読み物
血に群がる犬
更新日:2025/09/10
犬橇(いぬぞり)の旅ではつねに餌の確保が問題となる。狩りをして手に入れなければならないわけだが、十数頭の犬の餌を狩りでまかなうのはなかなか大変だ。ただ、4月下旬にはいり海豹(あざらし)が氷上にあらわれるようになると、餌の心配はほぼなくなる。
氷上にあらわれた海豹を現地の言葉でウーットという。アプローチの仕方(挙動をみきわめて近づかないと横の穴から海に逃げられる)や狙撃(頭を一発で撃ち抜かないと、これまた逃げられる)など慣れないとむずかしい面もあるが、コツがわかると安定して獲れるようになる。餌の安定確保を考えると犬橇の旅はウーットが多くなる4月、5月が一番楽だし、ウーット狩りには独特の面白さがある。
今年は気温が低かったのか、氷が厚かったのか、例年よりウーットの数は少なかった。5月にはいっても出てきたり出てこなかったりで、1日1、2頭しか見かけない日が多かった。なので見つけたときは確実に獲らないといけない。今回の旅では8頭獲った。
ウーットがあらわれる時期となると村を出てから1カ月ほど経過しており、犬はすでに痩せて飢えている。海豹から700~800メートル手前で橇を止め、犬をスクリューで氷につなぎ、カムタッホ(ウーット狩り用の猟具)とライフルをもって歩きはじめる。首尾よく仕留め、犬のもとにもどり、猟具をしまって犬を橇につなぐ。犬はもちろん私が海豹狩りに行ったことを知っている。一応大人しくしているが、内心は海豹のところに行きたくてうずうずしており爆発寸前だ。橇につないで私が「デイマ(行け)」というと猛烈な勢いでダッシュし、海豹のもとに殺到し、いっせいに噛みつきはじめる。
とりあえず海豹を解体しなければならないので、鞭で犬たちを追っ払い、海豹に届かないところで大人しくさせてまたスクリューで留める。そして解体が終わったら、胃袋や腸などの消化器官を細切れにして氷上にばらまき、犬たちに食わせる。ちょっとしたおやつ替わりである。スクリューを外してまた「デイマ」というと犬はまた一気に駆け出し、内臓や血だまりに殺到し、ガフガフ言いながら一心不乱に貪りはじめる。
そして私はそれを眺めながらゆっくりとコーヒーを飲み、カロリーメイトを口に入れつつ休憩する。
野蛮だなぁと思うが、それ以上に満足感というか、心を満たす不思議な安らぎがある。狩りに成功したよろこび、肉が手にはいったよろこびはほかには代えがたい。狩りをすること。犬たちが血に群がる様を見て、野蛮さと残酷さのなかにある平穏に身を浸すこと。生きるという時間の長い連なりにおける、これは最先端の瞬間である。
生きるとはなんとも野蛮なことである。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。