知と創意のエンタテイメント 集英社 学芸編集部

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Nonfiction

読み物

読むダイエット 高橋源一郎

第8回 メシ喰うな

更新日:2021/03/17

 いま、「タカハシ家」では、オートミールが流行っている。
 オートミール、知ってますよね。イメージとしては、グチャッとした洋風おかゆである。海外の映画で、オートミールを食べているシーンを見ては、あれなんか似てるよね、ゲ……に、うう、ちょっと食べるのは無理。そんなふうに思っていた。食べたいなあ、と思ったことなど一度もなかった。
 ところが、である。
 いつの間にか、わが家にオートミールが侵入しはじめたのだ。正確にいうなら、「オートミールの親戚」を、ときどき食べるようになったのである。
 まずは、子どもたちのためであった。子どもたちに食べさせるためにコンビニで買ったのだ。コーンフレーク、そして、ケロッグのチョコフレークを。
 まだ、子どもたちが保育園に通っていた頃、朝は、よく、チョコフレークに牛乳をかけたものですませた。さらに、輪切りにしたバナナがあれば完璧。正直にいって、時間がないので、親がサボるためである。けれども、子どもたちは喜んでくれた。朝から、チョコレートを食べられるのだ。まあ、いいか。わたしも、試しに、食べてみたが、「いや、わたしは……いらない」というしかなかった。
 子どもたちが成長するにつれ、コーンフレークもチョコフレークも食卓から姿を消した。わざわざチョコフレークを食べなくとも、堂々と本物のチョコレートを食べればいいのである。それからしばらくの間、ときどきではあるが、カルビーの「フルグラ」を食べてみたこともある。フルーツグラノーラ、これもコンビニでよく売っている。オーツ麦、ライ麦、玄米等の穀物に、乾燥フルーツが入ったやつだ。酒のつまみっぽいところもあるが、これに牛乳をかけて食べる。が、それも飽きた。
 そして、時が流れた……。
 わたしに、「ダイエット」の時代がやって来た。そして、「オートミール」と出会ったのである。わたしは、「オートミール」と……恋に落ちた……。

 すいません。まあ、「恋に落ちた」という表現が大げさであることは認めるが、「オートミール」を見て、ときめいたのは事実である。いや、これは、ダイエットというプロジェクトが持つ魔法なのかもしれない。
 ダイエットを開始したときにはわからなかったが、やがて、気づいたことがある。それは、ダイエットは「体重を減らすため」にやるものでもなく、「体重を維持するため」にやるものではないということだ。もちろん、ダイエットの結果、体重は減るし、維持することもできる。
 では、ダイエットはなんのために行うのか。「食べること」を通じて、知らなかった世界を知ることができるから、である。そのことによって、「自分」というものが「変わる」からである。
 ダイエットを開始するまで、わたしは、わたしの身体についてほぼ無頓着であった。眠いなあとか、腹減ったなあとか、歯が痛いなあ、というとき、そういえば、身体があったっけ、と気づく程度だったのだ。思えば、50歳になる直前、胃潰瘍で死ぬ寸前になったことがあったが、あのときも、胃からの激しい出血で、タール便を排出し、何日も激しい目まいに襲われていたというのに、「なんとなく具合悪いなあ」としか思わなかったのだ。よく助かったよなあ……。

 というわけで、コンビニに出かけるとき、いまや、無意識でやっているのが、あらゆる食品の「栄養成分表示」を見ることである。いや、以前は、細かくチェックしていたのだが、いまや、バーコードを読みとるように、チラっと見ただけで、ほぼわかってしまうのである(というか、食品ならなんでも見ていたので、だいたい内容が予測できるようになってしまったのだ)。いまでも、「Nisshoku’s」の「オーガニック・ピュア・オートミール」と出会った瞬間は忘れられない。わたしの目に、こんな文字列が飛びこんできたのである。

「有機オーツ麦100%」
「豊富な食物繊維 精白米の約20倍 玄米の約3.5倍」
「食物繊維、鉄分が豊富 ビタミンB1も含んでいます」
「健康的な朝食に、離乳食に、食材として」
「おてがる朝食にオーバーナイトオーツ」
「温めて、とろりホットシリアル」
「お出汁でかんたん和風粥」

 とりわけ、最後の「お出汁でかんたん和風粥」には驚いた。オートミール=洋風、と思いこんでいたわたしはショックを受けた。確かに、お湯の中で柔らかくなってしまえば、米も麦もそんなに変わらない。だいたい味なんかついてないんだし。
 わたしの最初のオートミール体験は、「オーガニック・ピュア・オートミール」の袋の裏に印刷されていたレシピをそのまま実行することであった。オーガニック・ピュア・オートミール30グラム(大さじ5)+お湯180ml+顆粒だし適量、それを木の皿の中で適宜攪拌して、電子レンジで40秒。できあがったものに、梅干しとキムチを若干いれてみた。そして食べた。美味い……これ、何杯でも食べられるんだけど……。
 以来、「オーガニック・ピュア・オートミール」は、わが家のキッチンの必需品になった。とにかく早くできる。味付けフリーなのも、なにを入れてもかまわないのも便利だ。和風・洋風・中華風からインド風、インカ風(?)まで、その瞬間、気に入ったものを投入すればいい。あるいは、残ったスープ、残ったお鍋、残ったなにかの中に、最終兵器として投入する。しかも、低カロリー、高栄養。なにより、感じるのは「軽さ」だった。
 量もそれほど必要ではない。まして、赤ちゃんでも食べられるほど「軽い」。なので、いつ食べても、もたれない。
 さて、ここからが、今回の本題となる。

