いのちノオト 軽井沢発。屋根のない病院から届けよう―― 稲葉俊郎

第4回

あたらしい「場」を創造しよう

更新日:2022/12/07

今月の音

 ――合気とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。
 『武産合気(たけむすあいき)――合気道開祖 植芝盛平先生口述』
 (高橋英雄編著/白光真宏会出版本部)

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半ズボンと「場違いな自分」

 わたしは子どもの頃から、どこに行っても「場違い」だと感じていました。なんだか心地悪い、早くこの場から立ち去りたい、自分はこの場にふさわしくないのではないか、もっと違う服装で来るべきではなかったか、などといった「場違い」な感覚に、今でもときどき襲われます。
 小学生の頃、全員が冬でも半ズボンをはいて登校しないといけないという強制的な規則がありました。わたしはなぜ冬なのに半ズボンをはかないといけないのか意味がよく分からず、しかもなぜ先生たちは長ズボンなのに子どもだけが半ズボンを強制されるのか、そこに不条理さを感じていました。
 体育の時間も同じでした。寒風吹き荒れる中、先生たちは長そで長ズボンのジャージを着ているのに、子どもだけが半そで半ズボンを強制される現実に、わたしはひとりで抵抗していました。長ズボンの方がカッコいいと思っていましたし、寒い冬に長ズボンをはくのは生活の知恵として当然のことだと思っていました。長ズボンをはいていたのはわたしだけでしたが、その時にも「場違い」の感覚に襲われていました。子どもながらに、わたしの感覚が当然であると強く信じていたのに、なぜか学校という場では「長ズボン」は「場違い」になるのです。

 子どもなりに考えました。「そもそも、この場違いな感覚はどこからやってくるのだろう」と。つまり、わたしは同時に「場違い」と感じる源となる、見えざる「場の力」に対して興味を持ったのです。
 一つには、誰かが作った「場の規則」から生み出される力です。例えばこうです。先生の中の一部が「冬も半そで半ズボンで子どもたちが元気に走り回っている光景こそが、子どもらしい風景だ。子どもたちは冬も半そで半ズボンであるべきだ」と思い始め、そのイメージを他の先生たちと共有します。中にはそう思わない先生もいることでしょう。ですが、先生たちの間で作られている「場の力」により、半ズボン派と長ズボン派(生徒に任せる派)の考えは、半ズボン派に引っ張られていき、その考えを固定化するために規則(学校の場合は校則)が作られていきます。この場合の規則は、明文化されて文字の呪力により強く固定化される場合もあれば、明文化されない場合もあります。そうして場の中にいつのまにか規則が生まれ、それが「場の力」となり、個人への強い力として働きはじめるのです。

「場の力」は入れ子状に働く

 学校という場に規則やルールが生まれてくる過程の中で、規則を作っている先生たちの場の中にも、すでに見えざる場の力が存在しているのだろうとも感じていました。なぜなら、わたしが長ズボンをはく正当の理由を主張した時にも、「稲葉君の考えはよくわかるんだよ。でも、これはしょうがないことなんだ」と、眉間にしわを寄せて、「わたしもあなたと同じ考えなんだけど、これはどうしようもないことなんだ」と、とにかく自分も無力なんだ、と困った顔でわたしに迫ってくる表情の中に、先生も「先生たちの場の力」の被害者なのだ、というような情報を子どもなりに読み取っていたからです。
 教室の中に生まれる「場の力」、そしてその母体となる学校、先生たちの中にある「場の力」、おそらく先生たちの場の力の上位にも、別の「場の力」があるのだと感じ、こうした入れ子状に「場の力」が覆い尽くしている状態に、子ども心に無力感を感じていたのも事実です。ただ、この見えざる強大な「場の力」に対して、自分なりに取り組んでいく必要があると感じていたことも事実です。なぜなら、万事がこういう調子で、どの場に行っても違和感や摩擦を感じていたからです。「場違い」である感覚を消去することができなかったわたしは、この「場違い」と対峙していく覚悟を持とうとしました。けれどそれもどこか違う気がしたのです。

