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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

犬橇レース観戦

更新日:2024/07/24

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 世界的にスノーモービルでの移動が当たり前になっている極北エスキモー世界においてしぶとく生き残るグリーンランド北西部の犬橇。彼らにとって犬橇とは狩猟と旅に目的を特化した生活文化であり、かつ民族的エートスの中核に位置する。一方でスポーツとしての犬橇、つまり犬橇によるレースというものがまったくないわけではなく、一応、毎年3月にカナックで大会があり、シオラパルクやケケッタなど周辺集落からもふくめて十数台の猟師が順位を競う。
 シオラパルクの場合、レースに関心のある猟師はほぼいないのだが、唯一ピーター・アビギというアクの強い60代の猟師だけが並々ならぬ闘志を燃やしており、毎年欠かさず大会に参加する。今年の〝チーム・アビギ〟は健闘し、カナック大会で2位に入賞し、見事にイルリサットで開かれる全国大会への出場をはたした。
「あいつの犬は痩せていて駄目だ」「数ばかり多くてどうしようもない」「海氷から定着氷にも登れない」。村人は平素は散々アビギの犬を口汚く罵るが、カナック大会の直後は手の平を返したかのように「いやーアビギの犬は強い」と口々に讃美を連発、「1位がサビシビックで2位がシオラパルク、3位がケケッタの犬橇だ。カナックの連中は全然ダメだ。ざまあみろ」と純然素朴な地元愛を発露させるのであった。
 さて全国大会当日、村人たちは公共の建物の一室に集まり、テレビにかじりついてアビギのレースを観戦した。号砲が鳴り響き犬橇が一斉に走り出すと、村人たちは机をたたき、うおーっと異様な歓声をあげて盛り上がる。中盤はとてもプロの技術者の仕事とは思えないほど拙い撮影技術のせいでひたすらコースの一部が映し出されるばかりで、アビギも登場しないし、順位もふくめたレースの状況もさっぱりわからず正直退屈だった。画面のなかに稀に犬橇が入り込むと、退屈を紛らわすように村人は机を叩いて大声をあげる。
 レースの状況が判明したのは先頭がゴールに到着してからだ。それからはカメラが固定され、ゴールを駆け抜けたハンドラーの名前が読み上げられてゆく。予想されたことだがアビギは全然やってこなかった。そもそも毎年この全国大会は地元イルリサット周辺のチームの独擅場で(彼らはレースのために犬橇をやっているし、コースも走りこんで熟知している)、北部や東部の辺境狩猟民地域の犬橇が上位にくることはありえない。だが、それにしてもアビギは遅すぎた。カナック大会で優勝したサビシビックの猟師も3位だったケケッタの猟師もゴールしたのに、アビギは姿を見せない。そして一緒にテレビ観戦する奥さんのトクンマが痛ましくなってくるころ、ビリッケツに近い順位で到着した。
 ゴールした瞬間、テレビの前の村人たちはまたしても異様な盛り上がりを見せて、アビギの妻トクンマを握手、抱擁攻めにする。ただ、翌日からアビギの犬にたいする評価はふたたび地に落ち、村人たちの酷烈な批判の対象となったのだった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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