読み物
みんなスマホ
更新日:2019/08/28
かつて携帯電話が登場した際、固定電話がひかれていなかった世界の辺境の地に一気に普及するのを目の当たりにして驚いたことがある。二〇〇〇年代前半にチベットの峡谷地帯をおとずれたときに火縄銃で狩りをしていた地元モンパ族の連中が、その七年後におとずれたときには火縄銃を携帯電話にもちかえて、はるか遠方の村人と連絡をとりあっていたのだ。
しかしそれももはや昔日の感がある。今や携帯電話はスマホに姿を変え、地球の奥地にその皺の皺まで普及しようとしている。私が毎年行くグリーンランド最北の村シオラパルクは、一部の頑固者をのぞきほぼ全員スマホ所持、若いイヌイット猟師などは指先ひとつでアラスカやデンマークの犬橇ショップからピピッと通販で必要な道具を購入し、隣村の友人との連絡はフェイスブック等のSNSが主流である。村の売店で扱っているiPhoneの価格は目玉が飛び出るほど高く、どれぐらい高いかといえば、今年春に私が、やっぱり自前でネットに接続できる端末が欲しいなあと購入を検討したときに値段をきいて一気に買う気が失せてしまったぐらい高い。しかしそれほど高価なものでも子供が中学生ぐらいの年頃になると親が誕生日プレゼントとして買い与えるぐらい通信インフラとして必須になっている。
去年訪れたインドネシア・パプア州(ニューギニア島の西側半分。ちなみに東半分がパプアニューギニア)も近い状況になりつつある。写真はオクバペという外国人がおとずれることのほとんどない山奥の村であるが、高床式の家のなかでは暖炉をかこんで子供たちがスマホでゲームの真っ最中である。ただし、この村にはまだ電波がとどいていない。したがって、スマホをもっていても電話機能やインターネットはつかえず、要するにゲーム機としての用途しかない。それにもかかわらずスマホは村人たちにとって言いしれない魅力をもつようである。
実用性、機能性を超えたテクノロジーの魔力を見せつけられた気がした。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。