読み物
第11回 筋肉ってなんだ?
更新日:2021/09/01
さて、ダイエットを目指すみなさん。ここで、我々は、大きな問題にぶつかるのである。ダイエットは体重を減らすために行うものだ。だが、そのとき、我々は、「筋肉も減らす」のである。すると、どうなるか。大変なことが起こる。確かに、若いうちは、なんとか筋肉の減少に耐えられるかもしれない。なぜなら、もともと筋肉がたくさんあるからである。しかし、筋肉は放っておくと減少していく。そこに、ダイエットによる減少が加わったら……さあ大変。気がつけば、筋肉の量は、からだを支えることが困難になるほど減っているのである。将来の「寝たきり」へ向かってまっしぐら、なのである。では、どうすればいいのか。そりゃ、筋肉を増やすしかないではありませんか。
鎌田先生は、さまざまな健康法があることを認める。そして、そのどれを実践しても、うまくいかないことだってあることを。その上で、このようにおっしゃるのだ。
「健康づくりで何よりも大事なのは『自己決定』をすること。/命の主人公は自分。健康の主人公も自分だ。そう、自分の人生は自分で決めるべきなのだ……『この方法はいいな』と思ったら、まずひとつ始めてみる。そのうちに『こっちもやってみようかな』と思ったら、それも取りいれればいい」
まことにもって同感というしかない。ダイエットや健康法を追求してゆくと、たどり着くのは「自己決定」なのだ。さまざまな方法、やり方が目の前にある。死ぬほどたくさん。実のところ、どれを選んでも、効果にそれほどの差はないのかもしれない。それは、多くの方法を試してみたわたしが深く感じるところである。大切なのは、やってみること。しかも、考えながら、である。そして、それが「良い」と思うなら、つづけること。
しかし、この考えは、健康法だけに通じるものではないのかもしれないが。
もちろん、この本には、具体的な「スクワット」のやり方もていねいに書いてある。でも、その部分は、前記、佐藤さんのものでもかまわない。実際、本によって、「スクワット」のやり方は、少しずつちがっている。でも、どの運動も、1日あたり、1セット10回を3セット。これで十分。あっけないほど少ない。少々やり方が異なってもかまわない。「だいたい」一緒で、いいのである。そうだ、鎌田先生独自の「かかと落とし」にも触れておこう。やり方は以下の通りである(いちばんシンプルなもの)。
1・イスの背につかまり、背すじを伸ばして立ちます(両脚を肩幅ぐらいに開きます)
2・つま先立ちになり、かかとを少し上げます(腰痛のある人は、腰を少し曲げてもいいです)
3・さらにかかとを上げ、背すじをピンと伸ばします(かかとを落とすと頭や膝に衝撃を感じる人は、膝を少し曲げて行いましょう)
4・かかとをストンと床に落とします(重心はかかとにかけながら、落としてください)
以上。いうまでもなく、これも、1日、10回×3セット(ぐらい)でオーケイ。
さて、この「かかと落とし」によって「骨を再生する骨芽細胞に刺激を与えて強い骨をつくり、骨密度を上げる効果が期待できる」というのも「『かかと落とし』が骨粗鬆症予防に有効という論文が発表された」からだ(鎌田先生はよく論文を読む先生なのである)。ちなみに「『かかと落とし』によって刺激を与えると、オステオカルシンという骨ホルモン(なんか、効きそうなホルモン名!)が分泌され、骨を強化してくれる」し、このホルモンは「膵臓に働きかけて血糖値を下げる働きもある」だけではなく「動脈硬化を防いでくれるアディポネクチンという物質(ワクワクする名前ですね!)も分泌する」のだ。最高ではありませんか。それ以外にも「かかと落とし」は「下肢の筋肉を刺激」して「全身の毛細血管に血液を循環させ」るから「脳活」(!)にもなり、「皮膚の下にある毛細血管の循環がよく」なって「シミやタルミまで改善」して「肌活」(!)になり、「リズミカルに行えば、セロトニンという幸せホルモンが分泌され」、さらには「テストステロンという」やる気を出すホルモンまで出ちゃうのである。すごいぞ「スクワット」&「かかと落とし」。
天下無敵、というしかない。それも僅かな時間で。信じられないかもしれないが。いや、そうではない。ここ何年か、健康のため、ダイエットと運動にチャレンジしたわたしには、鎌田先生のおっしゃることがわかるような気がするのである。
やらない人は、なにもしないのである。運動もダイエットもなにも。