「オートミール」を常食とするようになってきた頃から、身体に変化を感じるようになってきたのである。
 玄米食やヴィーガンに近い食事をするようになって、当然のことだが、肉食は減っていった。白米はほとんど食べない。ということは、寿司からも遠ざかるわけである。ラーメンは一年に一度か二度。そもそも、ドカンと食べるということがなくなった。カツ丼や天丼など何年も食べてない。そういえば、鰻も食べてないし。胃にもたれそうなものは、自然に食べなくなっていたのである。
 食事の回数が、基本的に二回になったことはすでに書いた通りだ。それでも、なにかの機会に食べ過ぎて、予定体重をオーヴァーするときには、一度に食べる量を減らした。
 そんなことを繰り返しているうちに、一日に一食ということが起こるようになった。もちろん、「今日は一食!」と決断した結果、そうなったのではない。
 気がついたら夜になっていて、しかも、早寝早起きしているものだから、心の中でこう思うようになったのである。
「うーん、食べるのが面倒くさいから、もう寝よう……」
 自分で呟いて、びっくりした。食べるのが面倒くさいから、寝るの? マジで?

 そう、わたしは気づいたのだ。ダイエットは身心の変化を伴う。病気でもないのに、「別に食べなくてもいい」という心境に達したのは、生まれて初めてだったのである。

「不食」な人びと

 二食もしくは一食半(一食はきちんと食べ、もう一食は、きわめて軽め)がふつうになり、ときには、一食のことさえあると、「食べる」こととの関係が変わってくる。なんというか、「食べる」ことは大切であると考える、と同時に、一種の「負担」とさえ思えてきたのである。ひとことでいうなら「食べる」ことの反対側にある「食べない」ということに、なにか意味があるのではないかと感じるようになってきたのだ。
 この連載の初めに、「少食論」を紹介したのを覚えていらっしゃるだろうか。正直にいって、あのとき、わたしにとって「少食」は、「気持ちはわかるけど自分には無理」なものであった。けれども、時間をかけたダイエットの果てに、いつしか、わたしにとって、「少食」は、「ふつう、そうなるでしょ!」というものにまで変化していたのである。ダイエット恐るべし。
 だが、「少食」には、その先がある。
 いうまでもなく、「不食」である。文字通り「食べない」ことだ。でも、いくらなんでも、「食べない」と、死んじゃうのではありませんか?
 ところが、世の中には、「不食」を実践している人たちが存在するのだ。前回のヴィーガンな人たちにも驚いたが、世の中には、さらに「食」の深奥(というか「正反対」)を目指す人たちがいたのである。

 少し前、俳優の榎木孝明さんが「不食」を実践している、ということで話題になった。 その内容は、『30日間、食べることやめてみました』(マキノ出版)に詳しい。
 榎木さんは、もともと、「食べる」ことに固執しない人だった。若い頃には、インド・チベットを中心に、何十回もアジア各地を旅行した。だいたいはアバウトなトレッキング旅行だった。そんな過酷な旅から一月ほどで戻ると、体重は10キロほど減っていた。それにもかかわらず、日本にいたときより健康体になっていた。そもそも、そのことが、榎木さんの出発点だったのである。役者になってからは役作りのため一気に体重を落とすこともあった。やり方は「不食」である。そのたびに、頭がクリアになるのを榎木さんは感じた。そこに、新しい世界がある、と榎木さんは思ったのだ。
 ちなみに、「不食」について、榎木さんはこう書いている。

「(体調不良で食べられないときなどの、以下筆者注)絶食にも、(ダイエットや健康維持のために、食事の回数を減らす)減食にも、(単に食べる量を少なくする)少食にも、(それらの行き着く果てとしての)断食にも、共通して存在する要素は、本来、とるべき食事をなんらかの事情からがまんするという構造です。断食が最も顕著でしょう。断食には、おなかがすいてつらいのをがまんするという苦行や修行のイメージが伴っています。
 しかし、不食は、苦行でも、修行でもありません。本来、不食は、がまんとは無縁の行為であるべきだと私は考えています。
 私はこれまでの不食の経験から、意識の持ち方一つで、食欲はコントロールできると思っています。実際に不食をすることになり、意識をリセットすると、食欲を感じなくなります。これまで何度も行ってきた短い不食の経験においても、空腹をこらえるのがつらかったという経験をした覚えはありません。
 空腹がつらいという意識こそ、食べないと生きていけないという常識がもたらすものです」

