Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

分娩小屋

更新日:2021/05/26

 この冬は五頭の子犬の世話と訓練で忙しい、ということは何度か書いたが、こまったことに雌のカコットがまた妊娠してしまい、目に見えてお腹が大きくなってきた。
 十二月に村に来て、犬を預け先から譲りうけたすぐ後から、カコットの様子がどうもおかしくなってきた。ちょっと失礼……と尻尾を上にあげて股間を拝見すると、生理がはじまっている。もう少しで本格的に発情しそうだ。これ以上子犬が増えても困る。隔離しないとなぁとのんびりしているうちに、ボス犬のナノックと交尾してしまったのだ。まったく油断も隙もあったものではない。一回ならまだ大丈夫かもしれないと思い、すぐに雄たちから引き離し、家の近くにつないでいたのだが、カコットも雄が恋しいのか、その日のうちに綱を噛みちぎって皆のもとにもどってゆく。しかも一度ではなく二度もだ。そんなことがあって私も、もういいわ、勝手にしろと投げやりになり、好きにさせていた。
 グリーンランドでは橇を引かせるとき以外は犬は外でつなぎっぱなしで、どんなに風が吹き荒れても、嵐が来ても、家のなかには決して入れない。高齢や病気で体力のない犬は吹雪のときに死亡し淘汰されてゆく。日常的に過酷な環境で暮らすことで、どんなに劣悪な環境でも耐え忍ぶことのできる逞しさが身につくのである。ただし妊娠した雌犬だけは例外で、分娩用の小屋があたえられる。これは雌のためというより生まれてくる子犬のためで、出産直後の乳児を外に置きっぱなしにすると、やはり生存率が極端に落ちるらしい。
 カコットが交尾をしたのは十二月下旬。お腹の大きさや乳首の状態をみても、二月中に生まれそうだ。こうなったら仕方ない。私も腹を決めて一、二頭、育てることにした。三月下旬から予定している長旅は、子育てをかねた旅になりそうだ。
 お腹の大きくなったカコットは二月頭の時点で橇引きはお休みとし、胴バンドを外し、急ごしらえで分娩用の小屋をつくってやった。小屋のなかには保温用の草をしくが、この草も村から少し離れたクーガホという場所の草が背丈が高くていいと聞いたので、カッシュチ(罠網)の見回りのあとにわざわざ取りに行った。最初はもじもじして小屋に入らなかったが、一度入ると居心地がいいのか今度はなかなか出てこない。餌も普段よりもたくさん与えて栄養状態をよくしてやる。犬の育児もなかなか大変である。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

特設ページ

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.