対談連載 沖縄にとって「戦後」とは何か 目取真俊×木村元彦
夕凪/PIXTA

第一部 チェコと台湾から沖縄を眼差す

第4回

東欧から見た沖縄文学

更新日:2025/08/20

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芥川賞を受賞した『水滴』は勿論、鮮烈な表現で沖縄の痛みや暴力を描き続けてきた作家、目取真俊。作家としての地歩に勝ると劣らず彼を印象付けてきたのは、辺野古や高江たかえにおける地道な抗議活動であった。論陣を張る、デモに参加するといった行動にとどまらず、実際に抗議活動に身を挺し、米軍基地内に拘留された経験さえ持つ作家にとって、文学者が行動することの意味とは何なのか。一方、ジャーナリストの木村元彦は、マイノリティ、民族に関わる広範なテーマを手掛けつつ、亡命や難民支援などを積極的に行ってきた人物でもある。二人の書き手にとって、戦後80年はどのような意味を持つのか。日本が一貫して抱え続ける矛盾、日米の狭間に揺れる沖縄の今とは?
日本の今と戦後の意味を問い直し、文学の意味を模索する徹底討論。

木村
チェコの文芸雑誌「Plav」2024年9月号が沖縄文学を特集しました。その中で目取真さんの短編小説「希望」が全編翻訳されてさらに「面影と連れて」(以下『面影』)についても言及されている。大体、自分が知る限り、東欧の国々の日本文学の紹介となると、ベルリンの壁の崩壊で西側の物質文明に飲み込まれる不安が明治期の日本のそれとシンクロするのか、漱石の作品があって、次に安部公房と村上春樹と吉本ばななだったんですよ。セルビア人ジャパノロジストのスネジャナ・ヤンコビッチが初めてセルビア語に翻訳した日本文学は漱石の『こころ』でした。しかし、「Plav」のこの特集はチェコの文学者たちが、自国と沖縄の過去の歴史の類似性に気が付いたのではないかと思うんです。ミラン・クンデラの『冗談』という小説が象徴的で、これは、前途有望な共産党員が主人公で、ある日、つき合っている彼女宛てのハガキに体制批判の落書をして出したらその女性によって密告をされて、大学を除籍、炭鉱に送られていく。要するに、当時、チェコスロバキアの政権がモスクワを向いたソ連の傀儡で「制限主権論」という中でコントロールされていた。日米関係はこういう論文すらもない中で、日本は支配されているわけですが…。フヴァチークという評論家が「クンデラが主題を選んだんじゃなくて主題がクンデラを選んだんだ」と言っていた。NHKの『こころの時代』を見たときに、同じことを目取真さんが言っていた。書こうと思って書くんじゃない、まさに書かされていると。
チェコの文学界の評価についてはどう受け止められていますか。


Kirill Neiezhmakov/PIXTA

大国のはざまで

目取真
チェコは行ったことのない国ですから具体的なイメージは湧かないのですが。ただ、ロシア、ドイツ、そういう大国のはざまにある地域で、そこは沖縄と共通する点があると思います。沖縄の場合は中国、日本、アメリカのはざまですが、大国の圧迫や抑圧を感じながら生きざるを得ないわけです。どちらか一方に加担すると利用されて悲惨な目に遭う、基本的には大国間の緩衝地帯としてしか安全に生き延びる道はないということですね。沖縄は日米両軍の地上戦があって悲惨な状況になったわけですけど、チェコやポーランドなど東欧地域というのは、ヒットラーが来たり、スターリンが来たり、大国に苦しめられることの繰り返しですよね。クンデラの『冗談』について言えば、抑圧にしろ、密告にしろ、抵抗にしろ、沖縄にもあったわけです。沖縄戦のときに同じ村の住民を日本軍に密告する人がいたし、米軍統治下でも、例えば琉球大学の学生が反米活動を展開したら、同じ大学の学生が米軍当局に密告したり。そういう密告者の存在も共通しますね。米軍統治下の沖縄では、CIC(対敵諜報部隊)に逮捕されて拷問を受けた人もいれば、米軍の圧力で退学になった学生もいた。琉大の学生新聞も米軍の検閲を受けて、伏字で発行したりしていたわけです。これが50年代、60年代の沖縄ですから。
木村
チェコの女子体操選手で東京とメキシコのオリンピックでメダルを獲得したチャスラフスカが、「プラハの春」のときに民主化を支持する「二千語宣言」に署名するのですが、ソ連の戦車が入ってきて結局つぶされるんですね。その後マラソンのザトペックとか、他の選手たちは転向するんですが、チャスラフスカだけは撤回せずに主張したので、家族を人質に取られるかたちでスポーツ省の仕事を辞めさせられて最後はいわゆる清掃員の仕事に追いやられて、1989年のビロード革命まで不遇をかこうことになった。そういう土壌の国の作家たちが沖縄文学に気づいて「希望」や「面影」に注目したというのは、それぞれ通底しているものを改めて感じましたね。