榎木孝明『30日間、食べることやめてみました』マキノ出版

 実は、今回、「不食」を実践している人たちの書いたものを読んで、もっとも驚くのは、「不食」をしていると、空腹はつらくない、という共通の経験なのである。つらいことを我慢するのが修行だとすると、つらくないんだから修行じゃない、というのもまことにごもっともだ。
 広大なダイエットの世界で、無数の「ダイエット戦争戦死者」が出るのは、いうまでもなく、もしかしたらこの世でいちばん強いかもしれない「食欲」に敗れさってゆくからである。なのに、「絶食」より「減食」より「少食」より「断食」よりもつらいはずの「不食」は、つらくない、と榎木さんはおっしゃるのだ。ほんとかいな? 誰だってそう思う。では、拝見させていただこう。榎木孝明の30日間の「不食」日記。これは、医者の立ち会いの下に行われた壮大な実験の記録である。

「(前略)公正を期すために、都内のある病院の一室を借り受けました。そこに寝泊まりし、室内には定点カメラを設置して、24時間撮影している状態にしました。
 さらに、可能な限り、日常もカメラで追ってもらうことにしました(付録のDVDによって、その様子を見ることができます)。
 病院では、定期的に血圧や血糖値などの数値を検査し、データを残すことにしました。不食の結果、体調がくずれたり、検査データが危険域を示したりすれば、ドクターストップがかかることもないとはいえないでしょう。
 もちろん、私は命を危険にさらしてまで不食を続けるつもりはありません。それは本来の不食の目的からもはずれることになります。不食はがまんしてまで行うものではないからです。ドクターストップがかかるなら、当然、不食は中断しなければなりません」

 こんな決心の下、実験が開始される。もちろん、榎木さんは、ただじっとベッドで寝ているのではなく、ふだんのようにドラマを撮影し、地方に仕事に行く。日常生活はまったくそのままで、ただ何も食べないのである。
 ついでにいうと、榎木さんは、ふだんは、グルメレポーターもするし、食べることも大好きなのである。では、一日目から、そのごく一部を紹介していこう。

「不食1日め   体重80・5キロ
(中略)
 昨日、食べたものがまだ胃に残り、体が重たい。早く消化されて胃が軽くなってくれるといい。/おなかまわりに、かなりのぜい肉。それがひときわうっとうしく感じられる」

「不食2日め   体重79・0キロ
 不食に入ったとたん、自分の中のスイッチが切り替わったようだ。これまで一度も空腹感を覚えていない」

「不食3日め   体重78・5キロ
(中略)
 一日中よく歩き、よくしゃべり、午後にはすっかり疲れ果ててしまった。/背中に多少の痛み。空腹感は相変わらずなし。最後に食べたものがしつこく胃に止まっている感覚。これはもはや満腹感と呼ぶべきかもしれない」

「不食5日め   体重77・2キロ
 今朝は昨日の疲れが出たのか、体がだるく、気分も落ち込みぎみ。/しかし、夜、久しぶりに武術のけいこをすると、自分でも驚くほど気力がみなぎり、体もいつも以上に快活に動いた。(中略)空腹感はいまだなし。満腹感が続く」

「不食6日め   体重76・8キロ
(中略)
 昨日のけいこの終わりに500ミリリットルほどの水を飲んだが、今朝目覚めたときも尿意がまったくない。体がすべて水分を吸収したのだろうか」

「不食7日め   体重76・5キロ
(中略)
 今日はコーヒーに角砂糖を1個入れた。起床時、全身がけだるく、とりわけ手足にだるさを感じた。血糖値が下がってきたためだ。(中略)担当医の南淵明宏先生と相談し、糖分としてブドウ糖のかけらを少々とることにした。おかげで、いまはすっかり元気」

「不食10日め   体重75・4キロ
(中略)
 南淵先生と相談のうえ、今日から塩アメをなめ、塩分を少し補給することにした。糖分(ブドウ糖のかけら)と塩分(塩アメ)は、自分の中では体が必要とするなら許容範囲だが、今後、医学的判断にどこまで従うか迷うところだ」

「不食12日め   体重74・4キロ
(中略)
 体がらくなときとしんどいときが、大きな波のように交互に訪れる。私の中に新たな機構が目覚めようとしている葛藤や胎動か。/すべては新しい変化のための過程として受け入れたいと思う。/午前中は不調。しんどくて動く気になれなかった。午後になると、調子がよくなったので、散歩に。今日は日差しが強かったが、光が自分の体に心地よく感じられる。太陽からエネルギーをいただいている感覚だ」

「不食16日め   体重74・1キロ
(中略)
 けっこうタイトなスケジュールでよく歩いた旅だったので、始まるときはどうなることやらと思ったが、ケガもなく無事に3日間のロケが終了し、帰京。/太ももとふくらはぎの筋肉が衰えた感覚は否めないものの、その一方で、坂道のアップダウンでも息の切れない腹式呼吸の大事さに気づかされた」

