芥川賞を受賞した『水滴』は勿論、鮮烈な表現で沖縄の痛みや暴力を描き続けてきた作家、目取真俊。作家としての地歩に勝ると劣らず彼を印象付けてきたのは、辺野古や
日本の今と戦後の意味を問い直し、文学の意味を模索する徹底討論。

夕凪/PIXTA
第一部 チェコと台湾から沖縄を眼差す
第1回
沖縄から見える台湾の民主化と経済発展
更新日:2025/08/20
- 木村
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戦後80周年で台湾有事について目取真さんに語ってもらうことをひとつテーマに掲げました。台湾は歴史的、地理的にも沖縄との関わりが大きく、また日本の統治支配は50年に及びましたから、ヤマトに対してのあつれきや感情もあります。
目取真さんの作家としての第一作と言える「魚群記」。これは1972年の本土復帰の前年という設定で、パイン工場で働く台湾イナグ、つまり台湾の女性が出てきます。台湾女性が働く労働現場としてのパイン工場というモチーフ自体は、子どもの頃に見たことがあったんでしょうか。
- 目取真
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私が子どもの頃、1960年代に家の近くにパイン工場がありました。ベルトコンベヤーの流れ作業でパインの皮をむいて芯を抜き、輪切りにして缶に詰めたあと、皮や芯が外に廃棄されるわけです。それにはまだ柔らかい果肉が残っていて、子どもの頃にベルトコンベヤーから落ちてくるのを食べてたんです。パインは酸性土壌の地域にできますから、
今帰仁 村では呉我山 とか湧川 あたりで作っていました。今年の7月にジャングリア沖縄がオープンしますが、その周辺地区です。当時はパインと砂糖キビが今帰仁村の主力産業だったんです。私は今帰仁村の仲宗根 という集落で生まれ育ちましたが、そこは村の中心地で製糖工場とパイン工場がありました。パインはもともと台湾から伝わってきたものですから、台湾の人にとってはなじみのある産業で、それでパイン工場に働きに来ていたのだと思います。
ミッキー/PIXTA
出稼ぎ女性の記憶
- 木村
- 台湾からの出稼ぎ女性の記憶というのは、しっかりあったのですか。
- 目取真
- 1972年の5月15日に沖縄の施政権が日本に返還されます。いまは再併合とも言われますが、同時に日中国交正常化によって台湾とは断交したため、台湾の人が沖縄に来られなくなるわけです。だからパイン工場に台湾の女性が働いていたのは71年頃までですね。私は1960年生まれですから、彼女たちを見かけた記憶はもちろんあります。彼女たちが住んでいた建物も家の近くにありました。当時はまだ台湾の女性たちを性風俗との関連で見るような時代だったわけです。沖縄でも台湾に観光旅行する男たちは、性風俗のところで遊ぶというような目で見られていました。
- 木村
- 台湾の作家、黄春明が「さよなら・再見」という小説で日本からの旅行者の売買春問題を扱っていますね。日本から売春ツアーで台湾に来るグループをガイドする台湾青年の葛藤を描いて、かつては日本の軍事侵略、戦後は経済侵略の在り様を突きつけた。
『さよなら・再見』(めこん、1979年)
- 目取真
- 彼(黄春明)の作品は1980年代ぐらいに沖縄でも話題になっていて、沖縄タイムスや琉球新報でも取り上げられていました。来沖もしているはずです。台湾への差別意識は戦前からつながっているわけです。もちろんパイン工場にいた彼女たちは働きに来ているのであって、性風俗とは関係がないんですけど、子どもたちまで大人たちの影響を受けて、台湾の女性をそういう目で見ていた。その記憶を基にして「魚群記」という小説を書いたわけです。
「日本人と沖縄人は違う」
- 木村
- 今回、日本と沖縄と台湾の戦後について少し調べたんですけど、日本が1945年に敗戦を迎えて50年間統治支配した台湾から引き揚げてくるときに同じ民間人でも日僑と琉僑、二つに分けたんですね。まず日本の本土の軍人を最初に帰国させて、次に本土の民間人を帰国させて、最後に沖縄出身の軍人と民間人を台湾から帰らせた。本土の民間人を帰すための護衛をさせたのが沖縄出身の兵隊たちだったという。統計上は、琉僑の人たちは、「その他」という行政上の区分に上げられて、肺結核とかハンセン病の患者の方たち、つまり隔離患者とか囚人と一緒に台湾に残されていた。敗戦を迎えて台湾から帰国する上においてさえ、既に差別が継続してあったわけですね。
- 目取真
