日々雑食京都 仁平綾

脳内は食べもののことでいっぱい。祖母の手料理と母の洋菓子をたらふく食べて育ち、東京で編集ライターをしながら、前のめりで食べ歩き。結婚後は中国・北京、ニューヨークに暮らし、見慣れぬ食材での自炊に奮闘しながら、ストリートフードから星付きグルメまでを果敢に食べ込んだ。2021年、縁もゆかりもない京都へ移住。京野菜、京豆腐で作る家ごはんのおいしさに唸りつつ、町中華、町洋食、焼肉、団子にケーキを縦横無尽に消化吸収中――そんなエッセイスト仁平綾さんのこれまでといまの雑食ぶりを綴る連載エッセイ。

第4回

秋の黒いのと春の白いの

更新日:2026/10/07

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 前世がみえるという占い師さんに会った。
 おもしろ半分、京都でオープンするカフェの先行きを尋ねたい気持ち半分。邪気のない妖精みたいな女性占い師さんと、喫茶店で対面した。
 さっそく前世を聞けば、私の生まれは地球以外の星で、元々は宇宙人(!)だという。地球人に生まれ変わったあとは、エジプトの送り人、西ヨーロッパの魔女など、なかなかの過去生を辿ってきたらしい。日本人エッセイストの今生が弱すぎる……。
「こんどカフェを始めるんですけど、うまくいきますかね?」
 いよいよ本題。私の質問に彼女は、
「仁平さんの前世はポルトガルの漁師の娘なので」
 と前置きしたうえで、
「食堂をやっていて、魚をたくさんさばいてる。魚介を使って、いろんな料理を作っていました。ずっと料理をしていた人。だから、カフェは大丈夫です!」
 と、目を瞑り、ふふふ、と微笑むのだった。
 えっと、なるほど。前世の能力って今世にも引き継がれるのですね?
 魚はさばけず、魚介料理もこれといって。漁師の娘の恩恵を感じたことはないけれども……。待って、だとしたら、宇宙人や魔女の能力も私のなかに眠っているのだろうか。テレポーテーションとか予知とかできちゃうの? 私。
 とかなんとか考えていたら愉快な気持ちになり、だったらカフェもまあ大丈夫かぁ! と納得したのだった。

 前世が漁師の娘だからか、わからないが、私は幼いころから“食”への執着が強い。
 はじめて包丁を握ったのは幼稚園のころ。祖母に小さなまな板とともに支給され、キャベツをひたすら千切りしていた記憶がある。
 小学生になって、愛聴したのはテレビの料理番組『料理バンザイ!』だった。とくに男女ふたりがレストランで食レポをするコーナー「たまに行くならこんな店」を食い入るように見た。私の食べ歩き癖は、この番組のせいかもしれない。
 高校生のとき、嘘をついて早退し、ホテルのデザートブッフェへ出かけたこともあった。
 ブッフェは平日限定、放課後に千葉の学校から駆け付けても間に合わない。ある日、たまたま学校行事かなにかで好機を得て、「チャンスは今日しかない」と友人と結託、先生に真っ赤な嘘をついて新宿のホテルへ走った。
 メロンのショートケーキ、シュークリーム、ババロア、ティラミス……。目も眩むデザートの雛壇を前に、罪悪感は秒で葬られ、別腹が覚醒。気持ち悪くなるまで食べ続け、悦に入ったまま自宅に戻れば、嘘は当然バレていて、母親にずいぶん叱られた。

 大人になった私は、持ち家なし貯金なし、食い意地だけが財産となった。
 料理人でもないのに、食材への情熱をやたら燃やしている。やはり前世が漁師の娘だからだろうか。
 岩手県へ温泉旅行に出かけたときは、朝採れのマツタケを狙って、道の駅をいくつもはしごした。もはやプライオリティは、湯よりもマツタケ。太さと笠の開きが絶妙なマツタケを、たしか5000円ほどで手に入れ小躍りした。もう25年も前の話である。
 同じく温泉目当てで南伊豆へ出かけたときは、地元名産の手長海老をどうしても買って帰りたい、となり暗くなるまでレンタカーでぐるぐる、しつこく走り回った。まだ地図アプリが普及する前のこと、ついに卸問屋のような店で20匹ほどゲット。あの不屈の精神は、いまでも苦境に陥るたびに思い起こす。あきらめるな私、手長海老だって買えたじゃないか!