「不食19日め   体重73・0キロ
(中略)
 まずここ1週間ほど、体重がほぼ一定。体重が思ったほどへらないことを不思議に思いながらも、これは体重がすでに安定期に入りつつある安心材料と解釈すべきなのだろう。/睡眠時間は以前より短くなり、平均すると5時間弱程度。朝の目覚めはスッキリ。短時間睡眠でも眠くならない。睡眠が足りないと、以前なら運転中に眠けに襲われ、路肩に車を止めて休む必要があった。しかし、いまは運転中に睡魔に襲われることがない。/頭の中もクリアになったと感じている。(中略)ひざ痛が軽減しただけでなく、腰痛も改善。長年、朝は腰の痛さで目が覚めていたが、ふと気づくと、腰痛で目覚めることがなくなっていた」

「不食24日め   体重71・9キロ
(中略)
 長年お世話になっている気功師の荒井義雄先生の道場を訪問。/荒井先生によると、第二仙骨に多少の難ありという以外には、肉体的にも精神的にも病んでいるところはないとのこと。食べていないにもかかわらず、健康と精神のレベルがいずれも向上しているといわれた」

「不食30日め   体重70・9キロ
 4時25分起床。/不食30日間をおかげさまで無事に終えた。/ひと月ぶりの食事は、イタリアン。パンプキンスープを口にすると、カボチャの一粒ひとつぶの粒子が口の中で甘く広がっていった」

 どうだったであろうか。榎木さんは、30日間の「不食」の後、こんな感想を抱いたのだそうだ。
……家族といっしょに食事をしながら、榎木さんは、家族と食べる幸せを噛みしめていた。いちばん変ったのは「からだ」というより「考え方」であった。というのも、榎木さんにとって、「不食」は、「常識を疑う」ことに、その源を発していたからである。この世界の最大の常識とは、「食べなければ死んでしまう」なのだから。同時に、榎木さんは、「不食」なんて贅沢だ、という声があることも理解していた。世界には、飢餓に苦しむ人、飢えて死んでゆく人たちもたくさんいることを知っているからだ。そういう意味では、「不食」に挑戦できる自分は、めぐまれているのである。
 そのことを認めたうえで、だが、と榎木さんは考えた。飢えた人たちに、なにができるのか。
「戦争や紛争が多くの飢餓を生んでいるとすれば、その戦争をなくすにはどうすればよいか。そちらを考えることのほうが大事です。
 そうやって突きつめていくと、けっきょく、われわれ人間のエゴが平和を妨げていることがわかります。(中略)どうしても大げさな表現になってしまいますが、人類が滅びないための唯一の方法が、一人ひとりがエゴを捨てることだと思います。(中略)不食とは、いわば意識を拡大するための一つの方便です」

 わかっていただけただろうか。もちろん、榎木さんの考え方は間違っているのかもしれない。ただ、少なくとも、榎木さんは、「不食」という実践から、そんな考え方にたどり着いた。なにかを食べる、とか、食べない、ということは、それを行うその人の問題だけに止まらない、と考えたのである。

 実際、「不食」に、どのような効果があるのかはわからない。ただ、この榎木さんの「不食」実践(実験?)に立ち会った、心臓外科医の南淵明宏さんは、この本の最後に、こう書き残している。
「30日間、人間は(水を飲むだけで)何も食べずに生きていられるか。(中略)
榎木さんの申し出を聞いたとき、私自身はまったく迷うところがありませんでした。
『いいですよ』と即答し、病院の一室を提供して、定期的な検査を行うことを約束しました」
 なぜなら、「水さえ飲んでいれば、人間は30日程度なら何も食べなくても」死なないからだ。では、水さえ飲んでいれば、なぜ人は死なないのか。
 それは、そもそも、人類は誕生して以来およそ600万年間、ずっと飢えていたからだ。飽食するようになったのは、ここ数十年。よくいうように、飢餓状態こそ「ふつう」だったのである。だから、人間のからだは「飢え」に適合するようにできている。それが、「異化(catabolism)」と呼ばれる体内現象で、エネルギーになる食物が入ってこないと、その代わり、体内の物質を燃やして耐えるのである。ちなみに、24時間で体内から分泌される水分は11リットル、唾液は飲まれ、体液は再吸収・回収される。
「水だけではなく、同様に、さまざまの物質が体内で再利用されています。ビタミン・ミラネルは体の中で合成できないので、食品から摂取しなければなりませんが、実際には、どれくらいの期間で体内の必須ビタミンが枯渇するかはわかっていません。おそらく1ヵ月くらいは大丈夫でしょう」
 このように書いて、最後に、南淵さんは「食べなくてはいけない」という思い込みから、逃れてはどうだろう、と提言するのである。

