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読むダイエット 高橋源一郎

第12回 なんでも食べてやろう……かな

更新日:2021/10/20

天皇と「煮アメフラシ」

「アメフラシ」は「食性は草食であり、アオサなどの沿岸の海藻を食べ、40cmほどに成長するものもある。雌雄同体で、3個体以上が連なって交尾をし(自分の前方の個体に対してはオスになり、後方の個体に対してはメスとなる)」とある。この部分を読んだとき、なんだかわからないが、ショックを受けた。みなさん、どうです。思わず、それが人間だとしたら、と想像しようとしたが、想像できませんて! なんてすごい生きものなんだろう、アメフラシ。しかも、アオサを食べてるなんて、超ヘルシー。それだけではない。さらに、びっくりしたのは、以下の記述だ。

「生物学に通じ、『相模湾後鰓類図譜』という著書(正しくは『相模湾産後鰓類図譜』というらしい)もある昭和天皇も、アメフラシを試食した一人である。どんな料理法で食べたかは不明だが、後に『いやあ、おいしくはなかったネ』との感想をもらしている」(著者注。出典は末広恭雄『新・魚ものがたり』)

「ゲテ食」→「アメフラシ」→雌雄同体→「自分の前方の個体に対してはオスになり、後方の個体に対してはメスとなる」→「いやあ、おいしくはなかったネ(昭和天皇)」、僅か2頁でのこの展開だ。早すぎて、とてもついていけません。
 というか「ゲテ食」の本の中に「昭和天皇」が登場するとは想像もできないではありませんか。
 著者は、それ以上書いてはいないのだが、昭和天皇の(ほぼ)伝記小説を書いているわたしとしては、見逃すことができない指摘である。確かに、昭和天皇は、きわめて学者気質な方であり、進取の気性の持ち主でもあった。偉大な博物学者・南方熊楠と親交があったことでも有名だが、熊楠もなんでも食べる人だった。おそらくは、採集した魚類を、ずいぶん試食したにちがいない。記録が残っていれば、貴重なものになったのになあ……。
 残念ながら、昭和天皇が、アメフラシをどのように料理したかはわからないが、この本の著者は「煮アメフラシ」にして食べている。
 次のような手順である。アメフラシを捌いて洗う。だが、本格的に「煮アメフラシ」を作る前に「少し身を切り取って、生食してみることをおすすめする。軟体動物らしい弾力と、シャクシャクとした歯切れの良さを併せ持つ不思議な食感である。新鮮であれば、生臭さはなく、口の中にセリに似た芳香が広がる」のである。

 いや、アオサの次はセリだ。もしかしたら、アメフラシは高級食材ではないのだろうか。ちなみに、著者によれば、食用としている地域もあるらしい(「茨城県那珂湊市・湊地方や、奄美諸島・徳之島など」らしいが、茨城と奄美の間には、我々の知らない歴史があったのだろうか)。
 そして、アメフラシ数匹を、沸騰したダシ汁カップ2に入れ、酒カップ1/4、みりん、醤油各大匙3を投入して、汁が半量になるまで、30分ほど煮た後、冷まして味を含ませて完成である。どう考えても美味しそうでありませんか。
 こうやって書いてみると、ぜんぜん、「ゲテ食」という感じがしない。というか、単に、海岸でキャンプをやって、食材を調達しているだけのような気分になってくる。この原稿を書いているうちに、なんだか、「煮アメフラシ」を作って食べてみたくなってきた。「スープ入れ」にダシ汁を作っていれ、飯盒を持って、ちょっと、海岸まで行ってくるかな。ちなみに、昭和天皇は、葉山御用邸の料理長にアメフラシを調理させたそうだ。「いやあ、おいしくなかったネ」といったのは、調理法に問題があったのかもしれない。おそらく、御用邸の料理長もアメフラシなんか調理したことがなかっただろう。わたしの推測では、エスカルゴ風にバター風味にしたとみている。「煮アメフラシ」にしたら美味しかったのにね。昭和天皇は、生物採集が大好きで、外を歩くのは得意だったそうだ。おそらく、この本の著者とも意見が合ったはずである。

カフカの『変身』と「クロゴキブリのソテー」

 カフカの『変身』が、現代文学の最高傑作の一つであることについて、反対する作家は一人もいない(はずである)。「唯一最高」となると、「そこまでは断言できない」と文句をつける作家もいるかもしれない。だが、『変身』が、我々、現代に生きる作家にとって、仰ぎ見るべき高峰であることは間違いない。

「ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた。甲羅のように固い背中を下にして横になっていた。頭を少しもち上げてみると、こげ茶色をした丸い腹が見えた。アーチ式の段になっていて、その出っぱったところに、ずり落ちかけた毛布がひっかかっている。からだにくらべると、なんともかぼそい無数の脚が、目の前でワヤワヤと動いていた」(『変身』池内紀訳)

 あまりにも有名な『変身』の冒頭である。さて、問題は「グレーゴル・ザムザ」が変身してしまった虫が何なのかということだ。『変身』の中では、特定されていないのである。
 というか、カフカはあえて、その虫の名前を書かなかった。だが、ヒントはある。
 わかっているのは、
(1)「甲羅のように固い背中」
(2)「こげ茶色をした丸い腹」は「アーチ式の段になって」いる。
(3)「かぼそい無数の脚」
 ご安心ください。さらに先の方に、もっとすごいヒントが隠されているのである。次のページによると、
(4)「全力をこめて右側に寝返りを打とうとするのだが、そのたびにシーソーのようにもどってしまう」