 京都に移住してからは、野菜狂となった。
 ほぼ毎週、足を運ぶのは左京区の里山、大原にある【里の駅 大原】。寒暖差のある盆地の大原は、みずみずしく糖度の高い野菜が育つことで知られる。
 農家さんが育てた野菜や加工品の直売所である店内には、つるつる、ぴかぴか、元気な野菜たちが並ぶ。葉がわっさわさのルッコラやパクチー、肥えたぶりぶりの万願寺とうがらし、養分の塊みたいなビーツ、花付きの朝もぎきゅうり、トマト、かぼちゃ、なす、じゃがいも……どれも鮮度一級。
 煮たり焼いたりするだけでごちそうになるから、コスパもよい。蒸し焼きのそら豆、軽く茹でたとうもろこしで、人はこんなにも機嫌良くなれるのだなあ。大原の野菜は、私の食生活と情緒安定に欠かせない存在となり、ついには車で10分の近距離に引っ越したほどである。

 毎年10月になると、丹波篠山まで車を走らせる。目指すはただひとつ、黒枝豆。
 肥沃な盆地で育てられる丹波黒大豆を、成熟する前に収穫したもので、漫画『美味しんぼ』で“素晴しく美味しい”と描かれていたのを読み、憧れた枝豆である。
 スーパーやデパ地下でも買えるけれど、採れたてに勝るものはなし。しかも丹波篠山では、小ぶりなクリスマスツリーほどあるサイズの枝付きが、2000~3000円で手に入るのである。
 目的地は【特産館ささやま】。特設テントがあり、枝付きの黒枝豆の購入のほか、地方発送も可。また、向かう道すがら、道端にぽつぽつと立つ農家さんの直売所をあちこち覗き、いくつか購入するのも楽しい。
 2~3袋ほど車に積み、さっさと家へ帰ったら、キッチンのシンクで、ぱちん、ぱちん、無心になってハサミで房を枝から切り離す。豆は大粒、ぷっくりまんまる、たっぷりの塩を入れた湯で茹でれば、房がはちきれんばかり。茹で上がりに海塩をささっと振りまぶし、湯気が立ちのぼるのを、あちあち、とつまむ。
 房から勢いよく顔をだす、ゾンビみたいな毒々しい黒紫色の豆は、「腐ってなんかいませんよ」と『美味しんぼ』にもあるとおり、黒豆だからこそ。ぽいっと口へ運べば、ほくほく、ほこほこ、筍のような栗のような香りと甘み。食べ切れるのか心配になる量でも、オットとふたりで楽に平らげてしまうのだった。


丹波篠山の黒枝豆は、毎年10月上旬に解禁され10月下旬まで販売。解禁日は丹波篠山市のウェブサイトなどで確認を(昨年の解禁日は10月10日)


異なる農家さんの黒枝豆を食べ比べ。ちなみに上旬よりも下旬の豆のほうが赤黒く、味も深くなる。だから2回買いに行く(食への執念)

 京都といえば、筍の産地である。4月に某割烹で筍尽くしのディナーをいただいた。
 カウンターに鎮座するのは、40~50cmほどのご立派な筍数本。皮を剥かれた茹でたては、ぼんわり発光するように肌が白く、なまめかしい。女優みたいだ。筍界の綾瀬はるかと勝手に命名。
 大将に聞けば、白子筍(しらこだけ)だという。
 土からにょきっと顔を出す前に掘られる、希少な筍なのだそうだ。日光を浴びていないため、皮も身も白い。
 湯がいた根元部分を輪切りにして食べさせてもらうと、筍特有のえぐみは皆無。ほっくり、ふわっと軽やかな身は、ジューシーを通り越し、おっといけない、よだれが口から漏れ出ちゃった、と錯覚するぐらい、筍汁であふれていた。こんな筍、食べたことがない!
 産地は、筍の里として知られる、西京区の大原野。大将は毎朝農家さんのもとへ出向き、ときには一緒に土を掘り返して収穫を手伝い買い付けてくるそうだ。なんとも恐れ入ります。
 ディナーの最中、筍に詳しい隣客の会話に、耳が膨らむ。この時期は、大原野のお土産屋や道端の直売所で筍が販売されているらしい。
「でも白子筍は表に並んでないんですよね」
「そうそう。白子筍があるか聞くと、裏から出てきたりする」
 え、ブラックマーケットなの?
 善峯寺へ向かう道で売られている、との情報を横聞きし、すかさずメモ。白子筍への心はやる。私も買いたい。また食べたい。うー!
 
