読み物
生活の準備をととのえる その二
更新日:2023/04/12
三日目。今日も時差ボケで未明に起床。キャンプ用のストーブでお湯をわかし、前年の旅の残りのフリーズドライ食品で朝食をとる。腹ごしらえをしてカガヤの家の六頭をイツッタに連れてゆく。首輪を外し、犬橇用の胴バンドにつけかえ、鞭をふって三頭の犬の動きを制御しながら歩いてゆく。こうやって書くと簡単なように見えるが、氷点下三十五度以下の寒さのなか、久しぶりに飼い主にあって興奮している犬を相手にするのは大仕事だ。これだけで半日がつぶれる。
同時にようやく店が開いたので、燃料、食料、ドッグフード、電球、バケツや洗剤やその他もろもろ、当面、必要な生活物資を買いあさる。
寒いなかで動きまわっていると、とにかく腹が減る。店で買ったお菓子やパンやキビヤを食べながら、作業をつづける。イツッタに行き、まだ首輪のままだったのこりの七頭に胴バンドをつける。手持ちのなかから、それぞれの犬にあった大きさの胴バンドを用意し、腹のまわりにすっぽ抜け防止のひもをまく。たったこれだけで数時間を要する。寒さでへとへとになって家にもどり、休憩して、犬橇に使う道具を木箱にのせてまたイツッタへ。犬橇用の橇に道具をのせ、ロープ類やブレーキ類を準備し、明日から犬橇をはじめられるようにする。今年は来るのが遅かったので、早く犬を走らせ、身体をつくらないといけない。
この日はネット回線もひけた。イラングアが、本来は外国人ができないスマホの通信契約を代行してくれて、いつもより簡単にWi-Fiが使えるようになった。例年より通信容量が大きいうえに料金も安く、これは助かった。
四日目。今日から犬橇をはじめるため、犬の爪を切る。伸び放題でひどい状態だ。爪を切られるのを嫌がる犬が多いので、これもなかなかの重労働だ。とくにカガヤからもらった新しい二頭は懐いていないので逃げまわって大変だった。
午後、今年初の犬橇走行。腰の状態が悪いので、慎重に六頭の犬で走った。
なんとか犬橇開始までもっていけたが、まだガス問題がのこっている。キャンプストーブで調理をするのは大変なので、これを解決したい。午前中にケッダの兄のピーター・アビギが遊びに来て、コンロの状態を確認し、ケッダにも使用可能か聞いてくれたところ、大丈夫だというので、ガスボンベを購入した。犬橇のあいだ、これを家のなかで温めて、キンキンに冷え切ったパッキンを軟らかくしておく。犬橇からもどりボンベをホースにつなぎ、ようやくガスコンロから火が出た。が、じつはこのコンロ台、調理器具をのせる網がなくなっており、代用品を手にいれるまで使えない。キャンプストーブで調理するのは面倒なので、キビヤばかり食べている。
五日目。十二頭全員参加で二回目の犬橇。去年の五月に対岸のクーガッハという場所で作製したキビヤを回収する。山崎さんが、コンロ台に使えるのではないかと、家にあったという網の籠を持ってきてくれた。これでようやくキャンプストーブから解放されて、まともに調理できるようになった。
この原稿は到着から六日目に書いているものだ。さきほどイラングアが別の網を持ってきてくれて、さらに調理しやすくなった。これで村で生活する態勢がほぼ整い、原稿を書ける余裕が出てきた。今日は、犬の肉球のまわりの毛を切るほか(雪玉ができて肉球に傷がつくため。爪切り同様の大仕事)、犬橇用のズボンを作るための白熊の毛皮と、犬と私の餌用に海象(セイウチ)の肉を三百キロほど仕入れに行く予定。これが終わればほぼ態勢完了である。
こんなふうに到着からしばらくは目まぐるしく落ち着きのない日がつづく。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。