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読むダイエット 高橋源一郎

第8回 メシ喰うな

更新日:2021/03/17

「不食」な人びと

 二食もしくは一食半(一食はきちんと食べ、もう一食は、きわめて軽め)がふつうになり、ときには、一食のことさえあると、「食べる」こととの関係が変わってくる。なんというか、「食べる」ことは大切であると考える、と同時に、一種の「負担」とさえ思えてきたのである。ひとことでいうなら「食べる」ことの反対側にある「食べない」ということに、なにか意味があるのではないかと感じるようになってきたのだ。
 この連載の初めに、「少食論」を紹介したのを覚えていらっしゃるだろうか。正直にいって、あのとき、わたしにとって「少食」は、「気持ちはわかるけど自分には無理」なものであった。けれども、時間をかけたダイエットの果てに、いつしか、わたしにとって、「少食」は、「ふつう、そうなるでしょ!」というものにまで変化していたのである。ダイエット恐るべし。
 だが、「少食」には、その先がある。
 いうまでもなく、「不食」である。文字通り「食べない」ことだ。でも、いくらなんでも、「食べない」と、死んじゃうのではありませんか?
 ところが、世の中には、「不食」を実践している人たちが存在するのだ。前回のヴィーガンな人たちにも驚いたが、世の中には、さらに「食」の深奥(というか「正反対」)を目指す人たちがいたのである。

 少し前、俳優の榎木孝明さんが「不食」を実践している、ということで話題になった。 その内容は、『30日間、食べることやめてみました』(マキノ出版)に詳しい。
 榎木さんは、もともと、「食べる」ことに固執しない人だった。若い頃には、インド・チベットを中心に、何十回もアジア各地を旅行した。だいたいはアバウトなトレッキング旅行だった。そんな過酷な旅から一月ほどで戻ると、体重は10キロほど減っていた。それにもかかわらず、日本にいたときより健康体になっていた。そもそも、そのことが、榎木さんの出発点だったのである。役者になってからは役作りのため一気に体重を落とすこともあった。やり方は「不食」である。そのたびに、頭がクリアになるのを榎木さんは感じた。そこに、新しい世界がある、と榎木さんは思ったのだ。
 ちなみに、「不食」について、榎木さんはこう書いている。

「(体調不良で食べられないときなどの、以下筆者注)絶食にも、(ダイエットや健康維持のために、食事の回数を減らす)減食にも、(単に食べる量を少なくする)少食にも、(それらの行き着く果てとしての)断食にも、共通して存在する要素は、本来、とるべき食事をなんらかの事情からがまんするという構造です。断食が最も顕著でしょう。断食には、おなかがすいてつらいのをがまんするという苦行や修行のイメージが伴っています。
 しかし、不食は、苦行でも、修行でもありません。本来、不食は、がまんとは無縁の行為であるべきだと私は考えています。
 私はこれまでの不食の経験から、意識の持ち方一つで、食欲はコントロールできると思っています。実際に不食をすることになり、意識をリセットすると、食欲を感じなくなります。これまで何度も行ってきた短い不食の経験においても、空腹をこらえるのがつらかったという経験をした覚えはありません。
 空腹がつらいという意識こそ、食べないと生きていけないという常識がもたらすものです」

榎木孝明『30日間、食べることやめてみました』マキノ出版

 実は、今回、「不食」を実践している人たちの書いたものを読んで、もっとも驚くのは、「不食」をしていると、空腹はつらくない、という共通の経験なのである。つらいことを我慢するのが修行だとすると、つらくないんだから修行じゃない、というのもまことにごもっともだ。
 広大なダイエットの世界で、無数の「ダイエット戦争戦死者」が出るのは、いうまでもなく、もしかしたらこの世でいちばん強いかもしれない「食欲」に敗れさってゆくからである。なのに、「絶食」より「減食」より「少食」より「断食」よりもつらいはずの「不食」は、つらくない、と榎木さんはおっしゃるのだ。ほんとかいな? 誰だってそう思う。では、拝見させていただこう。榎木孝明の30日間の「不食」日記。これは、医者の立ち会いの下に行われた壮大な実験の記録である。

「(前略)公正を期すために、都内のある病院の一室を借り受けました。そこに寝泊まりし、室内には定点カメラを設置して、24時間撮影している状態にしました。
 さらに、可能な限り、日常もカメラで追ってもらうことにしました(付録のDVDによって、その様子を見ることができます)。
 病院では、定期的に血圧や血糖値などの数値を検査し、データを残すことにしました。不食の結果、体調がくずれたり、検査データが危険域を示したりすれば、ドクターストップがかかることもないとはいえないでしょう。
 もちろん、私は命を危険にさらしてまで不食を続けるつもりはありません。それは本来の不食の目的からもはずれることになります。不食はがまんしてまで行うものではないからです。ドクターストップがかかるなら、当然、不食は中断しなければなりません」