合気道のように場の力を利用してみる

 そこで発想を変えてみました。「場の力をうまく利用できないものか」と。
 これは、合気道の開祖である植芝盛平(1883-1969)の動画をふとした拍子にテレビで見た時に大きな衝撃を受けたことから思いつきました。映像の中で植芝は、合気道の真髄として「相手のエネルギーを利用して敵と対立しない」という意味合いのことを述べていました。敵なのに対立しないとは、どういうことだろう、とすぐに著作を求めました。
 植芝の口述集にはこうありました。〈――合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の働きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。〉(『武産合気(たけむすあいき)――合気道開祖 植芝盛平先生口述』高橋英雄編著/白光真宏会出版本部)。わたしはこれはつまり、相手の気(エネルギー)を利用することで、分離した対立関係ではなく一つになる道を歩むという意味だと受け取りました。
 相手を敵だと思ってしまうと、敵と戦う、敵を破る、という発想から逃れられなくなります。そこで考えを180度切り替えて、相手を仲間だと思い、和合させる道を選んでみると、全く異なる世界が開けて行くことを感じます。さらに、宇宙とも和合するようにして高く遠い場所に視点を置くことで、より巨視的な視点で現状を客観的に捉えなおすことの重要さも同時に指摘しています。つまり、合気道は、存在する「力」を対立的に捉えて衝突し合って打ち消し合うのではなく、「力」を共に生かし合う関係性を生み出す技と知恵の追求だと感じたのです。
 そのころのわたしは「場の力」の被害者になる一歩手前だったのですが、むしろその強大な力(エネルギー)を利用することはできないものか、と発想を変えるべきだと思い始めていました。
 被害者として人生を送るのではなく、そうした状況を利用し活用し応用するしか「場違い」な自分が生きる術はないだろうと、真剣に考えていたのです。もちろん、発想を変えてもすぐには、この生(なま)の現実は変わりません。小学校、中学校、高校、大学と、「学校という場」の中で、見えざる「場の力」ともがきながら、時には場から逃げ出すようにして学校には行きませんでしたが、そのことも自分なりに「場違い」感覚と格闘した証でした。

病院は「負のスパイラル」から脱出する場所に

 すぐには結果が出なかった考えでしたが、今、大人になってやっと生きてきています。何事も、長期的な考えが必要なのです。短期的に結果が出ないことも、辛抱強く長く悩みもがき続けることで、必ず光明が差し込むと、今ははっきりわかっています。「場の力」を合気道のように利用してはどうか、という考えは、大人になって自分が「場」を作る側に回った時、大いに役に立っています。
 たとえば、医療の場を考えてみましょう。病院に行くと多くの人はあまりいい気持ちになりません。もちろん、体や心のトラブルがあって訪れているのだから、とても嬉しいルンルンとした気持ちで訪れていないのは当然です。ただ、人の心のエネルギーというものは、後ろ向きに、ネガティブに考え込んでいくと、蟻地獄のように渦の力で吸引されていき、負のスパイラルへと突入していきます。そして、そこからは容易に出られなくなるのです。
 けれど、そうした心の世界が出口のない袋小路に入り込んでしまった時、忘れていたポジティブな感情が湧き起こるだけで、自分自身で足を踏み込んだ負のスパイラルから自分自身の力で脱出できることがあります。病院という場も、そうした負のスパイラルから脱出する力を得ることができる場であるべきではないか、と思うのです。場が力を持つなら、それは意識的に活用すべきであり、それこそが病院という場の役割ではないかと思い続けています。
 院長という立場になり、病院という場の主催者となって以来わたしが考え続けていることですが、病院に訪れる患者さんだけではなく、そこで働くスタッフたちが、「場の力」の被害者となるのではなく、「場の力」で生きる活力を得られるような場こそを、創造的に考えていく必要があると思っています。これは、半ズボンか長ズボンかで格闘しながら長ズボンを貫いた子ども時代のわたしからの宿題のようなものだと思っています。

芸術祭という「場」で創造されたこと

 第3回でも少し触れましたが、わたしは2020年と2022年の「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」の芸術監督を拝命しました。多くの人は「芸術祭」という枠で考えると思うのですが、わたしは「芸術」と「祭り」という要素を含んだ「場」の主催者として、どういう「場」を創造できるのか、というより大きな課題として受け取ったのです。
 感染症の時代の中で、暗い空気が地球上を覆っています。世界中の「場」の様相が一変しています。こうした見えざる「場の力」と子どもの頃から格闘を続けてきた自分としては、いま大人となり、何かしら「場」の創造に携われる立場になった以上、よりよい「場」の創造に挑戦する義務があると思っています。先ほども述べましたが、それは子どものわたしから託された切実な課題なのです。山形ビエンナーレという芸術祭も、新しい場の創造として位置づけることができないかと思い、そうしたメッセージを何度も発しました。

 山形ビエンナーレ2022は2022年9月に全プログラムを終了しましたが、こうした新しい場の創造への思いが、すべてのプログラムの細部に入り込んでいると思います。
 プログラムは山形市内の複数の建物を会場としてあちこちで開催されました。
「Q1(やまがたクリエイティブシティセンター)」という、小学校の旧校舎を再生して生まれた新しい場では、「いのちの学校」と題したプログラムを実施しました。これは、いのちの循環や再生を主軸にしながら、音楽、料理、ダンスなどと共に「場」の創造を行う挑戦でした。国の重要文化財でもある大正時代の建物を修復した「山形県郷土館(愛称・文翔館)」では今回のビエンナーレの重要な「場」のひとつとして多彩なプログラムが行われました。そのひとつが、「現代山形考〜藻が湖伝説〜」。現代アートと伝統文化財との融合やセッションともいうべき作品が時空を超えていくような素晴らしい展示空間だったのですが、その展示の前提として、文翔館のように建築そのものが文化財に位置付けられている場を展示空間として再生させること自体が、日本のような縦割り行政の中では大きな挑戦だったのです。それも、歴史的な建築物が持つ「場の力」に、現代の芸術が持つ力を吹き込む挑戦でした。

