読み物
鎌倉最高峰
更新日:2025/04/09
鎌倉といえば海が真っ先に思い浮かぶが、山のほうもそれなりに魅力的だ。海のすぐ近くまで低山がせり出し、豊かな緑のなかにトレイルが縦横無尽につづき、歩いていて楽しい。鎌倉アルプスなどという呼び名もあり首都圏近郊の低山ハイキングコースとして人気である。最高峰は標高159メートルの大平山、自宅のある極楽寺からはトレイルをつないで片道7キロほど先にある。引っ越した直後は若かったし、気合いもはいっていたので、週に二、三度は往復したものだったが、最近は過度なトレーニングは仕事に差し支えるし、膝や腰にも悪いということで、ランニングの距離はどんどん短くなっていき、大平山にはここ4、5年登っていない。
その大平山に最近、家族と一緒に登ってきた。
じつは12月の肺がん検診で要精密検査という通知が来て、滞在先のグリーンランド・シオラパルクから急遽一時帰国したのである。肺がん検診といってもレントゲンによるスクリーニング検査に引っかかっただけなので、異状なしの可能性も高い。往復の交通費や犬の訓練に穴をあけることを考えるとむずかしい判断だったが、万一肺がんの場合、帰国までの4カ月で致命的なステージに進行する可能性が高く、苦渋の選択の末に家に舞いもどった。
精密検査の結果は異状なし。ホッとしたが、交通費のもとを少しでもとるために再出発する前日に家族と小さな山登りをすることにしたわけだ。
以前走っていたランニングコースは2歳の息子には距離がありすぎるので、鎌倉宮の奥にある山の麓のトレイルから登り始めた。沢沿いについた道はややぬかるんでいるが、道の脇の水路は小さな段々滝のせせらぎとなり、夏なら虫が多くて不快だろうが、冬なので乾燥しており冷涼で心地よい。毎年冬から春の半年はシオラパルクなので、この時期の鎌倉ははじめてだ。
妻が幼稚園入園前の幼児を対象にした親子ハイキングサークルに入っており、息子と一緒にこの道もよく登るらしく、彼女がガイド役だ。道の脇に森へとつづく踏み跡があり、「すぐ先で道に合流するから大丈夫だよ」というので娘と息子と一緒に分け入った。ところが踏み跡はぐんぐん上に登っていき、ところどころ藪(やぶ)の覆う細い道となった。どうやら妻の勘違いで変な作業道に入りこんだらしいが、もどるのも面倒だし、どうせこのまま登って尾根に出たら以前走っていたトレイルに合流するのはわかっていたので、そのまま登った。ところどころ2歳の子供には冒険的な泥の小さな崖などをよじ登り、松永K三蔵さんのいわゆる「バリ山行」を20分ほどこなし、トレイルに合流。大平山に登頂して、頂上近くの天園で弁当を食べて下山した。
2、3歳児にも十分楽しめる所要2時間ほどのじつにさわやかなハイキングだった。そして翌早朝、家族と別れて再度シオラパルクへ。2月18日、途中のコペンハーゲンの空港のバーガーキングでこの原稿を書いている。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。