日本語のなかに組み込まれる沖縄文学

目取真
沖縄タイムスの記事で、チェコから東大に留学した方が私の『水滴』(文藝春 秋、1997年)を読んで沖縄に関心を持ち始めたとありました。そういうかたちで、外国に伝わることもあるのかと思いましたが、まだまだ沖縄の文学が海外で広く読まれていくには力が弱いと思っています。


『水滴』(文藝春秋、1997年)

木村
沖縄文学についてですが、沖縄の言葉で作品を記すという試みについてはどう考えていますか。
目取真
沖縄は明治政府に暴力的に侵攻・併合されて、その結果、日本語の体系の中に組み込まれてきた。まだ琉球語が近代言語として確立していなかった当時、日本国家に併合されて、その中で日本語教育を受けた沖縄人によって生みだされた文学なわけです。日常語としての沖縄語(ウチナーグチ)と、表現手段としての日本語、そのはざまで執筆するというのは、近代以降の沖縄の書き手が抱えてきた問題なわけです。さらに、沖縄の中でも、首里・那覇が中心で、私のようにヤンバル(沖縄島北部)出身の言語は少数派だから、そのまま書いてしまうと、沖縄の中でさえ理解されないところがある。宮古・八重山・与那国の言葉になれば、私も理解できません。沖縄は独自の文字を持ちえなかったので、沖縄の言葉の音声を正確に表記することはできません。漢字仮名混じり文で振り仮名を使い、日本の読者にも理解できる範囲で書こうとすれば、日本語の日本文学の中に組み込まれてしまうわけです。
木村
以前の取材で、「沖縄文学は日本文学の一ジャンルとしての形で、それはやっぱり政治とも関わっていて、沖縄語が一つの言語として確立するためには、国家なり、あるいは自治体として独立というところまでいかないことには、なかなかそうはならないと思う」と言われていましたね。一方で「今帰仁なきじん、この小さな村で起こったことを書くこと。別にニューヨークとかロンドンとか北京とか行かなくても、この村の物語を書くことが世界につながっていける」との発言もありました。


テラピア 大川光夫/PIXTA

世界から孤立した状況ではいられない

目取真
どんな地域であっても世界につながっていく、近現代に限らずですね。逆に言うと、どこであっても世界から孤立した状況ではいられないわけですよ。世界にはまだ外部との接触がない部族もいるかもしれませんが、それは特殊な例であっていやが応でもつながる。例えば、戦前の沖縄の黒糖産業にしても、世界の砂糖市場との関係で不況になり、それが沖縄から海外に移民として出ていくことにつながるわけです。今帰仁という、沖縄の中でも田舎といわれている地域ですけど、「魚群記」で書いたように台湾から来た女性たちがいて、川で泳いでいるテラピアもアフリカから来ているわけですから。
木村
外来種ですからね。
目取真
食用として輸入されたのが川で繁殖し広がっていった。沖縄でよく目にするデイゴや仏桑華(ハイビスカス)、モクマオウなどももとはといえば外来植物です。日本が鎖国していた時代も琉球国は明国・清国やアジア諸国と交易し、海外からいろいろなものが入ってきた。サツマイモや孟宗竹も琉球国から薩摩経由で全国に広がったものです。ヤンバルの小さな村でも閉じた空間ではないわけで、そこをどれだけ深く広く見て表現できるかは、書き手の眼差しの力なわけです。

権威をはぎ取っていく

木村
「面影」の場合は、おばあのモノローグじゃないですか。あの村の中での話がチェコ人の文芸家たちの琴線にふれたっていうのは、そういうところが一つ、つながっているのかなと。あとは、普遍性だと思うんですね。人がなぜ生きるのか、どう不条理の中であらがうのか。ほんの瞬間、訪れた一つの幸福の時間。ところが、そのあと不幸が訪れる。あの小説で印象的だったのが、皇太子という単語、カタカナで書いておられたじゃないですか。
目取真
漢字をカタカナにするのは権威をはぎ取る意味があると思います。漢字は表意文字ですから、皇という文字自体が持つ意味があり、イメージがある。そこから解き放たれて、権威をはぎ取っていく効果があります。
木村
「面影」の主人公の女性は、差別され酷いいじめに遭って小学校も途中で行かなくなってしまった。今の日本的な学歴社会から言うと、いわゆる学がないということになるけども人として非常に重要なことを知っている。刑事たちがやってきて、詰問されて、机をたたかれようが、絶対に口を割らない。あれも、(ボスニアの首都)サラエボの人間に読んでもらったんですが、高学歴者の権力に媚びるこざかしい生き方みたいなものに対するカウンターだと。1992年にサラエボ包囲戦が始まって、最終的に民間人も自衛の銃を取らざるを得なくなるんですが、その中の一人に映画俳優だった人物がいるんですね。彼は顔に傷を受ければ、もう映画に出られなくなるけれどそれを覚悟の上で、私はとにかくこの仕事を選んでから、いわゆる権威といわれてる大学を出た人たちよりも、映画の現場で雑役みたいなことをされてる人から学んだことのほうが大きかったというようなことを連綿と語ってくれましたね。それも思い出しました。