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又吉
盛清 という沖縄大学の先生がいて、沖縄と台湾の関係を詳しく調べています。琉球王国時代に宮古島の人たちが首里にいろいろ税を納めていたんですが、1871年に遭難して台湾に漂着し、69人中54人が殺される事件が起きた(牡丹社事件)。それが、日本が台湾に侵攻していく口実として利用されるわけです。琉球併合から台湾の植民地支配につながっていく過程で、沖縄の人たちが台湾に渡って、台湾支配を末端で担う役割をしていた。日本からすると、沖縄で先に進めて成功していた同化政策を、今度は台湾で行うわけです。日本語の使用や創氏改名、国家神道の押しつけとかですね。それを末端で担ったのが、同化が進んだ沖縄人だったわけです。彼らは台湾社会で学校の教師になったり、警察官や軍人になったりして浸透していきます。娼婦として台湾に渡った女性たちもいます。沖縄戦の際も、最初の陸軍特攻隊の隊長だった伊舎堂用久 中佐は台湾の飛行隊にいて、故郷の石垣島から出撃しています。そういう歴史の積み重ねがある。戦時中、台湾に移住していた沖縄人は1万5000人近くらいです。帰すときに日本人と沖縄人という違いがあったわけですね。琉球国の歴史を知っている台湾人からすれば、日本人と沖縄人は違う、という認識があったでしょうし、娼婦や貧しい沖縄人に接した人たちの中には、ヤマトゥンチューと比較してウチナンチューを蔑視する人もいたわけです。
経済的に逆転した台湾と沖縄
- 木村
- 「魚群記」に登場する台湾イナグの時代と比較して今の台湾を沖縄からどう見ておられますか。
- 目取真
- 今は経済的にも沖縄は台湾に追い越されています。辺野古のゲート前の抗議行動に参加しているとき聞いた話ですが、台湾から来て参加した人がいて、その人が辺野古に土砂を運んでいるダンプカーの運転手の日当が1万5000円だと聞いて驚いていたと。台湾ではダンプカーの運転手の日当が3万円だと言うんですね。沖縄で払われている日当の2倍を向こうではもらっているわけですよ。これだけ経済が逆転している。名護市の図書館には職安の求人票をコピーして貼ってありますけど、多くは時給が1000円を超えないぐらいなんです。ジャングリアができて時給を千何百円と払うと沖縄の企業はそんなに払えないので、人集めが厳しくなるわけです。辺野古に土砂を運ぶダンプカーの運転手にしても、まだ大浦湾の埋め立ては始まっていないので、仮置きの土砂を運んでるんです。運転手を確保するために仕事を切らさないようにしているわけです。
辺野古に資材搬入するダンプカーと、抗議する人たち(目取真氏ブログ「海鳴りの島から」より)
- 木村
- それで台湾の方が、人件費が2倍以上ですか。
- 目取真
- だから驚いたんですね。かつては台湾から沖縄に出稼ぎに来ていたのが逆転している。以前は台湾に観光旅行に行っていたのが、今では春節の頃になるとどっと台湾から来るようになっている。「失われた30年」と言われますが、日本経済が停滞している間に追い越され、それだけの差がついているわけです。
補償する台湾、補償しない日本
- 木村
- 台湾において歴史上ずっとタブーにされていた二・二八事件(1947年2月28日)というのがあります。侯孝賢の『悲情城市』という作品が1989年に初めてそれを描いて、ヴェネツィア映画祭でグランプリを取って世界が知ることになったわけですが、それまで国内で語ることさえ憚られていた。中国大陸本土からやってきた蔣介石(国民党総裁)と外省人が構成する国民党政権の汚職と横暴がすさまじく民衆の不満が溜まっている中、ヤミ煙草を売っていた女性に官憲が暴行したことで、本省人(戦前から台湾に定住していた人々)の怒りが爆発する。抗議デモが起きると、これに対して国民党政府は全土に渡って民衆に徹底した弾圧を加えて虐殺が始まります。約3万人が殺されるのですが、その中で沖縄から渡っていた方々も犠牲になっています。この非人道的行為について、沖縄から賠償を求める裁判が起こっていたのは知ってたんですけれども、2016年に台北の裁判所は訴えを認めて、それを現在の台湾政府も認定して謝罪と賠償を決めた。それまで台湾政府は、日本政府は台湾人軍人や台湾人慰安婦への補償を行っていないとして、国際法などに見られる「対等の原則」から、賠償を拒否していた。それが、まだ認定されずに苦しんでおられる方もいますが、とにかく初めて外国人への認定賠償をやった。外国人初の認定賠償です。かつては国民党の不祥事は法にも裁かれず、報道も禁じられて、白色テロがずっと横行していたのですが、民主化されたことによって公正な司法というものが機能し出した。国として加害に向き合うという意味では、沖縄戦を覆い隠す日本政府とは真逆の方向で動いている。
