読み物
ハンシの犬橇訓練
更新日:2024/07/10
イラングアの長男ハンシが今年からひとりで犬橇に乗りはじめた。
小さな橇を2頭に引かせ、平らな定着氷のうえをイツッタという地区まで100メートルほど走るだけで、まだ右(アッチョ)とか左(ハゴ)とかの指示も出せないが、7歳の子供がまがりなりにも鞭で犬を従え、移動するのだから大したものだ。
行きは鞭で犬を誘導しながら歩き、戻るときに橇に乗る。見ていると乗るのに失敗して犬に走られ、後ろから笑いながら走って追いかけることも多い。ご主人を置いてきぼりにして、何か旨いものでもないか、地面をクンクン嗅ぎまわっている犬の引綱を引っ張り、「ウワガ、キンメ、ナーランギッチョ!(俺の犬はいうことをきかん!)」という、ある種のイヌイットの常套句を連発しながら、にこにこ笑い、また橇に乗っている。
父であるイラングアに訊くと、彼が小さい頃も同じようにイツッタまで乗ることから始めたらしい。10年前にこの村に来てから、小さい子がひとりで犬橇を練習するのを見たのはハンシがはじめてだが、前はどの子もやっていることだったそうだ。
こんな小さな頃からやっているんだから、技術的に追いつかないのも当たり前だ。はっきり言って鞭振りなんかは私よりハンシのほうが上手なぐらいだ。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。