 わたしも長い間、食べることは、習慣だったのだ。一日三食から、一日二食(ときには、一食)に変更しても、なんら体調に変化はない。というか、体調は、前より明らかによくなったばかりか、お腹も、別に空かないのである。だからといって、明日から、「不食」を実験してみよう、というわけではない。もちろん「不食」には、いろいろと問題があり、安易にやってはいけないことも、よく知っている。
 ただ、榎木さんの実践、南淵さんの提言を読み、わたしもいろいろ考えたのだ。
 榎木さんは、最初の10日で、およそ5キロ体重が減った。その後のおよそ5キロ減らすのに、20日かかっている。「飢え」という事態に直面して、体内で変革が進んだように感じるのである。あるいは、長い間眠っていた、飢餓が常態であった頃の人類の記憶、あるいは体内のさまざまな機構が目覚めた、というか。なんだか、特別な感覚が生まれているような気はするのだ。いろいろ、ゴミゴミしたものが詰め込まれていたからだから、そのゴミゴミが撤去され、すっきりした、というか。なんだかちょっと、その感覚はうらやましい。明らかに、榎木さんには、脳が冴え渡った瞬間があったのだ。あるいは、太陽光で光合成しているような感覚さえも。
 というわけで、「不食」にチャレンジした方を、もうひとり紹介したいと思う。
 榎木さんは、30日間、ほぼ水だけで暮らした。しかし、森美智代さんは、「1日青汁1杯だけで元気に13年」暮らしたのである!

食べること、やめました

 森美智代さんの本のタイトルは『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』(マキノ出版)である。本のタイトルとして、これほどわかりやすいものはないのではあるまいか。読まなくても、内容がわかってしまいそうだ。
 この本が刊行された2008年、森さんが1日に摂取するものは以下の通りであった。
1・青汁1杯
2・生水と柿茶(柿の葉茶)1~1・5リットル
3・サプリメント(藻から精製した「スピレン」20錠、健胃剤のエビオス20錠、ビタミンC1錠=1000mg)
 ちなみに、1の青汁は、青い葉っぱの野菜を5種類、30グラムずつ、総計150グラム選び、水洗いした上で包丁で切り、ミキサーに入れる。塩を小さじ半分。水200ミリリットルとユズの絞り汁を少々入れ、スイッチオン。ドロドロになったところを漉すための網に入れ、お気に入りの抹茶茶碗に入れ飲むのである。
 以上。このような食生活を13年送っている森さんは、もちろん、たいへん健康なのである。それにしても、13年ねえ……。なんと、森さん、この上、日曜には「1日断食」までされているのだ。いやはや、なんとも。
 しかし、なぜ、こんなことが可能なのか。そして、なぜ、こんなことを始めるようになったのか。

森美智代『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』マキノ出版

 森さんは21歳のとき、運動機能を司る小脳が徐々に萎縮してゆく「脊髄小脳変性症」と診断された。1万人か2万人に一人しかいないといわれる難病だった。そして、治療法はない、と告げられたのである。森さんが読んだ本には、若いときに発症すると「余命は五~一〇年」と書いてあった。その前年、養護教員になったばかりの森さんは、絶望の淵にたたき落とされた。けれども、森さんは挫けなかった。限りある日々を懸命に生きようと思ったのだ。歩行能力が少しずつ奪われてゆく中、森さんは、ある人のことを思い出した。西式健康法の継承者、甲田光雄先生である。
 ちなみに、「西式健康法」は、わたしでも知っている、たいへん有名な、独自の健康療法であった。森さんは高校生の頃、甲田先生の講義を聞いて感銘を受けたことがあった。だから、藁にもすがる思いで、森さんは、甲田医院の門を叩いたのである。
 森さんを診察した甲田先生は「治るよ」とおっしゃった。専門医が見放した森さんを助けることができるのだ、と。
 そして、1986年末から8年3カ月にわたる森さん&甲田先生の「戦い」が始まるのである。
 その「戦い」とは、「玄米生菜食(玄米を含めて生のものだけを食べる)」をつづけながら、間に「断食」をはさんでゆく、というものだった。要するに、「断食」によって、栄養補給を断ち、病を兵糧攻めにすると共に、人間のからだが本来持っている力、たとえば免疫力を高め、最終的に病を駆逐するというものである。病を直接、ミサイル攻撃するのが西洋医学とするなら、漢方は、じわりじわりと人間の側に力をつけていこうとする。だとするなら、この甲田方式も有効なのではないか。そもそも、西洋医学は、森さんの病に白旗を上げてしまったのだから。
 この壮絶な戦いの中で、森さんの症状は一進一退を繰り返す。ときには、病状が進行して、歩くのが難しくなり、またときには、症状が改善したのだ。
 では、どんな具合だったのか。

「ところが、私は一日九〇〇キロカロリーの生菜食を始めてからも、体調が悪くなるどころか、むしろ絶好調になるとともに体重がふえてきたのです。
(87年)六月三十日の退院時に四四kgだった体重は、一ヵ月後の七月三十日に四七kg、二ヵ月後の八月三十日には四九kgになりました」

