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読むダイエット 高橋源一郎

第8回 メシ喰うな

更新日:2021/03/17

食べること、やめました

 森美智代さんの本のタイトルは『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』(マキノ出版)である。本のタイトルとして、これほどわかりやすいものはないのではあるまいか。読まなくても、内容がわかってしまいそうだ。
 この本が刊行された2008年、森さんが1日に摂取するものは以下の通りであった。
1・青汁1杯
2・生水と柿茶(柿の葉茶)1~1・5リットル
3・サプリメント(藻から精製した「スピレン」20錠、健胃剤のエビオス20錠、ビタミンC1錠=1000mg)
 ちなみに、1の青汁は、青い葉っぱの野菜を5種類、30グラムずつ、総計150グラム選び、水洗いした上で包丁で切り、ミキサーに入れる。塩を小さじ半分。水200ミリリットルとユズの絞り汁を少々入れ、スイッチオン。ドロドロになったところを漉すための網に入れ、お気に入りの抹茶茶碗に入れ飲むのである。
 以上。このような食生活を13年送っている森さんは、もちろん、たいへん健康なのである。それにしても、13年ねえ……。なんと、森さん、この上、日曜には「1日断食」までされているのだ。いやはや、なんとも。
 しかし、なぜ、こんなことが可能なのか。そして、なぜ、こんなことを始めるようになったのか。

森美智代『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』マキノ出版

 森さんは21歳のとき、運動機能を司る小脳が徐々に萎縮してゆく「脊髄小脳変性症」と診断された。1万人か2万人に一人しかいないといわれる難病だった。そして、治療法はない、と告げられたのである。森さんが読んだ本には、若いときに発症すると「余命は五~一〇年」と書いてあった。その前年、養護教員になったばかりの森さんは、絶望の淵にたたき落とされた。けれども、森さんは挫けなかった。限りある日々を懸命に生きようと思ったのだ。歩行能力が少しずつ奪われてゆく中、森さんは、ある人のことを思い出した。西式健康法の継承者、甲田光雄先生である。
 ちなみに、「西式健康法」は、わたしでも知っている、たいへん有名な、独自の健康療法であった。森さんは高校生の頃、甲田先生の講義を聞いて感銘を受けたことがあった。だから、藁にもすがる思いで、森さんは、甲田医院の門を叩いたのである。
 森さんを診察した甲田先生は「治るよ」とおっしゃった。専門医が見放した森さんを助けることができるのだ、と。
 そして、1986年末から8年3カ月にわたる森さん&甲田先生の「戦い」が始まるのである。
 その「戦い」とは、「玄米生菜食(玄米を含めて生のものだけを食べる)」をつづけながら、間に「断食」をはさんでゆく、というものだった。要するに、「断食」によって、栄養補給を断ち、病を兵糧攻めにすると共に、人間のからだが本来持っている力、たとえば免疫力を高め、最終的に病を駆逐するというものである。病を直接、ミサイル攻撃するのが西洋医学とするなら、漢方は、じわりじわりと人間の側に力をつけていこうとする。だとするなら、この甲田方式も有効なのではないか。そもそも、西洋医学は、森さんの病に白旗を上げてしまったのだから。
 この壮絶な戦いの中で、森さんの症状は一進一退を繰り返す。ときには、病状が進行して、歩くのが難しくなり、またときには、症状が改善したのだ。
 では、どんな具合だったのか。

「ところが、私は一日九〇〇キロカロリーの生菜食を始めてからも、体調が悪くなるどころか、むしろ絶好調になるとともに体重がふえてきたのです。
(87年)六月三十日の退院時に四四kgだった体重は、一ヵ月後の七月三十日に四七kg、二ヵ月後の八月三十日には四九kgになりました」

