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読むダイエット 高橋源一郎

第11回 筋肉ってなんだ?

更新日:2021/09/01

バズーカさんと「筋肉」への道

 バズーカさんは、子どもの頃、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画『コマンドー』を見て、走るシュワルツェネッガーの「震える大胸筋」に感動し、筋肉を鍛えようと思いたったそうだ。そんなバズーカさんは、ボディビルダーであり、トレーナーであり、大学の先生でもある。そして、著作もたくさんある。中でも、もっとも感動的なのは『世界一細かすぎる筋トレ図鑑』(小学館)だろう。ここまで、「筋肉」というものに肉薄した書物は、世界広しといえども、他に類を見ないのではないか、と思える一冊だ。一つ一つの部位を鍛えるための、まるで、優れたコピーライターが考えたような章タイトルが美しい。

岡田隆『世界一細かすぎる筋トレ図鑑』
小学館

 肩の筋肉群を鍛えるためには「肩にメロンをつくる(確かに、ボディビルダーたちの肩は、メロンっぽい)」、上腕を鍛えるには「前脚のような上腕をつくる(腕も脚も同じ次元で考えるのか、昆虫?)」、胸を鍛えるには「はち切れそうな胸をつくる(ここまではふつうだが、サイドコピーが「シャツが破れるまで胸板を盛り上げる」ですから)」、首から肩を鍛えるには「首から肩に壮大な山脈をつくる(なので、ボディビルダーたちの顔は「山脈」にめりこんでます)」、臀部を鍛えるには「尻にバタフライを宿らせる(このあたりになると完全に詩ですね、尻が蝶々って……)」、太腿を鍛えるには「馬のような太ももをつくる(なにしろ、腕が脚なので、脚は他の動物にするしかないわけです)」。 しかし、これでは、「ボディビルダーたちが筋肉をつくるための本」なので、わたしたち一般人の「健康保持」のためには、あまり参考にはならない。
 だが、それが「食事」となると、別問題だ。バズーカさんには、『筋肉をつくる食事・栄養パーフェクト事典』(ナツメ社)、『マンガでわかる 脂肪だけを狙って落とす! 徐脂肪ダイエット』(ナツメ社)、『新しい筋トレと栄養の教科書』(池田書店)、『栄養で筋肉を仕上げる! 無敵の筋トレ食』(ポプラ社)と、わたしたちにも参考になる本がたくさんあるが、その中でも一冊を選ぶとするなら『ビジネスパーソンのための筋肉革命 体と人生が変わる最強かつ最高のメソッド70』(KADOKAWA)だろう。
 この本の素晴らしいところは、核心となる部分が、いかにもアスリートらしい、くっきりはっきりした短い文章であることだ。そして、ボディビルィングという究極の運動・ダイエット(筋肉は増大するが、脂肪は極限まで減らすので、実は真のダイエットなのである)を通じて得られた真理を、一般の人たちに向かって「布教」するパンフレットであることだろう。
 あんな、ものすごいトレーニングをするボディビルダーたちのやっていることなど、とても我々には無理……と思うのではなく、彼らがやっている実践の中にこそ、健康なからだを得るための実践的な智恵が満ちているのである。