「十一月になると、体重が五〇kgを突破したので、五日間の本断食を行いました。(中略)この五日間の本断食で、体重は五〇・五kgから四七・五kgにへりましたが、再び生菜食をとり始めると、三週間でもとの五〇・五kgに戻りました」
「その年(翌88年)の九月に、体重が五三kgになったので、昼の玄米粉を抜くことになりました。(中略)一日の摂取エネルギーは、約六五〇キロカロリーです」
「(前略)その後も体重はじわじわとふえ続け、また五〇kgを突破したので、一九八九年の四月末から五月にかけて、九日間のリンゴ断食(水と柿の葉茶のほかに昼夕一個ずつのリンゴを食べる断食法)を行いました。
 その断食で四七kgになった体重は、生菜食に戻すと一週間程度で四九kgまでふえました。そこで、五月十六日からは、夕食の玄米粉も抜くことになりました。(中略)一日の摂取エネルギーは約五〇〇キロカロリー、たんぱく質は約一〇gとなりました。これは、同世代の成人女性の食事摂取基準と比べると、エネルギーはおよそ四分の一、たんぱく質は五分の一に当たります」
「ところが、一九九〇年の終わりごろになって、ちょっと困ったことが起きてきました。昼・夜合わせて一kgの野菜をとっていると、おなかが張って、少し気持ちの悪くなる日が出てきたのです。(中略)
 そこで、おなかが張るのを避けるため、一九九一年の元旦からは、昼食の野菜五〇〇gとハチミツを抜くことにしました。つまり一日一回、夕食に野菜五〇〇g(葉菜二五〇gの青泥+根菜二五〇gのすりおろし)をとるのが、食生活のすべてになったのです。これで、摂取エネルギーは一日約二〇〇キロカロリー、たんぱく質はおよそ五g程度となりました」
「今度こそ、この食事内容で落ち着くかなと思っていたのですが、夏になって、またおなかが張り気味になってきました。そこで、八月からは二五〇gの葉菜から作った青泥のカスを捨てて青汁にして飲み、根菜のほうはニンジン二五〇gのすりおろしを絞ってニンジン汁として飲むことにしました。
 絞ることによってエネルギー量がへるので、合わせて摂取エネルギーは一日約一五〇キロカロリーです。こうして、ついに野菜汁だけの食事になったのです。それでも依然として体重はほとんどへりませんでした」

 ふう。どうだろう。もう、目が点になりそうだ。しかも、こんな生活を送りながら、森さんは、鍼灸学校に通い、卒業し、鍼灸師になり、患者の治療をしていたのである。というか、「余命五~一〇年」の「脊髄小脳変性症」は、いつの間にか消え去っていたのだ。しかし、ここで驚いてはいけません。

「しばらく断食をしていなかったので、自分から甲田先生に希望し、一九九二年の九月二十一日より一三日間の本断食を行いました。ふだん野菜汁だけの食事をとりながら、本断食を行ったらどうなるのか、自分の体ながらちょっと興味があったのです」

 ちょっと興味って……。

「(前略)一三日間、水と柿の葉茶だけで摂取エネルギーゼロの生活でも、まったくしんどいとか疲れるということはなく、いつも通りの生活や鍼灸治療ができました。ただ、さすがに体重は減少して、断食前の四七kgから、断食終了時には四三kgとなりました。
 ところが、断食後、再び野菜汁を飲み始めたら(中略)体重が順調にふえてきたのです」

 どうやら、森さんは、本格的に体質が変ったらしく、僅かの野菜汁だけで、体重は減らないどころか、増えるようになっていったのである。断食→少し体重が減る→断食終了して野菜汁を飲む→体重戻る→体重増える→断食。このようなサイクルの中で、体重が増えるたびに、森さんは、唯一とっている食品である「青汁」の量を減らしていった。そして、最後にたどり着いたのは……。

「それで、一九九六年の初めに、青汁の材料を二五〇gから一五〇gにへらしました。摂取エネルギーは、とうとう一日五〇~六〇キロカロリーになりました。(中略)
 この食生活を、今日にいたるまで続けています。
 一日に、青汁一杯しかとっていないのに、体重は少しずつふえ続け、現在は(本当は内緒にしておきたいのですが)六〇kgです。ダイエットしたいのですが、『これ以上へらしようもないしなあ』と思っているところです」