 おわかりだろうか。これらの特徴を有していて「家で見かける虫」といえば、ゴキブリしかないのである(「無数の脚」というのは、ちょっと微妙だが)。
 いや、実は、もっと決定的な証拠を、わたしは入手している。『変身』の「虫」が、ゴキブリであるという説は、昔から有名なのだが、実は、いまあげた部分をその証拠としている。けれど、わたしが発見した、次の箇所を証拠に採用した評論はまだ読んだことがない。それは、グレーゴルが、「虫」になってから初めて、自分の部屋を出るシーンである。「虫」になったグレーゴルを見て、様子を見に来ていた、会社の「支配人」は衝撃のあまり逃げ出す。そのとき、グレーゴルの父は、驚くべき行動に出る。じっくり読んでいただきたい。

フランツ・カフカ『変身』
池内紀(訳)
白水Uブックス

「支配人が逃げ出したせいで、それまでわりと冷静だった父が、情けないことに理性を失ったらしいのだ。というのは支配人を追いかけるかわりに、少なくともグレーゴルが追いかけるのを邪魔してはならないのに、右手でステッキをつかみとった。支配人が帽子と外套とともに椅子に残していったしろものである。さらに左手でテーブルの上のひろげたままの新聞をつかみとると、足を踏み鳴らしつつ、ステッキと新聞を振りまわして、グレーゴルを部屋へ追いもどそうとするのである」

 その姿を見た瞬間、つい「新聞」をつかみたくなるもの。そりゃあ、ゴキブリしかいないでしょう。ちなみに、そのあとのくだりでは「あとずさり」も「向きを変えること」もできないと書かれております。120%、ゴキブリですね。
 さて、その「ゴキブリ」についての評価は、「入手しやすさ」が「◎」で「味」は「△」というから、とりわけ、食用としてお勧めの生きものではないことは明らかである。
 ところで、もう一度、『変身』に戻るのだが、どうして、カフカは(おそらく)ゴキブリを、小説の主人公にしたのか。それは、ゴキブリが、「家庭内で嫌われているもの」の象徴だったからだと思われる。まことに不憫なことだ。ただ、見かけがキモいというだけで、散々な目にあうのである。その点を、著者も厳しく糾弾している。

「(ゴキブリは)静かな暮らしを好む、穏健な平和主義者である。人間に咬み付いて吸血するわけでも毒液を分泌するわけでもなく、一般に思われているほど不潔でもない。頻繁に触覚や脚を掃除する、むしろきれい好きな昆虫であり、皮膚から殺菌効果のあるクレゾールなどを分泌しているという報告すらある。彼らに対する、ヒステリックな差別や迫害は、主に『存在自体が不快である』という、はなはだ理不尽な理由によるものなのである」
 申し訳ないが、またしても、『変身』に戻ってしまうのだが、作者であるカフカはユダヤ人であり、主人公のザムザの変身とその「迫害」は、ユダヤ人への社会の視線を想像させる。「ヒステリックな差別や迫害」が、この作品が書かれて20年ほどして、ドイツで始まることは、みなさんもご存じの通りである。
 では、我々は、「ゴキブリ」への「差別と迫害」をやめるにはどうすればいいのか。
 そこで、「食べることである」と主張するところが、この本の真骨頂だろう。
「食べること」による、「差別」からの解放。なんという斬新な視点であろうか。

「下らぬ偏見は取り除かねばならない。そのためには、全ての人間が、ゴキブリを飼育してみるのが一番である。飼ってみれば、ゴキブリが、比較的近縁のコオロギと、あまり変わらない姿形をしていることに気付くだろう。幼虫のうちから育てれば、愛しさもひとしおである」

 著者は、さすがに屋内を闊歩しているゴキブリを捕まえて食べることは推奨していない。ゴキブリのせいでなく、家が汚れているからだ。その代案として、ゴキブリの「飼育」を推奨するのだ。さすがに、その発想はありませんでした。著者によれば、「飼育」はけっこう簡単で、「空き瓶」に入れ、「ボール紙や木片などで隠れ場所を作ってやり、清潔な水を含ませた脱脂綿を入れ」水分を補給してやればオッケー。エサも、とりあえず、人間の食べるものなら何でもいい、というのが最高だ。
 著者は、飼育したクロゴキブリを食べたが、飼育していたときのことを思い出し、「涙を禁じ得なかった」そうだ。いわゆる「命の授業」(学校でブタさんを飼育した後、そのブタさんをみんなで食べること)は、なかなかハードルが高いが、これなら、けっこう楽にできるのではないだろうか。ゴキブリを使った「命の授業」、どうでしょう。
 さて、最後に調理である。材料は、「クロゴキブリ適宜、塩少々、食用油少々」。
「(1) ゴキブリはアルコールか熱湯を掛けて、おとなしくさせる(著者注。調理中に逃げ出さない用心である)
(2)フライパンを熱し、油を引き、ゴキブリを入れる。
(3)火を弱め、まんべんなく火が通るように、返しながらじっくり焼く。
(4)塩を振って味を付け、器に取って供する」
 以上である。なんとシンプルな、というしかない。ちなみに「胸の筋肉には、甲殻類にも似た昆虫独特の旨みがある」そうだ。ただし、「内臓には軽い苦みが残るので、数日間、絶食させてから調理した方が良い。硬い翅を取り除いて賞味する」。
 もうなにがあっても大丈夫。家の中に、食料源がある(いる?)のだから。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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