岡田隆『ビジネスパーソンのための筋肉革命 体と人生が変わる最強かつ最高のメソッド70』
KADOKAWA

「鍛えるよりも、技を磨くよりも、まずは心を正すこと。意外に感じるかもしれませんが、ボディメイクは心が10割です……(決めゼリフいただきました。「ボディメイクは心が10割」、ここまで読んでこられた方はおわかりのことだろう。すべての道は「心」へ通じている。おそらく、この連載、何回かあとには、「座禅」や「瞑想」あるいは「信仰」について論じているはずである)……体づくりというものは、自分を信じる以外に道はありません……これまであなたの体が変わらなかったのは、信じることができずに継続できなかったからにすぎません……断言します。落ちない脂肪はないし、つかない筋肉はありません……(からだに関する科学的知識を万全に備えて、なお、バズーカさんは「信」こそもっとも大切というのである、まるで親鸞のようだ)……(では、とりあえず、「食べる」ときにはなにが大切なのか)……「食べない」という選択肢は存在しない……(ここで、バズーカさんは、ふつうのダイエットの考え方を否定している。なにかを「食べない」のではなく、なにを「食べる」べきなのかを考えよ、と)……ゆっくりと噛んで食べる、を徹底する……(母やばあちゃんがいっていたことと同じだ!)……食事で季節を感じられるようになれば、体は変わる……(これも、以前、紹介した、おばあちゃん料理家のみなさんと同じ、もしかしたら、食事に関しては、おばあちゃんたちのものを流用すればいいのではないだろうか)……侮るなかれ、徒歩移動……ただ歩く。それだけで、体脂肪が燃える。歩け。ただ、ひたすらに……(ハイ! わかりました!)……令和の時代に私が推したいエクササイズは、古(いにしえ)から存在する『階段』の上り下りです……(ふ、ふつう!)……なぜ、私がそこまで階段を推すのかというと、ただの有酸素運動による脂肪燃焼にとどまらず、尻&脚といった下半身を強化する自重の筋トレになるからです。その効果は、ビルダーでない限り脚トレは階段で十分だと言えるほど……(で、ここから先は、もうちょっと上級者用のアドヴァイスです)……いいカラダになるほど集中力が研ぎ澄まされる……(カラダは心、ですね)……『本当は』どうなりたいのか。今一度、鏡のなかの自分に問う……(もはや、運動やトレーニングを超えた地点ですね)……今こそ、幼い頃に思い描いた自分になれるチャンスだ……(わたしの場合、からだのことを考えてなかったと思うが)……(からだを変え、見た目を変えると、どうなる)……平たくいえば『モテる』……(そうなんですか? なぜ?)……自分が『筋肉という人間の基本性能』に対して惜しみなく時間と労力をかけてきたということに胸を張ることができるようになったからです……(なるほど、ボディビルダーのあの自信たっぷりな様子はそこからやって来たのか)」

 この世でもっとも厳しいトレーニングと食事のコントロールに気を使い、最強・最良の筋肉を得るために全てを捧げるボディビルダーが、「食べる」ことに関して、おばあちゃん料理家たちと同じ考えを持ち、また、「運動」に関して、健康を目指す老人たちと同じ程度でもかまわない、と考える。もちろん、真のボディビルダーは、老人たちなど想像もできない、途方もないトレーニングを行うだろう。だが、本質的には、変わらないことなのかもしれない。つまり、自分自身をコントロールすることに違いはないのだから。
 もしかしたら、そこには、わたしたちが生きてゆく上で目指すべき「なにか」、「真実」に似たなにかがあるのかもしれないのだが。

 最後に少し、いままでとは異なった観点から、この問題について考えてみたい。

「ボディビル」といえば、わたしたちにとって、忘れられないのが三島由紀夫である。三島由紀夫がボディビルで鍛えあげたからだの持ち主であったことは知られているが、彼が、日本にボディビルディングというものが輸入された、その最初の時点から、接触し、取り入れたことは、あまり知られていない。
 わたしは、バズーカさんに、三島由紀夫の「筋肉」について訊ねた。すると、バズーカさんは、間髪を入れず、こう答えた。

「あの筋肉はすごいです。特に、大胸筋ですね。ボディビルディングでいちばん大切なものは、なんだかご存じですか?」
「わかりません」
「実は……知性なんですよ」

三島由紀夫と反ダイエット

『三島由紀夫の肉体』(山内由紀人 河出書房新社)によれば、日本ボディビル協会が設立されたのは昭和30年12月のことだった。その頃、日本に「ボディビル」というものが紹介され、少しずつ流行り始めていたのである。「ボディビル」というものの存在を知った三島は、知人の週刊誌記者に、まだ22歳であった早稲田大学バーベル・クラブの主将、玉利斉を紹介してもらった。玉利は後に日本ボディビル協会の理事長になる。当時もっとも優れたビルダーであった。そして、三島は、玉利の指導の下、ボディビルを始めた。小さく、痩せて、青白い作家であった三島は、やがて、筋肉の鎧におおわれた肉体になってゆくのである。
 三島は「ボディ・ビル哲学」の中で、こう書いている(『三島由紀夫スポーツ論集』所収 岩波文庫)。