「十一月になると、体重が五〇kgを突破したので、五日間の本断食を行いました。(中略)この五日間の本断食で、体重は五〇・五kgから四七・五kgにへりましたが、再び生菜食をとり始めると、三週間でもとの五〇・五kgに戻りました」
「その年(翌88年)の九月に、体重が五三kgになったので、昼の玄米粉を抜くことになりました。(中略)一日の摂取エネルギーは、約六五〇キロカロリーです」
「(前略)その後も体重はじわじわとふえ続け、また五〇kgを突破したので、一九八九年の四月末から五月にかけて、九日間のリンゴ断食(水と柿の葉茶のほかに昼夕一個ずつのリンゴを食べる断食法)を行いました。
 その断食で四七kgになった体重は、生菜食に戻すと一週間程度で四九kgまでふえました。そこで、五月十六日からは、夕食の玄米粉も抜くことになりました。(中略)一日の摂取エネルギーは約五〇〇キロカロリー、たんぱく質は約一〇gとなりました。これは、同世代の成人女性の食事摂取基準と比べると、エネルギーはおよそ四分の一、たんぱく質は五分の一に当たります」
「ところが、一九九〇年の終わりごろになって、ちょっと困ったことが起きてきました。昼・夜合わせて一kgの野菜をとっていると、おなかが張って、少し気持ちの悪くなる日が出てきたのです。(中略)
 そこで、おなかが張るのを避けるため、一九九一年の元旦からは、昼食の野菜五〇〇gとハチミツを抜くことにしました。つまり一日一回、夕食に野菜五〇〇g(葉菜二五〇gの青泥+根菜二五〇gのすりおろし)をとるのが、食生活のすべてになったのです。これで、摂取エネルギーは一日約二〇〇キロカロリー、たんぱく質はおよそ五g程度となりました」
「今度こそ、この食事内容で落ち着くかなと思っていたのですが、夏になって、またおなかが張り気味になってきました。そこで、八月からは二五〇gの葉菜から作った青泥のカスを捨てて青汁にして飲み、根菜のほうはニンジン二五〇gのすりおろしを絞ってニンジン汁として飲むことにしました。
 絞ることによってエネルギー量がへるので、合わせて摂取エネルギーは一日約一五〇キロカロリーです。こうして、ついに野菜汁だけの食事になったのです。それでも依然として体重はほとんどへりませんでした」

 ふう。どうだろう。もう、目が点になりそうだ。しかも、こんな生活を送りながら、森さんは、鍼灸学校に通い、卒業し、鍼灸師になり、患者の治療をしていたのである。というか、「余命五~一〇年」の「脊髄小脳変性症」は、いつの間にか消え去っていたのだ。しかし、ここで驚いてはいけません。

「しばらく断食をしていなかったので、自分から甲田先生に希望し、一九九二年の九月二十一日より一三日間の本断食を行いました。ふだん野菜汁だけの食事をとりながら、本断食を行ったらどうなるのか、自分の体ながらちょっと興味があったのです」

 ちょっと興味って……。

「(前略)一三日間、水と柿の葉茶だけで摂取エネルギーゼロの生活でも、まったくしんどいとか疲れるということはなく、いつも通りの生活や鍼灸治療ができました。ただ、さすがに体重は減少して、断食前の四七kgから、断食終了時には四三kgとなりました。
 ところが、断食後、再び野菜汁を飲み始めたら(中略)体重が順調にふえてきたのです」

 どうやら、森さんは、本格的に体質が変ったらしく、僅かの野菜汁だけで、体重は減らないどころか、増えるようになっていったのである。断食→少し体重が減る→断食終了して野菜汁を飲む→体重戻る→体重増える→断食。このようなサイクルの中で、体重が増えるたびに、森さんは、唯一とっている食品である「青汁」の量を減らしていった。そして、最後にたどり着いたのは……。

「それで、一九九六年の初めに、青汁の材料を二五〇gから一五〇gにへらしました。摂取エネルギーは、とうとう一日五〇~六〇キロカロリーになりました。(中略)
 この食生活を、今日にいたるまで続けています。
 一日に、青汁一杯しかとっていないのに、体重は少しずつふえ続け、現在は(本当は内緒にしておきたいのですが)六〇kgです。ダイエットしたいのですが、『これ以上へらしようもないしなあ』と思っているところです」

 一度でいいから、いってみたいと思いませんか。「ダイエットしたいのですが、『これ以上へらしようもないしなあ』」と。

 原稿を書きながら、お腹が空いてきたのは、わたしも初体験だ。いや、おそらく、みなさんはモヤモヤしながら読まれていたのではないかと思う。一日五〇~六〇キロカロリーで生きている、どころか、健康に恵まれて、仕事にも励み、ちょっと体重が増えて困るって、どうなっているのか。信じられない。エネルギー保存の法則に反しているのではないか。いやいや、はっきりいって、ここには途方もない誤魔化しがあるのではないか、と。その点に関して、この本の、というか、森さんのすごいところは、「少食のメカニズムの研究」のために、専門機関に、自分のからだを調べてもらったことだろう。すると、驚くべきことがわかったのである。たとえば、理化学研究所・微生物系統保存施設室長、辨野義己先生の研究によると、森さんの腸内細菌は、人間として特殊で、草食動物に近い。牛のおなかのようなのである。たとえば、食物繊維を分解してアミノ酸を作り出す「クロストリジウム」という菌が、一般の人間の腸の中より百倍近く多い。一般の人たちにとって草から作る青汁は、ダイエットに役立つヘルシーフードなのだが、森さんの場合は、しっかりした栄養源になるのである。ちなみに、こういった細菌は、植物の繊維を分解してエサにしながら、腸内にある「アンモニア」からアミノ酸を作り出す「アンモニア利用細菌」といわれている。要するに、カスを栄養にできる「リサイクル細菌」なのだ。この種の細菌を大量に腸内に持っているのは、森さん以外ではパプアニューギニアの高地人だけだそうだ。