難しいから、とか、たいへんだから、とか、いくつも理由を作り上げて。
実は、難しくもたいへんでもないのだ。ほんのちょっとした、誰でもできるような、というか、老人でさえなんなくできるようなことを、やれるときにちょっとやってみる。それだけでいいのである。できれば毎日。できなきゃ、次の日、やればいい。
そうすれば、変わるのである。まず、からだの状態が少し。そして、また、少し。すると、気がつくのだ。眠っていた「心」が目覚めてくるのを。自分のからだを大事にしよう、という、ちょっとした心づかい、がである。それは、要するに、「自分の人生を生きる」ということに他ならないのだが。
おお、『最後の日まで笑って歩ける ため息スクワット』を忘れていた。こちらもちょっと読んでみよう。
小林弘幸『最後の日まで笑って歩ける ため息スクワット』
集英社
「継続は力なり。/という言葉の裏を返せば、継続できないことは力にならず意味がない、となります。そして残念ながら、人間というのは元来とても飽きっぽく、なかなかひとつのことを長く続けられるものではありません」
この本の冒頭の文章である。ここまで読んできた読者のみなさんには、この本の著者が、いちばん最初にこう書いた意味も、よくおわかりだろう。
序章のタイトルは「最後の日まで元気に歩いて笑って生きませんか?」……なんだか切ないが、ここまで直球でいわれると、こちらとしても、素直に受け止めるしかない文面だろう。
「厚生労働省の統計によると、平成30年(2018年)時点の日本人の平均寿命は女性87.32歳、男性81.25歳でした……(それぐらいですね、知ってます、だが)……健康寿命という……健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間(は)……直近の2016年の調査による平均は、女性74.79歳、男性72.14歳でした……(つまり「男性は約9年、女性は約12年、介護状態になる可能性が」ある)……(ちょっと憂鬱になってきますね)……素晴らしい長寿大国である日本は、別の角度から見ると、恐ろしい寝たきり予備軍大国でもあるというわけです……(ちなみに、日本は、他の国よりずっと、この「寝たきり」になる可能性期間が長いそうです、では、なぜ、そんなことになるのか、つまり、健康寿命が短いのか)……(それはなにより)下半身の筋力が落ちていることが原因です……何も運動をしていない70歳の人の大腿四頭筋(太もものほぼすべての筋肉)は、ピーク時の3分の1ほどになります。そのまま何もしなければ、いずれ一人では歩けなくなり、車椅子が必要になるのは明らかでしょう。もっとひどくなると立ち上がることすらできなくなり、寝たきりになってしまいます……(若い頃には、このことになかなか気づかないのである。そういえば、数年前から、わたしも、椅子から立ち上がるときには、「よっこらしょ」と心の中でかけ声をかけ、反動を利用していたように思う。運動を始めたいまでは、ふつうに立ち上がっているのである。もし、あの頃、なにも始めていなかったとするなら、と思うと、けっこうこわい)……(にもかかわらず)……現代日本人(成人)の運動実施率は50数%!……(たいへんだ。では、なぜ、そんなことになるのか。そこには驚くべき事実があったのだ)……「仕事(家事や育児)が忙しくて時間がないから」……(かわいそうな日本人)……「歳をとったから」「体が弱いから」……「場所や施設がないから」……(いや、だからこそ、運動すべきではないのか、そして、小林先生は、次のように断言するのである)……健康的な体を手にするために意識するべきことといえば、やはり食事と運動です。では食事の改善と運動の実施、どちらのほうが簡単に取り組めると思いますか?……(そりゃあ、なにもなくてもできる、運動でしょ?)……(いやちがいます)それはもう、断然、食事の改善のほうがラクです……(マジで?)……意外でしょう?……(意外です!)……食事の改善が簡単な理由は、誰でも1日2~3回、必ず摂るものだからです。運動で例えるなら、誰もがいつのまにか自ずとグラウンドやジムには行けているということ……(なんてうまい例えなんだ!)……だから私は、運動のスタート地点を、いまあなたがいるその場所にしようと考えました」