 山形ビエンナーレを主催している東北芸術工科大学には、文化財保存修復学科という素晴らしい学科があります。お寺や仏像を解体して修復することが身近なものとしてあったからこその展示となりました。保存や修復、技術の継承、そうしたプロセスも含めて壮大な美術の展示の一部として表現しました。まさに「いのちをつなぐ」展示をしながら、「場の力」を高めたのです。
 さらに、そうした「場の挑戦」のひとつとして、演劇集団ゲッコーパレードによるゲーテ「ファウスト」の演劇も上演されました。文翔館の館内と屋外を舞台と見立てて、お客さんも演者も、共に動きながら常に舞台が変動して変化していく不思議な演劇空間がつくられました。こうしたことも芸術により「場」を変容させる挑戦の一環です。文翔館館内で開催中の「現代山形考〜藻が湖伝説〜」という展示自体が、メビウスの輪のようにねじれた時間が流れるような非日常空間を作り出した「場」だったのですが、そこに「さらに非日常としての演劇空間が入り込み、入れ子状に何重にも〝見立て〟の構造が入り組み、摩訶不思議な世界に誘われるものでした。

場を共有すると生まれる創造

 同じく、この文翔館という場の挑戦の中で「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」を行いました。「まちのおくゆき」という企画の一環です。タイトルだけを聞くと、「目が見えない人と絵を見るってどういうことだろう」「絵を見て何をつくるんだろう」と思うかもしれません。まさに芸術による「場」の新しい創造と提案の一環でもありました。
 ワークショップの参加者は目が不自由な方と一緒に会場をまわり、展示されている絵や作品を言葉で説明するのです。たとえば、「黄色がメインで、その周囲に緑色が多く使われています」などと色の説明をする人もいますし、「奥に山が見えて、手前に田んぼが見えます」と絵の形や内容を説明する人もいます。「縦が2メートル、横が3メートルのキャンバスです」と、絵の枠組みを説明する人もいます。発言者以外の人たち、その場を共有している人たちも言葉で説明するために、絵の内容をより深く観察するようになりますし、自分が感じていることや、絵という言葉で説明しにくいものをどう言葉で説明すべきなのかと、言葉の組み合わせに関しても真剣に考えるようになるのです。
「そういえば、絵の後ろにも小さい鳥の絵が描かれていますね」「手の指の形はよく見ると特殊な形をしていて、これは仏教での手の指で様々な形を作り、仏さまの心を表す印相(いんそう)を示しているのかもしれませんね」などと、周囲で見ている側も絵の中から普段は気づかなかった色々な情報を発見していきます。そして、そのことをなんとか言葉で周りと共有しようと努めていくのです。もっと適切で端的な表現はないか、と、その場にいる全員が頭の中で適切な言葉を必死で検索して、頭が活性化してイマジネーションが膨らんでいることが、場を共有しているだけで深く伝わってきます。

善意や優しさが還流する場造りへ

 それは言ってみればまるで文化財の修復をしているようものです。絵の全体像を要素に分解していき、あーでもない、こーでもないと、言葉で再構築しながら、場にいる人たちとひとつの作品を作るような気持ちになります。最終的には、ひとつの共通見解へ至ろうと場全体が動き始め、それは場全体で行う修復行為のような創造行為のような場になるのです。
 そこには「共に分かり合おう」という優しい気持ちが強く流れ始めます。その場に身を浸しているだけで、まるで温泉に入っているようなポカポカした優しい気持ちになり、とても心地よい場が生まれるのです。文翔館での文化財修復の展示と、視覚障害の方と作品を分解して修復するような場とが呼応し合う、まさにこうしたことも「場の力」によって起こる相互反応です。
 こうした豊かで優しい場こそが、人間が潜在的に持っている善意や優しさが循環し還流する場ではないだろうかと思います。人間が持つ温かく優しい心こそが、文翔館という場、山形ビエンナーレという芸術祭全体の場を、質の高いものへと変容させる触媒となる。そして、そういう場を共に体験して、次の一歩へと一人一人が足を踏み出すことこそが、わたしたちが山形ビエンナーレという「芸術」+「祭」で行おうとした、新しい場の創造の挑戦です。この不穏な時代の中、場の力を合気道のように利用して、新しい時代を創造するY字路に立っているのではないでしょうか。誰とどちらの道へと足を踏み入れるのかも、わたしたちの選択にゆだねられています。

Photograph by Yuki Inui

著者プロフィール

稲葉 俊郎 (いなば としろう)

1979年熊本生まれ。医師。軽井沢病院院長・総合診療科医長。信州大学社会基盤研究所特任准教授。東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。東北芸術工科大学客員教授(山形ビエンナーレ2020、2022 芸術監督)。2014年東京大学医学系研究科内科学大学院博士課程卒業(医学博士)。東京大学医学部附属病院循環器内科助教を経て、2020年春、軽井沢に移住。未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。『いのちの居場所』など著書多数。
https://www.toshiroinaba.com/

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