 というわけで翌日、仕事を放り出し、オットと車でいざ善峯寺へ向かった。
 春の日差しに、さわさわと揺れる竹林があたり一帯に増えてくると、いよいよ大原野である。
 山道を少し登った先に、ありました、道端の直売所。まずは善峯寺まで行って、あとで寄ろうと先へ進む。家屋が減り、緑が深くなってきたところで、食事処を併設した土産屋を発見。その先が善峯寺である。
 土産屋の駐車場に車を停め、開放された店内をのぞけば、あるよ、あるよ、筍が! 朝採れの大小が山積み。すでに湯がいてある皮付きミニサイズもごろごろ。ひゃー!
 しかし、どれも見慣れた茶色い皮の筍で、白子筍ではなさそうである。
「すみません、白子筍ってありますか……?」
 恐る恐る、店の人に尋ねてみたところ、
「ありますよ、こちらへどうぞ」
 あっさり売り場の奥へ案内された。
 店の人がカゴにかけられた布を、ばさっとめくると、そこには白子筍がどっさり。「裏から出てくる」説は本当だったのだ。
 割烹で食べたようなビッグサイズに心惹かれつつ、夫婦ふたりだしなあ、と手頃な2キロのものを購入。ついでに、普通の朝採れ筍も手に入れて、やった、やった! 毛穴全開で車に乗り込み、さあ帰路へ。筍は鮮度が命。早く家に帰って茹でなければ。

 坂道を下る途中、欲が出て先ほど通りすぎた直売所にも立ち寄り、
「白子筍ってありますか?」
 店番の女性にたずねてみたところ、
「ないですねぇ。たくさん採れないしね。朝採れて並べても、すぐに売れちゃう」
 と残念な結果。やはり希少な筍なのだなあ。
「普通の筍もおいしいですよ。全部、朝採れでえぐみがないしね」
 一度出た物欲は引っ込みがつかず、じゃあ……と手を伸ばして物色。
「大きい筍だと鍋に入らないしなあ。鍋が足りなくなっちゃう……」
 と私がぼんやりつぶやいたところ、直売所の主と見られるおばあちゃんから
「皮は剥いてから茹でる。そのほうが楽やろ、味も変わらん。皮ごと茹でるのはテレビ番組だけや!」
 と辛辣な口調ながら、有益な情報を入手。
 たしかに! 皮ごと茹でなければならぬと信じていたけれど、皮を剥いて小さくすればいいじゃないの。
 にんにくを食べたあとリンゴジュースを飲むと、臭いを消すことができる、と並んで、人から教えてもらった最近の二大「へぇー!」である。

 そうとわかれば、さあ、筍の下ごしらえ。直売所を後にして、自宅へ直帰。せっせと筍の皮を剥き、キッチンの鍋を総動員して筍を湯がいた。
 割烹の大将は、糠を使うと筍の甘みが抜けるため、「塩のみで茹でる」と言っていた。
 しかし素人の私は、お土産屋さんの「米糠の甘みで筍の甘みも増す」との助言に従って、米糠入りの湯で茹でることにした。
 沸騰してから弱火で1時間ほど茹でたら、火を止めて鍋のなかで冷まし、保存容器にきれいな真水とともに入れて冷蔵庫へ。毎日水を替えれば、1週間はもつ。
 その日の夜は、フライパンでさっと焼いて、筍ステーキ。翌日は、牛肉と一緒に筍すき焼き。3日目は、筍天ぷらと筍ごはん。4日目は、筍パスタ。5日目は、筍の混ぜ寿司と続いて、「もう筍いらない~」と贅沢な悲鳴が漏れる1週間だった。
 そして肝心の白子筍は、素人の私が茹でても格別のおいしさだった。かたさ、筋っぽさは微塵もなく、じゅわっと甘い筍汁が炸裂。来年も、必ずや大原野まで買いに行くと決めた。


筍は穂先がいちばん価値アリ、と思いがちだが、いやいや、白子筍のような筍は根元こそやわらかく美味と割烹の大将に教えてもらった。へぇ!

 ところで、京都の知人に聞いた話だけれど、大原野などの筍の産地では、その場で掘りたてをバーベキューで食べさせてくれる、夢のような会があるらしい。
「え! そういう店があるんですか?」
 前のめりで尋ねたら、
「そやなくて、農家さんがお得意さんなんかを招いて開催するんちゃいますかね」
 とのこと。
 あぁ、私もいつか参加してみたいなぁ。食い意地は尽きない。
著者プロフィール

仁平 綾(にへいあや)

千葉県生まれ。エッセイスト。東京、ニューヨークで編集・ライターとして活動後、2021年に京都へ移住。著書に『ニューヨーク おいしいものだけ!』(筑摩書房)、『ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由』(だいわ文庫)、『京都はこわくない』(大和書房)など。食いしん坊が高じて、2025年夏にカフェ&グローサリーROBYNを京都にオープン。
インスタグラム:@nipeko55

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