
脳内は食べもののことでいっぱい。祖母の手料理と母の洋菓子をたらふく食べて育ち、東京で編集ライターをしながら、前のめりで食べ歩き。結婚後は中国・北京、ニューヨークに暮らし、見慣れぬ食材での自炊に奮闘しながら、ストリートフードから星付きグルメまでを果敢に食べ込んだ。2021年、縁もゆかりもない京都へ移住。京野菜、京豆腐で作る家ごはんのおいしさに唸りつつ、町中華、町洋食、焼肉、団子にケーキを縦横無尽に消化吸収中――そんなエッセイスト仁平綾さんのこれまでといまの雑食ぶりを綴る連載エッセイ。
第3回
湧き水ハンター
更新日:2026/07/29
- いまから8年ほど前、ニューヨークに暮らしていたある夜、Foraging(フォレジング)がテーマのレストランへ、友人たちと出かけた。
フォレジングとは、“採取”や“狩猟”の意味。野草やジビエの野趣を楽しませるのはもちろんのこと、ときには岩場の海藻や森に自生する苔といった食べ慣れない素材も採取し、料理に抜擢する手法である。当時、食のトレンドのひとつになっていた。
コンクリート打ち放しのブルックリンらしい空間で繰り出された料理は、北米でフォレジングされた食材を随所にちりばめたもの。たとえば流木の器に盛られたうずらの燻製卵には、あざみの花を黄色くしたような植物があしらわれていた。口に入れると、びりりと刺激。
「山椒!?」
シェフに聞けば、Szechuan Buttonsと呼ばれるハーブだという。山椒の痺れが、アメリカにも珍味として存在するのだなぁと驚き。ほかにも、Milkweedという名の乳白色の汁が滴る山菜(ブロッコリーみたいな青い味だった)など、未知の食材にへぇ、ほぉと感心しきりだった。
終盤、ワインも進み、へべれけ女子会の様相を呈してきたところで、メイン料理が登場。シェフの説明もそこそこに、テーブルに運ばれた肉料理にフォークを突き刺し、各々口へ運んだ。医療費が高すぎるよね。地下鉄がほんとだめ。などと悪態をつきながら、もぐもぐ肉を咀嚼していた全員が、ぴたり、かたまる。この肉、なに……? すごい臭いなんだけど……? あらためてシェフに尋ねれば「羊の腎臓」。メニューに羊肉とあったけれど、まさかの腎臓。猛烈な獣臭である。そしてあとから追い討ちをかけるアンモニア臭。そりゃそうだよね、だって腎臓だもん。
臭いを消し去ろうと、赤ワインを流し込んでも、まだ臭い。デザートを食べ、解散して、帰路についた地下鉄の中でも、なかなか臭い。なんなら自宅に帰りつき、歯を磨いてベッドに入って、翌朝目を覚ましたあとでも、しつこく臭かった。
「くっさ! 昨日の夜、なに食べたの?」
オットに怪訝な顔をされる始末。フォレジング料理は手ごわい。
とはいえフォレジングは、私にとって崇高な行い、憧れである。
食材を自らの手で調達する原始的な営みに、生きる逞しさを感じるからか。狩猟民族の血がひそかに流れていて、細胞がざわつくのか。単に食い意地と好奇心が旺盛なだけなのか。わからないが、思い返せば、子どもの頃からフォレジング欲が、自分の内にあったような気がする。
公園に咲くツツジの花を摘んで、根元のガクをとり、口にくわえて、ちゅうちゅう蜜を吸ってみたり(毒性があるツツジもあるようなので、むやみに吸わないように!)。小学校からの下校途中、塀にびっしり実っていた赤い実を、ぷちっと摘んで、甘酸っぱいご褒美に喜んだり。梅干しをタケノコの皮に包んで吸うとおいしい、との情報を聞きつけ、近所の竹林へ採取しに行ったこともあった。皮を数枚、誇らしげに家に持ち帰ったところ、「人様の竹林に勝手に!」と祖母にこっぴどく叱られ、味のほうは忘れてしまったのだけれども。
ライターの仕事をしていた20代半ば、グルメな編集長に、野生のきのこをお裾分けしてもらったこともある。取材できのこ名人ときのこ狩りに行ったらしい。じゃじゃーん、タッパーに美しく仕分けされたきのこは、雪を思わせるふわふわな白、なめこと同類のぬめりがある焦茶、どうみても毒々しい黄色、ねばねばして溶けかけているベージュなど種々雑多、「これは食べて大丈夫なやつだろうか……」と一抹の不安がよぎる個体もあった。しかし、編集長は「きのこ名人によるお墨付き。すべて食用、無害」と言い張る。
