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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

特別編 北極便り ※角幡氏は現在北極探検中です。通信事情により内容はコンパクトですが、不定期で、現地からのお便りをアップします

更新日:2016/12/14

 極地とは北極圏にしろ南極圏にしろ、緯度が66度33分より高い地域のことを言い、一年のうち一日以上、太陽の沈まない日と太陽の昇らない日がある。ようするに夏の白夜と冬の極夜だ。この白夜と極夜、緯度が高くなるほど期間も長くなり、地球でもっとも北にある北極点では一年の半分が白夜で、残りの半分が極夜になる。もちろん南極点も同じだ。私が昨年七カ月間活動したグリーンランド最北の村シオラパルクは北緯78度にあり、夏の白夜が四カ月近くつづく。
 白夜世界を旅していて一番面白かったのが時間の概念が崩壊していく感覚だった。当たり前だが時間はお天道さまが天球上をぐるっと回るのにあわせて刻まれており、われわれが暮らす世界では昼と夜が厳然として存在する。夜というのは単純に暗いので生命活動の妨げになるため、われわれは夜が来る前にその日の活動を終了させようとして昼間にあくせく動いている。たとえば登山では早朝に出発することが普通だが、これは夜が来ると暗くて危険なので明るいうちに悪場を越えて安全地帯にたどり着かなければならないからである。夜があるせいで、ああもう午後二時だ、急がなければと思うのだ。つまり人間活動を制限する夜が存在することで、はじめて時間の概念は意味をもつ。ところが白夜にはこの夜が存在しない。夜が存在しないと昼にも意味がなくなる。たとえば朝寝坊して十一時に起きるとする。これが夜のある世界なら、「しまった、今日は行動時間が六時間しかない、どうしよう……」と狼狽することになるが、白夜だと夜がこないのでいつも通り八時間行動して、さらに就寝時間を後ろに二時間ずらして午後十一時に寝ても全然問題ない。それどころか翌日もまた朝寝坊して、今度は午後一時に起きて、いつも通り行動して、さらに就寝時間を後ろにずらして午前一時に寝てもまったく問題ないのだ。要するに夜がない世界では自分の都合で一日を二十六時間にしようが三十時間にしようが、とくに支障はない。この一日二十四時間制の私的崩壊過程がじつに興味深かった。
 昨年の七カ月間の旅のうち二カ月はカヤックで航海していたが、白夜で昼に漕ごうが夜に漕ごうがどっちでもいいので、潮の干満にしたがって深夜に行動するときもあった。白夜世界ではそれだけ一日=二十四時間という既成概念の枠から解き放たれて自由に動けたわけだ。ところが、それだけに八月下旬の深夜の薄暗闇に数カ月ぶりの月を見たときは、なにか覚悟を迫られるような気持ちだった。海の上におぼろげな光をはなつ月の幽玄な姿。ついに、ついに夜がやってきたのだ、と。
 夜が来て、一日に制限がかけられることがどんな感覚かもう忘れてしまっていた私は、このとき、夜が来るという当たり前のことが怖くなっていた。人間の常識なんて半年もあれば簡単にひっくり返る。考えてみれば、おそろしいことではないか。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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