 こんな決心の下、実験が開始される。もちろん、榎木さんは、ただじっとベッドで寝ているのではなく、ふだんのようにドラマを撮影し、地方に仕事に行く。日常生活はまったくそのままで、ただ何も食べないのである。
 ついでにいうと、榎木さんは、ふだんは、グルメレポーターもするし、食べることも大好きなのである。では、一日目から、そのごく一部を紹介していこう。

「不食1日め   体重80・5キロ
(中略)
 昨日、食べたものがまだ胃に残り、体が重たい。早く消化されて胃が軽くなってくれるといい。/おなかまわりに、かなりのぜい肉。それがひときわうっとうしく感じられる」

「不食2日め   体重79・0キロ
 不食に入ったとたん、自分の中のスイッチが切り替わったようだ。これまで一度も空腹感を覚えていない」

「不食3日め   体重78・5キロ
(中略)
 一日中よく歩き、よくしゃべり、午後にはすっかり疲れ果ててしまった。/背中に多少の痛み。空腹感は相変わらずなし。最後に食べたものがしつこく胃に止まっている感覚。これはもはや満腹感と呼ぶべきかもしれない」

「不食5日め   体重77・2キロ
 今朝は昨日の疲れが出たのか、体がだるく、気分も落ち込みぎみ。/しかし、夜、久しぶりに武術のけいこをすると、自分でも驚くほど気力がみなぎり、体もいつも以上に快活に動いた。(中略)空腹感はいまだなし。満腹感が続く」

「不食6日め   体重76・8キロ
(中略)
 昨日のけいこの終わりに500ミリリットルほどの水を飲んだが、今朝目覚めたときも尿意がまったくない。体がすべて水分を吸収したのだろうか」

「不食7日め   体重76・5キロ
(中略)
 今日はコーヒーに角砂糖を1個入れた。起床時、全身がけだるく、とりわけ手足にだるさを感じた。血糖値が下がってきたためだ。(中略)担当医の南淵明宏先生と相談し、糖分としてブドウ糖のかけらを少々とることにした。おかげで、いまはすっかり元気」

「不食10日め   体重75・4キロ
(中略)
 南淵先生と相談のうえ、今日から塩アメをなめ、塩分を少し補給することにした。糖分(ブドウ糖のかけら)と塩分(塩アメ)は、自分の中では体が必要とするなら許容範囲だが、今後、医学的判断にどこまで従うか迷うところだ」

「不食12日め   体重74・4キロ
(中略)
 体がらくなときとしんどいときが、大きな波のように交互に訪れる。私の中に新たな機構が目覚めようとしている葛藤や胎動か。/すべては新しい変化のための過程として受け入れたいと思う。/午前中は不調。しんどくて動く気になれなかった。午後になると、調子がよくなったので、散歩に。今日は日差しが強かったが、光が自分の体に心地よく感じられる。太陽からエネルギーをいただいている感覚だ」

「不食16日め   体重74・1キロ
(中略)
 けっこうタイトなスケジュールでよく歩いた旅だったので、始まるときはどうなることやらと思ったが、ケガもなく無事に3日間のロケが終了し、帰京。/太ももとふくらはぎの筋肉が衰えた感覚は否めないものの、その一方で、坂道のアップダウンでも息の切れない腹式呼吸の大事さに気づかされた」

「不食19日め   体重73・0キロ
(中略)
 まずここ1週間ほど、体重がほぼ一定。体重が思ったほどへらないことを不思議に思いながらも、これは体重がすでに安定期に入りつつある安心材料と解釈すべきなのだろう。/睡眠時間は以前より短くなり、平均すると5時間弱程度。朝の目覚めはスッキリ。短時間睡眠でも眠くならない。睡眠が足りないと、以前なら運転中に眠けに襲われ、路肩に車を止めて休む必要があった。しかし、いまは運転中に睡魔に襲われることがない。/頭の中もクリアになったと感じている。(中略)ひざ痛が軽減しただけでなく、腰痛も改善。長年、朝は腰の痛さで目が覚めていたが、ふと気づくと、腰痛で目覚めることがなくなっていた」

「不食24日め   体重71・9キロ
(中略)
 長年お世話になっている気功師の荒井義雄先生の道場を訪問。/荒井先生によると、第二仙骨に多少の難ありという以外には、肉体的にも精神的にも病んでいるところはないとのこと。食べていないにもかかわらず、健康と精神のレベルがいずれも向上しているといわれた」

「不食30日め   体重70・9キロ
 4時25分起床。/不食30日間をおかげさまで無事に終えた。/ひと月ぶりの食事は、イタリアン。パンプキンスープを口にすると、カボチャの一粒ひとつぶの粒子が口の中で甘く広がっていった」