 たくさんの学者たちが、森さんのからだや、森さんの食べるものを調べた。その結果、森さんのからだが、きわめて「省エネ」にできていることがわかったのである。ブドウ糖が不足しているときには、ケトン体という代替物がいつの間にか体内で流通していた。ふつうなら捨てられるアンモニアを再利用しているという驚くべきデータも出た。基礎代謝がふつうの女性の半分近くしかないこともわかった。逆に免疫力は、ふつうの人の4倍もあることもわかった。それでも、そのような恐るべき低カロリー、低栄養では、森さんのからだは、日一日とやせ、なくなっていくはずであったのだ。甲田先生の患者たちを20年にわたって追跡調査してきた大阪教育大学の奥田豊子教授(2008年当時)は、最後に、こういうのだった。

「実際に調査はしていますが、なぜ森さんが、食べなくても体重がへらず、十数年も元気で過ごしているのか、現代栄養学的には説明がつきません。エネルギー出納から見ても、とりわけたんぱく質出納でいうと、本来なら筋肉が衰えていくはずなのに……」

「不食」の彼方に

 さて、こんなふうに、わたしたちは、2冊の「不食」の人たちの本を読んだ。実は、他にも、「不食」の本はたくさんある。ほんとうに、たくさん。

『不食という生き方』(幻冬舎)の著者、秋山佳胤さんは、弁護士で医学博士だが、2008年以降(2016年時点で)、一切の飲食の必要がないそうだ。信じられないだろうが。というか、わたしだって信じられない……。
 そんな人たちの頂点にいるのが、『リヴィング・オン・ライト 改訂新版 あなたもプラーナで生きられる』(ナチュラルスピリット)の著者、ジャスムヒーンさんであろう。彼女は、なんと一切の飲食を廃して、光(プラーナ)だけで生きているのだそうだから……。そういえば、秋山さんも、必要な水分はプラーナからとっている、って書いていたっけ……。
 いけない。ちょっと遠くまで来すぎたのかも。大丈夫、わたしは、プラーナより、カルビ焼き肉派ですから。

「断食」、「減食」、「少食」、「不食」、そこには、健康という晴れやかなイメージとは別の、少々、深刻で重苦しいなにかがつきまとっている。もしかしたら、それは、わたしたちが、「食べる」ことを、あまりにも当然のこととして考えているからなのかもしれない。
 榎木さんや森さんの「不食」には、どこか、心が惹かれるものがある。それは、彼らが、わたしたち人間の中に眠っている能力を目覚めさせようとしているように見えるからだろうか。高いところから落下すると、人生が走馬灯のように思い浮かぶのは、死の危機に瀕したとき、記憶をせきとめていたタガが外れ、脳のその能力を全開させるからだ、という説があるそうだ。いや、確か、細胞は、栄養状態が悪化し飢餓状態になると、いわゆるオートファジー(自食作用)を起こす。そして、細胞内の不用なたんぱく質を分解してアミノ酸を再利用し、生き延びるのである。だとするなら、「不食」のような極限状況に追いこまれたとき、初めて、わたしたちは、生きものとしての全能力を発揮できるようになるのかもしれない。なんか、榎木さんも森さんも、光合成ぐらいしてそうなんだものなあ……。

「不食」に、どんな能力があるのか、もちろん、わたしにはわからない。けれども、ここで注意しておかなければいけないのは、すべての人間にとって有益である、というわけではないことだろう。
 最後に、望まずして、「不食」になった人の日記を紹介しておこう。『新装版 池袋・母子餓死日記 覚え書き(全文)』(公人の友社)である。
 1996年4月、豊島区池袋のアパートで77歳の母親と41歳の息子の二人が餓死した状態で発見された。死後20日以上経過していた。母親はその年の3月までノート10冊分の日記をつけていた。夫の死後、僅かな年金だけで暮らしていた母子が、ついにすべての金を使い果たし無一文になって餓死していった様子が克明に書かれたものである。なぜ、彼らは、社会に救いを求めなかったのか。なにもかも諦めていたからなのか。理由はわからないのである。家賃も新聞代も光熱費も懸命に払いつづけ、ついにはあてるべき食費がなくなったのだ。もちろん、ここに掲げるのは、最後の部分の、ほんの一部である。