山内由紀人『三島由紀夫の肉体』
河出書房新社

『三島由紀夫スポーツ論集』
佐藤秀明(編)
岩波文庫

「ボディ・ビルをはじめてからこの九月で一年になる。風邪を引いて三週間ほど休んだことが一度あるほかは、まず精励して来た。もともと肉体的劣等感を払拭するためにはじめた運動であるが、薄紙を剥ぐようにこの劣等感は治って、今では全快に近い……(そりゃあ、よかった。でも、どうして劣等感がなくなったんでしょうね)……知性には、どうしても、それとバランスをとるだけの量の肉が必要であるらしい。知性を精神といいかえてもいい。精神と肉体は男と女のように、美しく和合しなければならない……(やっと、和合できたわけですね、よかったよかった)……肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの勝ったほうが負けたほうをだんだん喰いつぶして行くのである。痩せた人間は知的になりすぎ、肥った人間は衝動的になりすぎる……肉というものは、私には知性のはじらいあるいは謙抑の表現のように思われる。鋭い知性は、鋭ければ鋭いほど、肉でその身を包まなければならないのだ……だまされたと思ってボディ・ビルをやってごらんなさい。もっとも私がすすめるのはインテリ諸君のためであって、脳ミソの空っぽな男がそのうえボディ・ビルをやって、アンバランスを強化するのは、何とも無駄事である」

 三島は、やせこけたからだを増量することから始めた。わたしたちが、ここまで考えてきた「ダイエット」とは、正反対だ。だいたい、ボディビルダーと呼ばれる人たちもまた、まず取り組むのは、トレーニングによって「筋肉」量を増やし、巨大化することなのである。
 わたしたちが望む、わたしたちが手に入れたいと願う「からだ」と、三島由紀夫や、多くのボディビルダーたちが望む「からだ」とは、外見は大きく異なる。だが、意志の力によって、自分自身をコントロールする、という一点に関して、ちがいはない。
 だが、やはり、彼らとわたしたちでは、「ゴール」そのものはちがうのかもしれないのである。

『果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々』(増田晶文 草思社文庫)では、文字どおり、たくさんのボディビルにとり憑かれた人々が描かれる。彼らは、筋肉の巨大化やコンテストでの優勝のため、すべてを投げうつ。極限のトレーニングのため筋肉以外の腰や肩や頸は回復不能なほどのダメージを受け、禁断の薬物に手を出すボディビルダーは、内臓機能の深刻な低下に悩むのである。あるボディビルダーは、思わずこう呟く。
「筋肉が劇的に発達してくれる三十代半ばまでに勝負を懸けたい。長生きなどしたいと思ったことはない。太く、短く、劇的に生きてみたい。月並みな家庭の幸せ、贅沢なファッション、グルメを気取った食事……筋肉のためならすべてを捨て去る自信がある」
「筋肉」を鍛えること。そのことに魅せられ、やがて、「その先」にまでたどり着いてしまうこと。どんなもの、どんなことでも、限界の「その先」は恐ろしい。

増田晶文『果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々』
草思社文庫

 そういえば、三島は、筋肉を限界まで発達させた果てに、その美しい肉体を軍服らしきものに包み、自衛隊に乱入した。そして、すべての日本人に向けてメッセージを発した後、自刃したのである。もしかしたら、三島は、その鍛えあげた筋肉が、やがては衰えてゆくことに耐えられなかったのかもしれない。完璧を求める者は、完璧を失うことを恐れるのである。
 残念なことだ。燃え尽きることなく、長生きし、老いた三島由紀夫が、ため息をつきながら「スロースクワット」をしたり、その合間に「かかと落とし」をやり、筋肉はそんなにないけれど、自分で歩けるよ、と自慢するような老人になっていたとしたら。
 そのとき、三島は、きっと、誰も目にしたことのない、豊かな小説を書いていたのではないか。そんな気が、わたしにはするのである。
 さて、スクワットでもするか。ちょっと、だけ。

撮影/中野義樹


著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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