしたら、プルーストがすべてを思い出すきっかけとなった「プチット・マドレーヌ菓子」は、わたしにとっては「ハーシーのチョコレート・バー」だったかもしれない。
朝起きると、いつも、枕もとに「お目覚(めざ)」のお菓子が置いてあった。いったい、いつどんなきっかけでそんな習慣が生まれたのだろう。上京してからはそんな習慣がなくなってしまったので、それは、小学校入学までの数年間のことだったろう。まだわたしの家が豊かであった頃の出来事で、わたしは、ほとんどなにも覚えていない。覚えているのは、微かに、枕もとにあった「ハーシーのチョコレート・バー」(和菓子のときもあった。「金鍔」のようなアンコのお菓子だった)だ。
なぜ、「ハーシーのチョコレート・バー」だったのだろう。おそらく、それは、両親にとって、子どもに与えることのできる「豊かさ」の象徴だったのだろう。「板チョコ」は国産のものもあったはずだが、わたしの枕もとにあったのはいつも「ハーシー」だった。「ハーシーのチョコレート・バー」が素晴らしかったのは、いうまでもなく、それを包む「銀紙」のせいだった。味の方は覚えていない。チョコレートはチョコレートだ。けれども、ときどきもらう、国産のチョコレート・バーよりも「ハーシー」のそれは、ずっと分厚く、そして圧倒されるような銀紙で飾られていた。わたしもまた「銀紙だけでくるまれた状態のバーの、あちこちを指先で押していくと、板状のチョコレートに刻んである縦と横の溝がへこみ、それによって規則的にならんでいるひと口サイズのいくつもの小さな長方形が、銀紙の下に浮き上が」るのを見た。それが「ハーシーのチョコレート・バー」を味わうことだった。朝起きて、まどろみながら、枕もとに「それ」を見つける。ああ、朝なのだ、と感じる。「それ」がある。わたしは守られている、と感じる。豊かななにかに守られている、と。
あの頃、「食べもの」たちには魔法がかかっていた。わたしたちが食べたのは、ただの「食べもの」ではなかった。そんな食べものだけが、わたしたちの「栄養」になり、「身体」だけではない部分まで育てることができるのである。
撮影/中野義樹
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。