- 目取真
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治安弾圧と言論統制が厳しくて、二・二八事件は台湾でほとんど語られることがなかったのですが、民主化が進んで過去の歴史的な課題として出てきたわけです。国の歴史としてタブーにしておくわけにはいかないと。沖縄では青山
惠昭 さんという方が『蓬莱の海へ』という本を書いています。2・28事件で父親が基隆の港で国民党に殺されているんです。つまり犠牲者のご遺族なんですよ。台湾政府相手に裁判を起こした本人なので、事件や裁判のこと、遺族の思いなどを詳しく書いておられます。幼い頃のことで父親についてよく知らないまま過ごして来られたのですが、民主化で真相究明が進み、二・二八事件で父親が殺害されたことを知って、遺族の一人として提訴なさったわけです。台湾側は最初、沖縄の青山さんに対する賠償を拒否しました。日本軍の慰安婦にされた台湾の女性や台湾籍の日本兵に対する補償を日本政府は一切やってないじゃないかと。日本政府がやってないのに、どうして自分たちが日本人に補償しないといけないのかという論理なんです。平等互恵の原則から言えば、反論のしようがない。しかし、日本政府の行いはおかしいが、人道的観点から台湾の方が手本を示してほしいと裁判をして、最終的には台湾の裁判所が高い見識をもって補償を認めるわけです。同時に、台湾の裁判所が認める際には、日本も同じように台湾人の慰安婦や兵隊にちゃんと補償してほしいと述べるんですけど、日本の側は応じないままになっています。これが敗戦から80年を迎えている今の日本なわけですよね。
『蓬莱の海へ』(ボーダーインク、2021年)
- 木村
- 韓国もそうですね。ベトナム戦争時に派兵した韓国軍によって家族を虐殺され、自身も深刻な銃傷を負ったベトナム人女性、グエン・ティ・タンさんが韓国政府に賠償を求める裁判を行っていたのですが、ソウル中央地裁は2023年にこれを認めて、政府に支払いを命じる判決を言い渡しました。当然民主化と両輪だと思うんですけれども、台湾も韓国も司法の部分に関して言えば、画期的な判決を出してますね。
- 目取真
- 日本が国際的に見て遅れているわけですよ。すでに決着のついた問題だからみたいに言うんだけど、遺族からすれば決着などついてないわけです。台湾の方が、ずっと先進的な考え方です。日本のありようはとても恥ずかしいことだと思います。
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- プロフィール
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目取真俊(めどるま しゅん、右)
作家。1960年、沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部卒。1997年「水滴」で第117回芥川賞受賞。2000年「魂込め(まぶいぐみ)」で第4回木山捷平文学賞、第26回川端康成文学賞受賞。2023年第7回イ・ホチョル統一路文学賞受賞。著書:(小説)『目取真俊短篇小説選集』全3巻〔第1巻『魚群記』、第2巻『赤い椰子の葉』、第3巻『面影と連れて(うむかじとぅちりてぃ)』〕(評論集)『ヤンバルの深き森と海より』(以上影書房)、『沖縄「戦後」ゼロ年』(日本放送出版協会)、(共著)『沖縄と国家』(角川新書、辺見庸との共著)。
ブログ「海鳴りの島から」http://blog.goo.ne.jp/awamori777 -
木村元彦(きむら ゆきひこ、左)
ジャーナリスト。1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。アジア・東欧などの民族問題を中心に取材、執筆活動を続けている。著書に『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』『争うは本意ならねど』(以上、集英社文庫)、『オシム 終わりなき闘い』(小学館文庫)など多数。『オシムの言葉』で2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。