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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

地吹雪の夜

更新日:2022/03/23

 一月中旬、久しぶりに村で大風が吹き荒れた。今シーズン、私がはじめて経験する嵐である。風だけでなく、それまで地表にたまっていた雪が飛ばされ、ひどい地吹雪となった。
 深夜、風がつよまり、子犬が心配になった私は犬小屋を確認しにいった。
 雌のカコットが年末に出産をむかえ、十匹生まれた子犬のうち雄の一匹をのこすことにした。生後一、二カ月のあいだは寒さで子犬が死ぬこともあるので、小屋の下に藁を敷いたり、風が吹きこまないように入口を工夫したりといろいろと気をつかう時期である。嵐となった日は、前の日に藁を敷きなおし、防風、防雪のための入口の垂れ幕も補強するなど万全を期したが、外の轟きを聞いていると、なんだか不安になり、あらためて様子を見にいくことにした。
 屋根に重りをもうひとつ載せて飛ばされないようにして、一応、なかを確認すると、おどろいたことに母犬カコットの姿がなく、子犬のウミンマがブルブル震えている。カコットは育児を放棄し、視界ほぼゼロの地吹雪のなか、どこかに消えてしまったのだ。
 ウソだろ、と思ったが、ひとまず子犬を家のなかに避難させ、カコットを捜索に出た。しかし地吹雪が強烈なうえ、夜の闇で視界はまったくない。ヘッドライトの光は横殴りの雪を照らすだけ、雪が目の中にはいり、痛くてまともに顔をあげられない。家の周囲にカコットがいないことを確認するので精一杯だった。
 カコットが消えたのにはじつは伏線があり、その日の夕方に私はカコットの引綱をほどいておいた。引綱が石や凍結した糞にからまり、カコットが混乱して犬小屋をひっくり返したことが何度かあり、嵐の日にそんなことが起きたら大事(おおごと)だと思ったからである。子犬がいるのでまさか逃げることはないと思ったのだが、それが裏目に出てしまったのだ。
 ゴーグルをつけて本格捜索に乗りだす。カコット、カコットと大声で名前を連呼すると、猛烈な風雪のむこうに白い影が走り去るのが見えた。二百メートルほど離れた雄犬たちのところにいくと、レモンという彼女の息子と一緒にまるくなって寒さに耐えていた。
 風で寒くて小屋のなかにいるのが嫌になったのか、育児ストレスがたまっていたのか。カコットが子犬を放ったらかしにした理由はよくわからない。その日は家のなかに入れて、あたたかいところで寝かせてやった。犬を家のなかに入れたのははじめてだ。カコットも緊張していたようで、入口の近くにうずくまり、一晩中動こうとしなかった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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