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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

ニッパ初成功

更新日:2026/04/08

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 過去にも何度か書いたが、冬におこなうアザラシの呼吸口狩りをニッパという。海氷にあるアザラシの呼吸口を見つけ、鉄砲をかまえてその脇でじーっとかまえる待ち伏せ猟だが、これがなかなかむずかしく、これまで一度も成功したためしがない。
 シーズン当初は犬の身体もなまっているし、夏に生まれた新犬の調教もあるので、せいぜい村の半径20キロ圏内を走らせる日々がつづく。ただ走らせるだけではつまらないので、呼吸口を探してニッパを試みることが多いのだが、今シーズンもうまくいかなかった。
 まず呼吸口を見つけるのがむずかしい。呼吸口は氷のうすいところにできやすいのでクラック(氷のひび割れ)沿いを走らせて探すのが基本だが、海氷のど真ん中や氷山のわきで見つかることもある。慣れた犬は風でにおいがはこばれてくるとすぐに呼吸口にむかうというが、私の犬は、私が狩りに成功したことがないせいか、鼻がきかずにおいをほとんど探知しない。つまり私が目で見つけるよりほかないわけだが、冬は極夜で暗い時間がながいので、それも限界がある。
 さらに呼吸口が見つかってもアザラシが来ることはめったにない。3、4年前に一度来たことがあるが、そのときは焦ってすぐに鉄砲をかまえてしまい逃げられた。来ても撃つタイミングが少しでもズレると弾がはずれて逃げられることも多いようで、イヌイの猟師にとっても決して成功率の高い猟ではない。
 50歳の誕生日をむかえたこの日、隣の家の長老格プッダ・ウッドガヤが誕生日プレゼントにオヒョウを持ってきてくれた。コーヒーを飲みながら世間話をしていると「村の対岸のカギャ岬にアッド(呼吸口)がたくさんあるとイラングアが話していたよ」という。その情報をもとに、その日はイッドゥルアッホというところからカギャにのびる大きなクラック沿いに呼吸口をさがすことにした。
 出発してまもなく氷のうえに寝そべるアザラシの姿が見えた。氷上にねそべるアザラシやセイウチをウーットという。普通は春になって出てくるもので、ちょっと気温が高めとはいえ(とはいえ氷点下20度前後である)、こんな真冬に出てくるのはめずらしい。しかも1頭ではなく2頭だ。ただ出てきたばかりで完全に寝入ってはいなかったようで、いずれもこちらの音に感づいてすぐに海中に姿を消した。
 目的のクラックにもアッド(呼吸口)はなく、氷のうえに出てきてウーットするための大きな穴(キックラー)しか見つからない。しかしキックラーが3つつづいたあとに、ようやくアッドが見つかった。近づいてチェックすると、こんもりもりあがった大きな氷の山の真ん中に小さな穴が開いており、水しぶきが飛び散り凍った跡がある。
 すこし解説すると、こんもりともりあがっているのは、アザラシが呼吸をくりかえすことで周囲に飛散した海水が凍りつき山になってゆくからだ。この穴から飛び散ったしぶきの氷は新しく、しかも量はわずかである。
 この状況を私はこう分析した。おそらく数分前にこのアッドにあがってきたアザラシがいたが、こちらの橇の音に気づき、一度か二度呼吸しただけで海にもぐったのではないか? だとしたらまた来る可能性があり、有望だ。
 鉄砲とフックのついたひっかけ棒(ニッヒ)と氷を砕く鉄棒(トウ)を用意し、においで感づかれないよう風下側で態勢を決め、犬に「行け」と号令を出した。犬たちはいっせいに走り出し、50メートルほど先で止まった。
 犬を走らせることで、氷の下のアザラシに「あ、あいつらがいなくなったぞ」と安心させるのがこの猟のポイントだ。つまりニッパをひとりでやるには、走り出した犬が途中で止まるように訓練できていなければならない(さもなければどこまでも走ってゆく)。狩りに成功したことはないので、なんでこんなことをやらなければならないのか、犬たちはわかっていないと思うが、何度も何度もやってきただけに動き自体は慣れたものだ。
 さて、ここから先が勝負だ。海中のアザラシは音に敏感だ。もうここには誰もいないと思わせなければならないわけだが、少しでも足が動いたら音でバレてしまう。だから中腰のままじーっと微動だにせず、ただひらすら待つ。そのうち犬が焦れてきて、鼻声を出したり、歩きはじめたりしはじめた。
 10分ほど待ち、中腰にも疲れ、やっぱ今回もダメかなぁ、立ち上がろうかなぁ、と迷ったそのとき、呼吸口のしたでスーハー、スーハーと音がしはじめた。
 来た!
 心臓の鼓動が速くなった。これまでアザラシなど何十頭も獲ってきたが、猟法がちがうだけでこんなに緊張するものなのか。だがここで焦ってはダメだ。すぐに動くと逃げられる。3回ほど呼吸させて安心させたところで撃つ、という村のベテラン猟師のアドバイスを思い出した私は、そのとおりまずは3、4回呼吸させて、それから膝にかまえていた鉄砲をもちあげ、撃つ体勢にはいった。
 ところがその瞬間にゴボゴボと音がして、アザラシは海中にもぐってしまった(ちなみにこれは全部氷の下の話なので姿は見えていない)。
 マジか! 逃げられたか!
 思わず天を仰ぎそうになったが、勝負はまだわからない。ぐっとこらえて鉄砲をかまえたまま、私はそのまま動かずその体勢を継続した。すると5秒後にまたゴボゴボゴボと聞こえてきて、ふたたびスーハー、スーハーの音が聞こえはじめた。ふたたび3、4回待つと呼吸音が少し大きくなった。安心して大きな呼吸をはじめたのだろうか。
 息を吸いこむとアザラシの身体はぐいっと浮かんで、呼吸口の山の内側のところにちょうど頭部がくる。そのタイミングで頭があると思われるあたりを狙って引き金をひいた。すさまじい轟音とともに氷が割れて、ぽっかり開いた海水面がじわーっと赤くにじんだ。齢50の節目にしてついにニッパに成功したのだ。
 村にもどるとウーマという若い猟師が家にやってきて「ファーヤーイと一緒にニッパをやったけど来なかった」と話した。他人の失敗により自らの成功はさらに輝く、という意味のことを昔の登山評論家が書いていたのを思い出した。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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