『新装版 池袋・母子餓死日記 覚え書き(全文)』公人の友社

「二月二九日(木)(中略)
 今やっと、食べさせて頂いているのも、後、何日もは、ないでせう、毎日、子供も、私も、実になる物やおかず等、食べていませんので、かるいスナック菓子や、せんぺい(原文ママ、以下同)、ビスケット等でこの頃少しパンや、ソバなど頂いていますが、すぐにお腹がすいてしまって、苦しくガマン出来ない状態で、つい、つい、後日の分まで、食べるなど、もう何年もですから、ひもじさは、たまらぬ程です。
 子供と、私は、今後、どうなるのでせうか、心配と、ひもじさで、どうしたらよいか、わかりません、お助け下さい」

「三月一日(金)(中略)
 いよいよ、私共は、最後の月になりました、食事も、後何日かで終りです、後は、どんなにしてゆくのでせうか、毎日、毎日、不安でたまりません、どうぞ、教えて下さい、どうぞ、お助け下さい、お願いたします」

「三月七日(木)(中略)
 いよいよ、子供と、私は、後、二、三日で、食べ物はなくなってしまう。この頃は、早くより、少しずつ食べて、日数を、のばす丈、のばしてきたが、もうこれ以上、少なくしては、今までが、お腹はすき通しで、子供も、私も、苦しい毎日を、すごしてきたが、もう限度以上に、毎日の食事は、ひかえ通しで、子供は、今日までのばしてきたソバ(一つ丈あったそば)に、小さなうすいせんぺい二枚や、小さなお菓子等で、すまさせたが、私も小さなうすいせんぺい二枚と、小さなお菓子を少し丈で、それを、朝少し食べて後で夕食がわりに食べる様に残して、毎日、それ丈で、すましているので、苦しくて、苦しくて、たまらない、
 何一つ、食べ物が、無くなって、しまったら、後どうなるのだろうか、お茶も後少しで買う事が出来ない。私と、子供は、どんな運命を、持っているのだろうか、五十年以上、特別苦しんで来た結果が、食べ物まで、なくなるとは」

「三月八日(金)(中略)
 私共は、もう長い間、まともな食事を、していない上に、子供も、私も、一寸丈のお菓子で、一日を、過ごしているが、無理に、日数をのばしているので、いよ、いよ、明日か、明後日が、私共の食事の終りになる。毎日、毎日、子供も、何かほしい、も少しほしいと言うのを、ガマンさせてはいるが、私自身も、子供より、大分少なく食べているので、その苦しさは、たまらない」

「三月一〇日(日)(中略)
 今日までで、私共の食事は、終りと思っていたところ、子供が、明日から、お茶丈では苦しいからとて、毎日うすいせんぺいを、三枚食べているのに、一枚明日のに残すと言って食べないで、残したが、私は、毎日、一枚のせんぺい丈を、朝と、後からとの二回にわけて食べているので、明日に残す物がない、子供は、毎日、ひもじいのを、じっと、ガマンして、不足も言わないし、気げんも悪くしてないので、大変、助かるが、今後の事が、不安である。(中略)
 後、きれいに、なくなったら、気が狂うのではないかと、思う程、私は、毎日、毎日が、何んでもよい(食べたい)、(食べたい)と、言う気持で、何時も、頭から食べ物の事が、はなれなくて困る、なぜ、こんなになったのだろうか、二〇才の頃は、三年間、ほとんど、私は、食事はしなかったが、ぜんぜん、どうもなかったのに」

 そして、日記は最後の日付となる。

「三月一一日(月)(中略)
 とうとう、今朝までで、私共は、食事が終った。明日からは、何一つ、口にする物がない、少し丈、お茶の残りがあるが、ただ、お茶丈を毎日、のみつづけられるだろうか、
(中略)
 これは(体がふらつくこと、筆者注)、もう一年以上から、取れなくて、困っているが、どうしようもない、私は、今朝、夢の中で(歯が、全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に死人がある知らせと、聞いているので、子供が、先に、死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい、後に残った者が、不幸だから」

 この後には、もう何も書かれてはいなかったのである。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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