というわけで、小林先生の「ため息スクワット」のやり方を紹介しなければならないのだが、その必要はないのである。なぜなら、これは、「はぁ~」とため息をつきながら(推奨は4秒)、腰を落とし、その動作が終わると、ゆっくり(推奨は2秒)元に戻す、という「スクワット」をやるだけだからだ。基本は3回1セットで「1日の回数は決めず、思い立ったら」。「ため息」をつく理由は、深く呼吸をすることで自律神経のバランスを整える効果があるからだそうである。
「スロースクワット」、「ため息スクワット」、「かかと落とし(&)スクワット」。「スクワット」が「白米」だとしたら、チャーハンにしたり、リゾットにしたり、カレーをかけて食べてるようなものではないだろうか。みなさんが、自分の好きな味つけでお食べください、ということだろう。いや、「白米」じゃなくて、「玄米」ですね、栄養学的には。
ちなみに、「スクワット」本を読んでいくと、驚くべき事実に気がつく。というか、このことに気づいている人間は、どれくらいいるんでしょうか。
それは、「スクワット」で、(1)腰を落としてゆくとき(=脚を曲げてゆくとき)と(2)腰を上げてゆくとき(=脚を伸ばしてゆくとき)の呼吸のやり方だ。
わたしの調査では、
(1)のときに「息を吸い」、(2)のときに「息を吐く」ことを推奨する「先吸い派」が6割で、逆に、(1)のときに「息を吐き」、(2)のときに「息を吸う」ことを推奨する「先吐き派」が4割のようだ。今回選んだ本では、どうやら「先吐き派」が優勢のようにも見える。
まことに、「スクワット」をするとき、いちばん気になるのは「呼吸」なのである。さすがに、「無呼吸」でやる人間はいないが、どちらが正しいのだろう。そのことをめぐって、日本体育協会で統一見解を出したことはないのだろうか。
わたしは、この問題について、深く悩んだ。そして、次のような見解にたどり着いたのである。要するに、
「そんな些細なことはどうでもいい」のである。
実際のところ、ボディビルの専門家やトレーナーは、「先吸い派」である。ちゃんとその理由も説明してくれている。それは、簡単にいうと、
「筋肉は収縮するときに息を吐き、緩めるときに息を吸ってください。百メートル競争の選手が、走っているとき、基本、無呼吸であるように、負荷をかけているときは、酸素を消費するとき」だからである。
確かに、そうなのかも。
それに対して、「先吐き派」の方々は、その理由を……説明していないのである。
おそらく、彼らは、「筋肉のメカニズム」なんか気にしないのだろう。というのも、「先吐き派」の方々にとって、大切なのは、少しでも運動をすることであり、きちんと、科学的に筋肉を鍛える必要はないからである。
正直にいって、わたしもときどき、「あれ、いま、吸うんだっけ? 吐くんだっけ?」と思うことがある。それに、「腰を落としてゆくとき」も「腰を上げてゆくとき」も、どちらも、それなりに筋肉は収縮しているのだ。
なので、みなさん、やりやすい方でやってください(というのが、わたしの見解だ)。
「吸う」のか「吐く」のか、で悩むより、ずっと大切なことがある。それは、ほんの少しだけ、生活の習慣を変えること。「スクワット」の先生たちは、みんな、そういうのである。
その「ほんの少し」が、1年、3年、5年と経過するにつれ、「筋肉」に「貯えられ」、わたしたちの「老後」を「希望」に満ちたものにしてくれる……なんて、素敵なんだ。そんなことは、学校では教えてくれなかったのに。
どうだろうか。「ダイエット」だけでは、わたしたちが目指す「健康」にたどり着くことはできない。わたしたちが「健康」のためと信じた「ダイエット」の世界は、それだけでは、「健康」にとって「半分」の広さしかないのである。
さて、ここまで、わたしは「筋肉」を鍛えるということについて考察してきた。そして、それが、如何にからだに優れた効果を発揮するかを。おそるべし「筋肉」。
けれど、わたしが考察してきた「筋肉」は、たかだか「大腿四頭筋(ふともも)」と「腓腹筋(ふくらはぎ)」&「大臀筋(お尻のデカい筋肉)」程度にすぎない。それらをわずかに鍛えるだけで、「死ぬまで元気でいられる」のだとしたら、もっと他の「筋肉」たちを鍛えるとどうなるのだろう。
いや、ほんとうのところ、ちょっとした横文字(のホルモンたち)を見せられただけで、うっとり信じこんでしまっていいのだろうか。そんなところで感心して終わってしまっても。
もっと知りたい。わたしは、そう、切に願った。そして、「筋肉」という山脈への登頂を試みたのである。
高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。