読み物
懐かしの峠
更新日:2024/12/25
北海道で猟期がはじまり、今年も日高の山々を鉄砲かついでうろついてきた。北部の日高町から入山し、可猟区域をつないで、エゾ鹿を獲って日々の食料を現地調達しながら南を目指す。きっちり計画を立てるわけでもなく、そのときどきの状況でルートを決める漂泊の旅である。
用意したのは国土地理院発行の5万分の1地形図である。移動範囲が長大なので地図だけで十数枚に達した。5万分の1図は測量データが古いので、国有林内にはしる林道や作業道がすべて記載されているわけではない。道の半分以上は載っていないし、逆に地図に描かれている林道がいまでは崩壊して使用不能になっていたりもする。なのでこの手の旅では、実際に現地に行って道の状態を確かめながらその先のルートを予測して旅の全体像を作ってゆく作業が、とてもクリエイティブで面白かったりする。
出発前は山脈最高峰の幌尻岳(ぽろしりだけ)を登るつもりでいたが、幌尻岳周辺は鳥獣保護区で鹿を獲ることができないし、出発してからは大量の肉をつめこんだザックは重すぎて大きな山を登る気にならなかった。それより額平川(ぬかびらがわ)水系のシドニ沢から宿主別川(しゅくしゅべつがわ)をつないだラインのほうが獲物がとれそうで魅力的だ。
目論見通り鹿笛でおびきよせた雄鹿を1頭獲って、藪尾根をこえてイドンナップ山荘に下りる。そこから丸一日林道を歩いて幌尻湖へ出て、小さな沢をのぼってシュンベツ川水系のナメワッカ沢へくだる峠に出た。
この峠は、かつて4回にわたっておこなった日高山脈地図なし登山のときに見つけた峠だ。いまは地図をもって旅をしているのでわかるが、日高山脈を南北に移動する際にキーポイントとなる場所である。全体的な山の配置や河川の流れの向きから、この峠を通らずに山脈を南北に移動するのはむずかしい。位置が絶妙なうえ、峠から北の幌尻湖に流れこむ無名沢も、逆に南のシュンベツ川方向に流れるナメワッカ沢も悪場がなくて歩きやすい。おそらく古来アイヌ猟師により歩かれてきた峠だと思うが、そういう自然の回廊を地図をもたずに見つけたことをわれながら誇らしく思う。
……と偉そうなことを言っておきながら、じつは地図なし登山のときは、峠に出る直前で沢を一本間違え、峠からちょっと外れたところに出てしまった。なので正確にはこの峠に出たのは今回がはじめてだ。
霜の下りる寒い日で、沢筋も一部凍結していたが、峠に出るころになると陽射しが強まり、身体が一気に温まってゆく。峠の周辺は笹藪もほとんどなく、快適な天然の道となっていた。古の旅人がたどった道をいま自分も歩いている。自然の奥深くでいまという時代を越える瞬間に出会うことが、山を旅するよろこびである。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。