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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

鹿の燻製

更新日:2023/02/08

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 日本で出猟して痛切に感じたことのひとつは、蝦夷鹿(えぞしか)の大きさかもしれない。
 狩猟の場を北海道にしたのは、将来的な移住を視野にいれてのことだが、現実にはまだ移住しておらず、私は鎌倉で暮らしている。獲物の肉を自宅に持ち帰ることはあまりできないだろう。本来、狩猟は生活の場でおこなうものであるが、そんな事情があったので、最初は山旅をしながら鹿を獲ることを考えた。要するに登山の食料源である。だが実際に鹿を一頭獲ってみると、山の食料にするにはあまりに大きすぎることがわかったのである。)
 もちろん私もバカではないので、そんなことは行く前から予想していた。なので事前の想定としては、鹿が獲れたら背肉など良い部位だけいただき、あとは山の動物たちに食べてもらおうと考えていた。ところが実際に獲ってみると、不思議な感覚につつまれた。せっかくいただいた命なのでなるべく自分で食すべきだ、という人類の根源的な心性から発するモラルが発動し、ほぼすべて野営地に持ち帰ることにしたのである。
 そして考えこんだ。いったいこの大量の肉をどうしたら登山中に処理できるか……。
 問題は十月はまだ気温が高いことだ。肉が悪くなる前にすべて食べきることはできそうもない。いろいろ考えた挙句、夏の釣り登山のときによくやる燻製作りをためすことにした。
 最初は岩魚の燻製とおなじ要領で焚き火のうえに櫓(やぐら)を組み、四本の脚をタコ糸で吊るしたが、岩魚とちがって鹿肉は重すぎるため、途中で櫓がくずれてしまった。櫓はやめて樹木にわたした細引きから直接つるす。何度か火が強くなってタコ糸が切れたが、ひもの長さを調節して一日半ほど煙でいぶした。
 結果としてはまずます。一切れ口にいれてみると、火に近いところはうまく燻蒸されて水分がとんだ。味も燻製の旨味が出ていて悪くない。思ったよりうまくいったことに満足したが、結局登山中は生肉を食べるのが精一杯で、燻製のほうはほとんど手をつけずに自宅に持ち帰ることとなった。一度炒飯の具材にしたが、のこりは今も冷凍庫にねむっている。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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