読み物
熊鍋ポトラッチ
更新日:2023/02/22
鹿猟をはじめて驚いたことのひとつに贈与の感覚がある。
これまで極地でかなりの数の獣を狩猟してきたが、贈与を意識したことなどなかった。というのも、私は犬橇旅行の途中で狩りをするため、獲った獲物はほぼすべて犬の餌になるからである。
考えてみたら、そもそもが犬の食料確保を目的とした狩りなので、贈与が前提ともいえる。分け与えることが当たり前すぎて、分け与えたいという気持ちに気づくことすらなかったのかもしれない。
だが、日本の鹿猟に犬はいない。山旅の食料として獲ったものだが、蝦夷鹿(えぞしか)は大きな獣で、ひとりでは到底消費しきれない。獲った瞬間、この肉をみんなに食べてもらいたいという気持ちに襲われ、こんな気持ちになるのか……と不思議な感覚になった。
その後、二回目の出猟で若い羆(ひぐま)を獲ることもできた。幸運にも下山直後の林道でたまたま遭遇したもので車のすぐ近くで仕留めたため、肉はほぼすべて回収できた。ただ若い熊とはいえ、推定百キロ近くはありそうで、家族だけでは到底消費できない。鎌倉の自宅にもどってから出会う知人すべてに声をかけ積極的に贈与してきた。
それでも余って仕方がない。ある日、近所の友人をまねき、熊鍋会をひらくことにした。かつて北米先住民の世界ではポトラッチといって財産を気前よくふるまう祝宴の習慣があった。狩猟民社会では富を手元にたくわえるのではなく、散財し、集落内で循環させることが美徳とされた。散財してすっからかんになったほうがビッグマンとして尊崇の対象となったのである。私もそれにあやかり熊鍋ポトラッチを開くことにしたわけである。
朝から大量の腿肉を薄切りにし、味噌と醤油で鍋で長時間煮込む。醤油、酒、生姜等で味をしみこませたアバラの骨付き肉をオーブンで焼き、スペアリブ料理もつくる。客人が酒瓶片手に次々に来訪する。味は上々、評判もよく、子供たちも沢山やってきてはしゃいでいる。私がビッグマンになれたかどうかは不明だが、酒宴は昼間から夜までつづき久しぶりに盛りあがる会となった。
またやりたい。そのためにもまた羆を獲らなければ。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。