読み物
泥川
更新日:2021/12/08
将来的に犬橇狩猟をやるのに一番適しているのは、おそらく北海道の天塩(てしお)山地だ。朱鞠内(しゅまりない)湖の知人をおとずれたあと、天塩山地を放浪し、本当に犬橇ができそうな地形なのか、獣や魚は濃いか、そういったあたりを探った。
天塩山地には大きな沢がいくつかあるが、実際にそのうちのひとつに入山して私はその日本離れした景観に驚愕した。
とにかく色々な意味で、すごい。何がすごいかというと、まずはブナやトドマツの原生林が生いしげる、森林の雰囲気だ。言葉ではうまく表現できないのだが、ものすごく野性味にみちており、本州はおろか、通い慣れた日高の山々ともまたちょっとちがった奥深さがある。行ったことはないので知らないが、樺太の山やシベリアの森はこんな感じなんだろうなあ、と思わせるような景観だ。
そしてそのいかにも極東的な原生林のなかを、東南アジアの密林で見るような泥川が流れている。増水して濁っているのではなく、地質が粘土質で、それが川に流れこんでいるのだ。実際に川岸を歩いていると底なし沼みたいなところが何カ所もあり、ずぶずぶと膝まで埋まってしまう。こんなところがあるのか、と驚嘆と失望のため息がもれる。
偵察が目的の山行ではあったが、本音をいうと一番の楽しみは魚釣りだった。しかしこんな泥川では釣る気がしない。極東と東南アジアを足して二で割ったようなある意味贅沢な川ではあったが、遡行して楽しいかというと、そういう川ではなかった。鹿の姿はたくさん見るので、これで清流なら言うことないのだが……。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。