 一度でいいから、いってみたいと思いませんか。「ダイエットしたいのですが、『これ以上へらしようもないしなあ』」と。

 原稿を書きながら、お腹が空いてきたのは、わたしも初体験だ。いや、おそらく、みなさんはモヤモヤしながら読まれていたのではないかと思う。一日五〇~六〇キロカロリーで生きている、どころか、健康に恵まれて、仕事にも励み、ちょっと体重が増えて困るって、どうなっているのか。信じられない。エネルギー保存の法則に反しているのではないか。いやいや、はっきりいって、ここには途方もない誤魔化しがあるのではないか、と。その点に関して、この本の、というか、森さんのすごいところは、「少食のメカニズムの研究」のために、専門機関に、自分のからだを調べてもらったことだろう。すると、驚くべきことがわかったのである。たとえば、理化学研究所・微生物系統保存施設室長、辨野義己先生の研究によると、森さんの腸内細菌は、人間として特殊で、草食動物に近い。牛のおなかのようなのである。たとえば、食物繊維を分解してアミノ酸を作り出す「クロストリジウム」という菌が、一般の人間の腸の中より百倍近く多い。一般の人たちにとって草から作る青汁は、ダイエットに役立つヘルシーフードなのだが、森さんの場合は、しっかりした栄養源になるのである。ちなみに、こういった細菌は、植物の繊維を分解してエサにしながら、腸内にある「アンモニア」からアミノ酸を作り出す「アンモニア利用細菌」といわれている。要するに、カスを栄養にできる「リサイクル細菌」なのだ。この種の細菌を大量に腸内に持っているのは、森さん以外ではパプアニューギニアの高地人だけだそうだ。

 たくさんの学者たちが、森さんのからだや、森さんの食べるものを調べた。その結果、森さんのからだが、きわめて「省エネ」にできていることがわかったのである。ブドウ糖が不足しているときには、ケトン体という代替物がいつの間にか体内で流通していた。ふつうなら捨てられるアンモニアを再利用しているという驚くべきデータも出た。基礎代謝がふつうの女性の半分近くしかないこともわかった。逆に免疫力は、ふつうの人の4倍もあることもわかった。それでも、そのような恐るべき低カロリー、低栄養では、森さんのからだは、日一日とやせ、なくなっていくはずであったのだ。甲田先生の患者たちを20年にわたって追跡調査してきた大阪教育大学の奥田豊子教授(2008年当時)は、最後に、こういうのだった。

「実際に調査はしていますが、なぜ森さんが、食べなくても体重がへらず、十数年も元気で過ごしているのか、現代栄養学的には説明がつきません。エネルギー出納から見ても、とりわけたんぱく質出納でいうと、本来なら筋肉が衰えていくはずなのに……」

「不食」の彼方に

 さて、こんなふうに、わたしたちは、2冊の「不食」の人たちの本を読んだ。実は、他にも、「不食」の本はたくさんある。ほんとうに、たくさん。

『不食という生き方』(幻冬舎)の著者、秋山佳胤さんは、弁護士で医学博士だが、2008年以降(2016年時点で)、一切の飲食の必要がないそうだ。信じられないだろうが。というか、わたしだって信じられない……。
 そんな人たちの頂点にいるのが、『リヴィング・オン・ライト 改訂新版 あなたもプラーナで生きられる』(ナチュラルスピリット)の著者、ジャスムヒーンさんであろう。彼女は、なんと一切の飲食を廃して、光(プラーナ)だけで生きているのだそうだから……。そういえば、秋山さんも、必要な水分はプラーナからとっている、って書いていたっけ……。
 いけない。ちょっと遠くまで来すぎたのかも。大丈夫、わたしは、プラーナより、カルビ焼き肉派ですから。

「断食」、「減食」、「少食」、「不食」、そこには、健康という晴れやかなイメージとは別の、少々、深刻で重苦しいなにかがつきまとっている。もしかしたら、それは、わたしたちが、「食べる」ことを、あまりにも当然のこととして考えているからなのかもしれない。
 榎木さんや森さんの「不食」には、どこか、心が惹かれるものがある。それは、彼らが、わたしたち人間の中に眠っている能力を目覚めさせようとしているように見えるからだろうか。高いところから落下すると、人生が走馬灯のように思い浮かぶのは、死の危機に瀕したとき、記憶をせきとめていたタガが外れ、脳のその能力を全開させるからだ、という説があるそうだ。いや、確か、細胞は、栄養状態が悪化し飢餓状態になると、いわゆるオートファジー(自食作用)を起こす。そして、細胞内の不用なたんぱく質を分解してアミノ酸を再利用し、生き延びるのである。だとするなら、「不食」のような極限状況に追いこまれたとき、初めて、わたしたちは、生きものとしての全能力を発揮できるようになるのかもしれない。なんか、榎木さんも森さんも、光合成ぐらいしてそうなんだものなあ……。

「不食」に、どんな能力があるのか、もちろん、わたしにはわからない。けれども、ここで注意しておかなければいけないのは、すべての人間にとって有益である、というわけではないことだろう。
 最後に、望まずして、「不食」になった人の日記を紹介しておこう。『新装版 池袋・母子餓死日記 覚え書き(全文)』(公人の友社)である。
 1996年4月、豊島区池袋のアパートで77歳の母親と41歳の息子の二人が餓死した状態で発見された。死後20日以上経過していた。母親はその年の3月までノート10冊分の日記をつけていた。夫の死後、僅かな年金だけで暮らしていた母子が、ついにすべての金を使い果たし無一文になって餓死していった様子が克明に書かれたものである。なぜ、彼らは、社会に救いを求めなかったのか。なにもかも諦めていたからなのか。理由はわからないのである。家賃も新聞代も光熱費も懸命に払いつづけ、ついにはあてるべき食費がなくなったのだ。もちろん、ここに掲げるのは、最後の部分の、ほんの一部である。