食うか、食われるか。野生きのこのロシアンルーレット。「鶏肉と一緒に鍋にしたら、絶対うまいぞ」との編集長の言葉に、私の食い意地はぐらりと揺れた。野生きのこを食すというワイルドさ、そのタフネスを達成してみたい気持ちもあり(自分で採取していないくせに)、逡巡した結果、全きのこをタッパーごと持ち帰った。言われた通り鶏肉とぐつぐつ煮て、いざ実食。こりこり、むにゃむにゃ、ねろねろ、野生きのこは食感天国、じつに愉快。汁に滲み出た旨みは、しいたけやしめじの比ではなく、おぉ! とひとり歓喜、身震いするおいしさだった(きのこ中毒によるハイテンションではなかったと信じたい)。
そんな命知らずな食体験もすっかり過去のものになった昨今。スーパーや食料品店で美しく陳列された野菜、肉、魚を買うだけの超現代人な私は、京都でひさしぶりにフォレジングに遭遇して心躍った。京都のフォレジング、それは“湧き水汲み”である。
この街に移住して驚いたことのひとつが、「人々が湧き水を汲んでいる」事実だった。神社を訪れると、空きボトルを手にした人たちが手水舎へやってきては、水を汲んで帰ってゆくのである。湧き水なんて、子どものころ山のキャンプで汲んだっきり。ここは水道完備、ペットボトルの水がどこでも手に入る都市だよね?
「水、やっぱり違いますか?」
あるとき手水舎で声をかけたら、
「おいしいですよ。お茶を淹れたり、コーヒーを淹れたりしてね」
近所の人がそう教えてくれた。また別の日に、別の神社で地元の人に声をかけたら、湧き水で顔を洗っているという。肌の調子がすこぶるよいそうだ。へぇ!
京都の知人いわく、京都市の地下は巨大な貯水池のようになっており、琵琶湖に匹敵する豊富な水量の地下水が蓄えられているとか。だから昔から市内各所で水が湧く。そしてその水は臭みがなく、クリアで、まさに甘露。湧き水が、日本酒、和菓子、豆腐、麩など、京都の食文化を支えてきた陰の立役者というのも納得である。
私はさっそく方々へ水を汲みに出かけた。飲んでみれば、たしかに水道水特有のカルキ臭さがなく、あきらかに口当たりが丸い。なかには「とろみがある?」と錯覚するほどの湧き水もあった。コーヒーを淹れれば、雑味がぐっと減り、水割りにすれば、ウィスキーの香りがふわんっと香り立つ。正直、水だけに味そのものはよくわからないけれど、でも、なにかが違う。以来、私は湧き水の虜になり、湧き水ハンターとなった。大きめのペットボトルを車のトランクに常備。空いたペットボトルや水筒をバッグに忍ばせて、ゆく先々で水を汲んでは持ち帰っている。
汲み場所の筆頭は、神社。上賀茂神社、梨木神社、下御霊神社、北野天満宮、八坂神社、貴船神社、松尾大社などなど、たいてい手水舎に地下水が湧き出ているので、参拝者の邪魔にならぬよう、持参したボトルにささっと汲む*。神社以外にも、市内のとある自治会館に備えられた蛇口や、老舗店の店先の井戸に取り付けられた蛇口からも湧き水が汲めたりするので、あちこち巡って、湧き水ラリーを楽しんでいる。
湧き水はコーヒーショップや蕎麦屋、かき氷店といった飲食店でも活用されている。先日、午後早い時間に一杯、と足を運んだ左京区のワインバーでお冷を頼んだら、
「うちの水、地下水なんです」
と店主がさらりとカミングアウト。グラスに入った湧き水が、すとんと目の前に置かれ、しびれた。この街では、湧き水というスペシャルな水が、あまりにも自然に生活に溶けこんでいるのである。
当然、割烹では出汁をひいたり、米を炊くのに、湧き水が重宝されている。
かの有名店では、東京の支店に毎朝湧き水を運び、出汁をひいていると聞く。なぜそこまでするのかというと、出汁の出方がまるで違うのだそうだ。これは私が足を運んだいくつかの割烹で、どの大将も口を揃えて言っていた。ある大将は、仕事で九州へ行ったとき、現地の水で出汁をひいたものの、まったく違う味になって困った経験があるとか。ちなみに同じ京都市内の湧き水であっても、場所によって微妙に水質が異なり、出汁の仕上がりも違ってくると聞いた。うーむ、奥が深い。
湧き水でひいた出汁といえば、印象深いのが割烹「徳ㇵ本也(とくはもとなり)」である。
