Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海食洞

更新日:2017/04/12

 青い海でのんびりとパドルを漕いで海岸のほうを見やると、なにやら黒い謎の穴ぼこがぽっかりと口を開けていることがある。そういうときは当然、反射的に舳先(へさき)の向きをかえて穴ぼこに向かうことになる。近づいてみると洞窟は遠くで見るよりもはるかに圧倒的なスケールで開いており、先行して張りこんだ仲間の姿がやけに小さく見える。土が固まったような岩肌に唐突な感じで穿(うが)たれた黒い深淵は、どこまで続いているかわからず、その深い闇が魅力的であるのと同時に進入者に覚悟をうながしもする。意を決し、波に呑みこまれるように進入する。なかにはごつごつとした灰色の岩肌と、射しこむ光に美しく照らされた青い海、それに黒く湿った砂利の浜以外には何もない。ただ、植物の匂いがいっさいせず、水と鉱物によってのみ閉ざされた空間は変に威圧的ではある。圧迫された狭い空間と反響する波の音が交感神経を刺激して脳内で噴出するドーパミンの量を増加させて、私はモスクワの大聖堂で聖歌を聞いたときと似たような気分になった。自然の神秘に触れた気持ちだ。拝観料を払わなくてもよい無料のパワースポットである。こうした海食洞には時々、社(やしろ)が築かれ祀られていることがあるが、古代人が畏敬の念にうたれた気持ちもなんとなく理解できる。
 それにしても不思議なのは、洞口を見たときに誘われるように舳先をむけるときの、あの自然な感じだ。洞口にはブラックホールのような抗いがたい吸引力があって、吸い込まれてしまうように人はそこに行かずにはいられない。怖いものみたさとは違う、そこに何があるのか確認せずにはいられないという抑えきれない好奇心。あの感覚はなぜゆえに起きるのだろうか。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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