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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

特別編 北極便り ※角幡氏は現在北極探検中です。通信事情により内容はコンパクトですが、不定期で、現地からのお便りをアップします

セイウチ狩り

更新日:2017/03/22

 シオラパルクに到着してから数日後、家で探検の準備作業をしていると隣の家のパッドというおばさんがやってきた。
「ヌカッピアングアが帰ってきたよ。セイウチを獲ったってさ」
 ヌカッピアングアというのはパッドの旦那さんで、私がもっとも親しくしている村人の一人である。急いで防寒衣を着こんでカメラをもって浜に向かうと、月のないねっとりと粘つくような闇のなかに、男たちのヘッドライトの白い光が激しく交錯していた。幾分興奮気味の声を上げながら、男たちは縄で船を浜に揚げている。
 船の陸揚げ作業を見たとき、私はしめたと思った。陸揚げは単なる力仕事で私にも手伝える唯一の作業だ。こいつを手伝えば、私も狩りの共同作業の一端の、そのまたかなり隅っこの際のあたりを担ったとみなされ、肉のおこぼれにあずかる可能性がでてくるのだ。
「せいの、よいしょー」と私は精いっぱい声を張り上げながら渾身の力を込めている姿勢を装いつつロープを引っ張った。
 ヌカッピアングアはこの日、同世代の村人であるケットゥッドゥとタッグを組んで狩りをおこなったらしい。
「アーウィ、アマッタヒウ(セイウチたくさんいた?)」と訊ねると、ケットゥッドゥが「イー、マッドゥン。アンナ・アッタ・ミキヒョ(うん、二頭。メスとそれに小さいのが一頭)」と言った。オッホ・ミキヒョ(脂肪が少ない)であんまり旨そうな肉ではないので、アンマカ・クンミム(たぶん犬の餌にする)とのことである。
 揚船作業が終わると今度はセイウチを浜に引き揚げはじめる。ヌカッピアングアやケットゥッドゥの息子たちも手伝っている。セイウチはデカいので、ボートで狩りをするときは、途中の浜や氷上で解体を済ませてバラバラの肉塊にして戻ってくることが多い。だが今は極夜ですぐに暗くなるので、今回は獲物を仕留めるとそのまま村までロープで引っ張ってきたようだ。
 セイウチの陸揚げも単純な肉体労働。みんなで「イン、トゥ、サイ(一、二、三の意でこれはデンマーク語。イヌイットの言葉ではアターファ、マッドゥン、ピガフンとなり、これでは力が入らないので、かけ声のときはイン、トゥ、サイを採用している……のだと思う)」と声をあわせて引っ張りあげる。そして解体がはじまる。
 解体は手慣れたもので、皮をはぐと男たちは骨と骨の間に巧みにナイフを入れて矢継早に肉の塊にわけていく。皮に切れ目をいれて重たい肉塊を手で持ち運びやすくするなどの細かな工夫に、なるほどと唸らされる。男たちの口と鼻、それに解体されるセイウチの体内からモウモウと白い湯気が立ちのぼり、周りでは女子供、たとえば四歳になったヌカッピアングアの孫のカリーナという女児なども熱い視線をおくっている。浜は血と脂と、巨大な獲物を仕留めたときに特有の人間の精神の原始的な部分に根差す高揚と熱気につつまれた。足元にゴロンと転がるメスセイウチの頭部の優しくも眠たげに閉じた眼を見たとき、この獣が銛(もり)で体を貫かれたときに感じたであろう恐怖をわずかに想像した。
 関係者の話を総合すると、例年、極夜のこの時期にボートでセイウチ狩りに出るようなことはあまりないらしい。ところが、今年はどうも極夜前にセイウチがあまり現れず、冬の間にイヌにくれてやる餌が足りないため、暗くなってもまだこの巨獣を追いかけまわさざるをえなかったのだろうとのことである。
「ほら、カク。この肉をイヌの餌にしな」
 お手伝いの甲斐あり、解体が終わるとヌカッピアングアが背骨とあばらの部分の二塊をわけてくれた。時々、塩ゆでにして自分でも食べるが、正直言ってセイウチの肉はゴムの塊みたいで、あまり旨くはない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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