 どうだったであろうか。榎木さんは、30日間の「不食」の後、こんな感想を抱いたのだそうだ。
……家族といっしょに食事をしながら、榎木さんは、家族と食べる幸せを噛みしめていた。いちばん変ったのは「からだ」というより「考え方」であった。というのも、榎木さんにとって、「不食」は、「常識を疑う」ことに、その源を発していたからである。この世界の最大の常識とは、「食べなければ死んでしまう」なのだから。同時に、榎木さんは、「不食」なんて贅沢だ、という声があることも理解していた。世界には、飢餓に苦しむ人、飢えて死んでゆく人たちもたくさんいることを知っているからだ。そういう意味では、「不食」に挑戦できる自分は、めぐまれているのである。
 そのことを認めたうえで、だが、と榎木さんは考えた。飢えた人たちに、なにができるのか。
「戦争や紛争が多くの飢餓を生んでいるとすれば、その戦争をなくすにはどうすればよいか。そちらを考えることのほうが大事です。
 そうやって突きつめていくと、けっきょく、われわれ人間のエゴが平和を妨げていることがわかります。(中略)どうしても大げさな表現になってしまいますが、人類が滅びないための唯一の方法が、一人ひとりがエゴを捨てることだと思います。(中略)不食とは、いわば意識を拡大するための一つの方便です」

 わかっていただけただろうか。もちろん、榎木さんの考え方は間違っているのかもしれない。ただ、少なくとも、榎木さんは、「不食」という実践から、そんな考え方にたどり着いた。なにかを食べる、とか、食べない、ということは、それを行うその人の問題だけに止まらない、と考えたのである。

 実際、「不食」に、どのような効果があるのかはわからない。ただ、この榎木さんの「不食」実践(実験?)に立ち会った、心臓外科医の南淵明宏さんは、この本の最後に、こう書き残している。
「30日間、人間は(水を飲むだけで)何も食べずに生きていられるか。(中略)
榎木さんの申し出を聞いたとき、私自身はまったく迷うところがありませんでした。
『いいですよ』と即答し、病院の一室を提供して、定期的な検査を行うことを約束しました」
 なぜなら、「水さえ飲んでいれば、人間は30日程度なら何も食べなくても」死なないからだ。では、水さえ飲んでいれば、なぜ人は死なないのか。
 それは、そもそも、人類は誕生して以来およそ600万年間、ずっと飢えていたからだ。飽食するようになったのは、ここ数十年。よくいうように、飢餓状態こそ「ふつう」だったのである。だから、人間のからだは「飢え」に適合するようにできている。それが、「異化(catabolism)」と呼ばれる体内現象で、エネルギーになる食物が入ってこないと、その代わり、体内の物質を燃やして耐えるのである。ちなみに、24時間で体内から分泌される水分は11リットル、唾液は飲まれ、体液は再吸収・回収される。
「水だけではなく、同様に、さまざまの物質が体内で再利用されています。ビタミン・ミラネルは体の中で合成できないので、食品から摂取しなければなりませんが、実際には、どれくらいの期間で体内の必須ビタミンが枯渇するかはわかっていません。おそらく1ヵ月くらいは大丈夫でしょう」
 このように書いて、最後に、南淵さんは「食べなくてはいけない」という思い込みから、逃れてはどうだろう、と提言するのである。

 わたしも長い間、食べることは、習慣だったのだ。一日三食から、一日二食(ときには、一食)に変更しても、なんら体調に変化はない。というか、体調は、前より明らかによくなったばかりか、お腹も、別に空かないのである。だからといって、明日から、「不食」を実験してみよう、というわけではない。もちろん「不食」には、いろいろと問題があり、安易にやってはいけないことも、よく知っている。
 ただ、榎木さんの実践、南淵さんの提言を読み、わたしもいろいろ考えたのだ。
 榎木さんは、最初の10日で、およそ5キロ体重が減った。その後のおよそ5キロ減らすのに、20日かかっている。「飢え」という事態に直面して、体内で変革が進んだように感じるのである。あるいは、長い間眠っていた、飢餓が常態であった頃の人類の記憶、あるいは体内のさまざまな機構が目覚めた、というか。なんだか、特別な感覚が生まれているような気はするのだ。いろいろ、ゴミゴミしたものが詰め込まれていたからだから、そのゴミゴミが撤去され、すっきりした、というか。なんだかちょっと、その感覚はうらやましい。明らかに、榎木さんには、脳が冴え渡った瞬間があったのだ。あるいは、太陽光で光合成しているような感覚さえも。
 というわけで、「不食」にチャレンジした方を、もうひとり紹介したいと思う。
 榎木さんは、30日間、ほぼ水だけで暮らした。しかし、森美智代さんは、「1日青汁1杯だけで元気に13年」暮らしたのである!

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

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