シバワンコ/PIXTA

目取真
「面影と連れて」の女性のように軽い知的障がいを持った人は、どこの社会にも常にいるわけですよ。そういう人たちがどんな環境で生きていくのかというのが重要で、今だったら、むしろ早い段階で、発達障がいとか、知的障がいっていうかたちで区別されて、そこで一つの生き方が先まで決まってしまいかねない。あの時代は、まだそうじゃなかったわけです。村の中にいて、みんなから差別されたり、バカにされたりするんだけど、何とか食べていけるような状況の中にいた人なわけですよ。孤立して人と交流しようにもなかなかできない中で、たまたま一人の男性と巡り合って恋愛感情を持ったわけです。そういう状況に置かれている人は世界中のどこにでもいると思いますよ。社会のはずれた位置にいて、いろんな苦労を味わいながら、それでも必死に生きている人がですね。そういう共通点があるから、共感する人も出てくるんだと思いますけど。

人間は加害者であることにおいて人間になる

木村
幼い頃におばあさんから、いろいろな話を聞いてそれに非常に影響を受けたと以前話されていましたが、「面影」についても、それがきっかけとしてあったんでしょうか。
目取真
「面影と連れて」では、祖母から聞いた話は使っていません。両親にいろんな事情があって育てられなくて、田舎にいるおじい、おばあに預けられる子どもは、今でもけっこういるんですよ。
木村
作家として初期の段階で沖縄の人たちが持ってる加害性のところに言及されてるというのが非常に興味深かったですね。少年たちがもらったパイン缶を放り投げる。台湾の女なんかにものがもらえるかという。台湾という島に対してある沖縄の加害性は政治的のみならず人間の心、しかも子どもたちの心の中にまで入っている。これは内面化されていたところが、いくつかあったんでしょうか。
目取真
大学に入って間もなく、石原吉郎という詩人のエッセイを読んで、人間は加害者であることにおいて人間になる、という表現に接しました。石原はキリスト教徒ですから、人間が負っている原罪や加害性に着目し、詩や評論を書いている。ドストエフスキーにしても、キリスト教の原罪、加害の問題が大きなテーマとしてある。沖縄の歴史や基地問題を考えていく中で、アジア諸国に対する日本の植民地支配から侵略戦争、それに加担した沖縄、あるいは朝鮮半島やベトナムを攻撃する米軍の出撃拠点としての沖縄、その加害性について考えていくわけですよ、大学に入ってですね。「魚群記」を書いたのは大学の5年目で、子どもの頃のことを振り返って、自分たちが持っていた差別、偏見、アジアの人たちに対する歴史的な差別意識を自覚するわけですよ。例えば人類館事件1というのがあった。沖縄をアイヌや朝鮮人と一緒にするな、という意識を沖縄の人は持っていたわけです。ヤマトゥに対してコンプレックスを持つ一方でアジアの人たちを下に置くことによって自尊心を保つ、それが敗戦後も残っていて、身近にいた台湾の人に差別の目を向けていたわけです。
そのことへの反省や人間が持つ加害性について考えていたことが「魚群記」につながるわけです。

(第二部に続く)

1. 1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会で琉球民族、アイヌ民族、朝鮮族、生蕃(台湾先住民)など7つの民族の人々を「7種の土人」として展示。これに対して沖縄の言論人たちが「アイヌや生蕃などと同一視するな」と抗議。

プロフィール

目取真俊(めどるま しゅん、右)

作家。1960年、沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部卒。1997年「水滴」で第117回芥川賞受賞。2000年「魂込め(まぶいぐみ)」で第4回木山捷平文学賞、第26回川端康成文学賞受賞。2023年第7回イ・ホチョル統一路文学賞受賞。著書:(小説)『目取真俊短篇小説選集』全3巻〔第1巻『魚群記』、第2巻『赤い椰子の葉』、第3巻『面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)』〕(評論集)『ヤンバルの深き森と海より』(以上影書房)、『沖縄「戦後」ゼロ年』(日本放送出版協会)、(共著)『沖縄と国家』(角川新書、辺見庸との共著)。
ブログ「海鳴りの島から」http://blog.goo.ne.jp/awamori777

木村元彦(きむら ゆきひこ、左)

ジャーナリスト。1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。アジア・東欧などの民族問題を中心に取材、執筆活動を続けている。著書に『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』『争うは本意ならねど』(以上、集英社文庫)、『オシム 終わりなき闘い』(小学館文庫)など多数。『オシムの言葉』で2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。

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