ある春の椀ものは、あぶらめ(アイナメ)と青のり豆腐であった。張ってあるお出汁は、近隣の神社で汲んだ湧き水に、昆布とかつお節だけを加えてひいたもの。塩などは加えず、味付けは一切していないという。食材の持ち味だけが抽出された、いわば“お湯”。それなのに口に含めば、たしかな塩みと甘みがあり、あぶらめの淡白な身が持つこっくりとした旨みと、青のりの磯の香りが嫌味なく引き出されていた。計り知れない湧き水のポテンシャルと、それを自在に操る大将の力量よ! 秘訣を聞けば、「湧き水は汲みたてだと、水の粒子が落ち着いていないからか、いい出汁がとれないんです」と大将。汲んで半日ほど置いてから使っているのだとか。京都の水を制するもの、料理を制するのである。 
湧き水で出汁をひいた「徳ㇵ本也」の椀もの。コースは昼25,000円、夜33,000円(税込)。囲炉裏で調理される魚介の炭火焼きは唯一無二- 先日訪れた日本料理店「MUBE」でも、やはり湧き水が用いられていた。
聞けば、京見峠の水だという。あの京見峠! 北区から右京区へ抜ける、くねくねと細い山道にある峠で、何度か車で通ったときに水を汲んでいる人を目撃したことがある。いつか私も……と、湧き水ハンター心をくすぐられる名水スポットだ。しかしなかなか実現できずにいたのは、たどり着くまでの道のりが恐怖すぎるから。車2台がぎりぎりすれ違える難所があり、運悪く対向車が来てしまったら、誤って脱輪しないようヒヤヒヤしながら、ハンドルを握らなければならない。思い出すだけで胃がきゅっと縮む。できることなら通りたくない。
難所を越え、わざわざ汲んできてくださった峠の水でひいた、かつお出汁。もう存在だけで十分ありがたい。ひと口、吸い込めば、頬のなかでふっくら広がる触感。椀種の新蓮根とよもぎ豆腐の食味を輝かせつつ、引き際はスッ。潔く美しい後口で、またひと口、もうひと口と飲みたくなる、誘う出汁であった。湧き水を寒天で固め、じゅんさいを飾ったその日のデザートも夢のような口溶けで、湧き水はもはや単なる水ではなく、尊い食材であることを思い知ったのだった。 
築150年の古民家を約2年かけて改装した空間も圧巻の「MUBE」。写真は湧き水を使ったデザート。コースのみ、昼17,600円、夜28,600円(税込)- 街中の京菓子店で手に入れられる湧き水スイーツもある。「亀屋良長 本店」で、夏の間だけ販売される「醒ヶ井(さめがい)水あんみつ」だ。

トッピングは、水あんみつのために柔らかく作られた「烏羽玉(うばたま)」、コクのある黒糖蜜、求肥とみかん、さくらんぼ。691円(税込)夏季限定・本店でのみ販売- 敷地内に湧き、和菓子づくりに用いられている「醒ヶ井の水」をゆるくかためた寒天が主役。つまり水味のあんみつ。するりん、とろりん、淡くほどける湧き水寒天の、その妙味を確かめようとするそばから、しゅるるるる……、喉の奥へとはかなく消えてゆく。なんというか、とらえどころのない湧き水と、なかなか一筋縄ではいかない京都のふたつが絶妙に表現されている、とってもこの街らしい涼菓なのである。
*湧き水の管理と維持に感謝を。水を汲んだ際には、賽銭箱などへの心付け(寄付)を忘れずに。 -
徳ㇵ本也
日本料理の質実剛健さ、目も舌も眩む豪華食材の掛け合わせ。どちらも存分に味わわせてくれる松本進也さんのコース料理(昼夜あり)
https://motonari-kyoto.jp/
MUBE
滋賀・長浜出身の店主・泉貴友さんの礎である発酵文化や郷土料理。それらを軸に展開される日本料理の新世界。昼夜ともにコースのみ
https://mube.co.jp/
亀屋良長
代表銘菓「烏羽玉」で知られる、創業220年の老舗。敷地内に湧く醒ヶ井の水を店先で汲むことができ、私の湧き水スポットのひとつでもある
https://kameya-yoshinaga.com/
- 写真/仁平綾 バナーイラスト/若村大樹
- 著者プロフィール
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仁平 綾(にへいあや)
千葉県生まれ。エッセイスト。東京、ニューヨークで編集・ライターとして活動後、2021年に京都へ移住。著書に『ニューヨーク おいしいものだけ!』(筑摩書房)、『ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由』(だいわ文庫)、『京都はこわくない』(大和書房)など。食いしん坊が高じて、2025年夏にカフェ&グローサリーROBYNを京都にオープン。
インスタグラム:@nipeko55










