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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

幻の大岩魚

更新日:2024/11/13

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 友人2人と今年2度目の沢登りに出かけた。場所は福島県の南会津地方。渓流釣り師には知られた黒谷川(くろたにがわ)を源流まで登って尾根を越え、御神楽沢(みかぐらさわ)を遡行して名峰会津駒ヶ岳を登るというルートである。南会津はこれで3度目だ。過去2回とも黒谷源流、御神楽をからませて会津駒に登っているので、ほとんどルートもかわらない。なのに何故また足を運んだかというと、3年前に御神楽沢を登ったときに巨大な岩魚(いわな)がうようよしていてそれをどうしても釣りたかったからである。
 出発当日の天候は曇り。それほど悪くないが、前日まで活動を活発化させていた秋雨前線の影響で水量はそれなりにある。河原歩き主体の沢で悪いところは一切ないが、水流に抗してひたすら渡渉をくりかえすうちに足腰が疲れてきた。世界一のゴム堰という黒谷ダムを越えて崩ノ滝(くずれのたき)の上流から竿を出す。せいぜい8寸超程度のサイズ感であまり大きくないが数はうじゃうじゃいる。一人平均5匹ほど釣ってこの日は東実沢(ひがしうみさわ)にはいったところで野営した。
 翌日、東実沢から尾根を越えて御神楽沢に下りた。御神楽沢も魚影は濃い。予定野営地であるミチギノ沢出合が近くなったところで竿を出し、また同じぐらいの量の魚を釣って焚火を起こした。
 さて勝負は3日目だ。記憶ではこの先の滝場が連続する途中に大物がうようよするポイントがあった。記憶のなかの映像は鮮明である。3年前に滝と滝のあいだの釜を右岸から通過しようとしたところ、釜のまんなかの大岩の深いところに40センチ近いと思われる大岩魚が数匹泳いでいた。それを見て釜の手前に引き返し、何度も毛鉤を打ったが、すでに姿を見られていたのか、まったく反応がなかった。あの場所についたら今度は身を潜めて毛鉤を打てばいい。地図にも大まかな場所をメモしてあるので間違えようはない。
 つぎつぎにあらわれる淵や瀞(とろ)のポイントで毛鉤を打つ。それなりに釣れるが尺には届かないものばかりだ。でもそのうち例の釜があるので、そこで大物を狙えばいい。そのつもりで次々に滝を越えていくが、なかなか釜はあらわれない。おかしいな、なかなかあらわれないな……と思っているうちについに滝場は終わってしまった。記憶の映像アーカイブに鮮明にのこされていた大物ポイントは存在しなかったのだ。
 前回も一緒だった同行者に訊くと、大物ポイントがあったのはまちがいないが、私がいうような滝の前の釜だったかどうかはあやしいという。要するに脳の海馬が勝手に映像をこしらえていたということなのだろうが、脳みそのバグのせいで幻の場所をめざして山奥をうろうろしていたと思うと少し虚しい。
 まあ岩魚はたくさん釣れたし、天気にも恵まれ、楽しい山行ではあったのだが。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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