読み物
77キロの壁
更新日:2016/11/30
極地探検を実行するには多くの準備をこなさなければならない。体力をつけること、許可を取得すること、長くハードな旅に耐えうる装備を揃えること等々。準備にはいろいろあるが、なかでも極地探検に独特なものに脂肪をたくわえるというものがある。その昔、女優の和泉雅子さんが北極点を目指すときにまるまる太って出発したのは有名だが、たしかに太ることは有効な極寒対策だ。極地の徒歩旅行中は常時、氷点下三十度から四十度の超低温下での活動を余儀なくされ、テントのなかも気温は氷点下前後までさがる。そんな生活が、場合によっては数カ月レベルでつづくため、呼吸をして肺胞が酸素を摂りいれて二酸化炭素を吐き出すといった普段は意識しない肉体の不随意運動ひとつとっても、温暖な日本の生活とは比べ物にならないぐらいのカロリーを消費するのだ。そこに百キロ以上もの橇(そり)を引くという激しい肉体運動がくわわるため、身体はみるみる痩せていく。身体が痩せると単純に寒くなり、身体も精神も消耗していき、最悪の場合、ひどく衰弱して遭難という可能性が高まる。そうならないためにも事前に可能なかぎりの脂肪を身体に蓄積しておくことが望ましい。
というわけで、この原稿を執筆している十月十一日現在、私は十一月からはじまる極地探検にむけて、できるかぎり過食して、ぶよぶよと贅肉を蓄えることにいそしんでいる。ところが、これがなかなか大変なのだ。もともと筋肉質で太りにくい体質にくわえ、八月までトレーニングでランニングや登山を繰り返していたため、私の肉体は近年にはないぐらいスリムになっていた。
私の通常時の体重は73キロほどだ。それが九月に入った時点で70キロにまで減っていた。それからはトレーニングを極力控えて、ひたすら過食する日々がはじまった。間食に甘いものを頬張り、夕食に二合のコメを腹につめこみ、寝る前にはノルマとしてポテトチップスかカップラーメンを食べる毎日。最初はいくら腹に詰めこんでも、すぐに腹が減ってバクバク食べられたが、しかし体重が平常時の73キロにもどった途端、極端に食欲は失せた。じつはこれはいつものことで、私の身体は適切な体重を記憶しているかのように73キロに達すると「もう余計な栄養分は不要です」とのサインが送られてくるのだ。それでも無理して過食しつづけて、九月下旬になんとか77キロまで達した。しかし、そこから先がなかなか増えてくれない。毎年ぶつかる77キロの壁だ。十月三十日の出発までに80キロまで増やすのが目標だが、この壁をなかなか突き破れないでいる。妻からは「夢のような日々だね」と皮肉られたが、食欲もないのに食べなければならないのは苦しいだけである。
先日、学生時代の友人と会うと、以前よりぶよぶよとした贅肉を全身にたっぷりまとわりつけており、じつに羨ましい感じで太っていた。体重を聞くと90キロとのこと。腹の肉をつまむと圧倒的なボリューム感で、じつに暖かそうな肉布団だった。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。