『新装版 池袋・母子餓死日記 覚え書き(全文)』公人の友社

「二月二九日(木)(中略)
 今やっと、食べさせて頂いているのも、後、何日もは、ないでせう、毎日、子供も、私も、実になる物やおかず等、食べていませんので、かるいスナック菓子や、せんぺい(原文ママ、以下同)、ビスケット等でこの頃少しパンや、ソバなど頂いていますが、すぐにお腹がすいてしまって、苦しくガマン出来ない状態で、つい、つい、後日の分まで、食べるなど、もう何年もですから、ひもじさは、たまらぬ程です。
 子供と、私は、今後、どうなるのでせうか、心配と、ひもじさで、どうしたらよいか、わかりません、お助け下さい」

「三月一日(金)(中略)
 いよいよ、私共は、最後の月になりました、食事も、後何日かで終りです、後は、どんなにしてゆくのでせうか、毎日、毎日、不安でたまりません、どうぞ、教えて下さい、どうぞ、お助け下さい、お願いたします」

「三月七日(木)(中略)
 いよいよ、子供と、私は、後、二、三日で、食べ物はなくなってしまう。この頃は、早くより、少しずつ食べて、日数を、のばす丈、のばしてきたが、もうこれ以上、少なくしては、今までが、お腹はすき通しで、子供も、私も、苦しい毎日を、すごしてきたが、もう限度以上に、毎日の食事は、ひかえ通しで、子供は、今日までのばしてきたソバ(一つ丈あったそば)に、小さなうすいせんぺい二枚や、小さなお菓子等で、すまさせたが、私も小さなうすいせんぺい二枚と、小さなお菓子を少し丈で、それを、朝少し食べて後で夕食がわりに食べる様に残して、毎日、それ丈で、すましているので、苦しくて、苦しくて、たまらない、
 何一つ、食べ物が、無くなって、しまったら、後どうなるのだろうか、お茶も後少しで買う事が出来ない。私と、子供は、どんな運命を、持っているのだろうか、五十年以上、特別苦しんで来た結果が、食べ物まで、なくなるとは」

「三月八日(金)(中略)
 私共は、もう長い間、まともな食事を、していない上に、子供も、私も、一寸丈のお菓子で、一日を、過ごしているが、無理に、日数をのばしているので、いよ、いよ、明日か、明後日が、私共の食事の終りになる。毎日、毎日、子供も、何かほしい、も少しほしいと言うのを、ガマンさせてはいるが、私自身も、子供より、大分少なく食べているので、その苦しさは、たまらない」

「三月一〇日(日)(中略)
 今日までで、私共の食事は、終りと思っていたところ、子供が、明日から、お茶丈では苦しいからとて、毎日うすいせんぺいを、三枚食べているのに、一枚明日のに残すと言って食べないで、残したが、私は、毎日、一枚のせんぺい丈を、朝と、後からとの二回にわけて食べているので、明日に残す物がない、子供は、毎日、ひもじいのを、じっと、ガマンして、不足も言わないし、気げんも悪くしてないので、大変、助かるが、今後の事が、不安である。(中略)
 後、きれいに、なくなったら、気が狂うのではないかと、思う程、私は、毎日、毎日が、何んでもよい(食べたい)、(食べたい)と、言う気持で、何時も、頭から食べ物の事が、はなれなくて困る、なぜ、こんなになったのだろうか、二〇才の頃は、三年間、ほとんど、私は、食事はしなかったが、ぜんぜん、どうもなかったのに」

 そして、日記は最後の日付となる。

「三月一一日(月)(中略)
 とうとう、今朝までで、私共は、食事が終った。明日からは、何一つ、口にする物がない、少し丈、お茶の残りがあるが、ただ、お茶丈を毎日、のみつづけられるだろうか、
(中略)
 これは(体がふらつくこと、筆者注)、もう一年以上から、取れなくて、困っているが、どうしようもない、私は、今朝、夢の中で(歯が、全部ぬけた夢)を見ているが、これは身内に死人がある知らせと、聞いているので、子供が、先に、死ぬのではないかと、心配である。一緒に、死なせて頂きたい、後に残った者が、不幸だから」

 この後には、もう何も書かれてはいなかったのである。

撮影/中野義樹

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』など、多数ある。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

令和2年7月豪雨被災お見舞い

このたび令和2年7月豪雨により各地で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。また、被災地等におきまして、避難生活や復興支援など様々な活動に 全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く謝意と敬意を表します。一日も早く 復旧 がなされますよう衷心よりお祈り申し上げます。

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