読み物
海豹の胎児が玩具
更新日:2019/01/23
私が近年活動のベースとするのは世界最北の先住民集落であるグリーンランド・シオラパルクである。人口三十人程度の猟師村で人々は今も犬橇に乗り、海豹(アザラシ)や海象(セイウチ)を狩猟して生活している。
村はグリーンランド最北のチューレと呼ばれる地区にあり、現在、他にカナック、ケケッタ、サヴィシヴィックという集落があるのだが、この地区は周囲を氷河や氷床、海峡等、自然の障碍にかこまれているせいで歴史的に孤立し、十九世紀に西洋の探検家と遭遇するまで、外の世界にはこんな極北に人間が定住しているわけがないと考えられていた地域だった。そのため伝統的な狩猟文化が、シベリアからグリーンランド南部にまたがる広大なイヌイット世界の中でも、まだ濃厚に残っている。
さすがに消費文化と情報革命が世界を席巻した昨今においては子供の誕生日にスマホを贈るなどといった光景が見られるようになったが、それでもしばしばわれわれの常識や世界観では理解できない光景が日常のなかに不意に表出して、ぎょっと目を剥くことがある。たとえば海豹の胎児の扱いなどが、それにあたる。
シーズンになると村の海岸では頻繁に海豹の解体シーンが見られるが、獲物の中には当然雌もいて、子宮の中からまだ毛の生えていない、爪だけが油彩されたように白い、肌のすべすべした赤黒い胎児が摘出されることがある。そして摘出された胎児がどうなるかというと、狩猟者本人の手により海水で丁寧に洗われて厳かに海に還される……わけではなく、子供が持って帰って家の中で玩具にして遊ぶ、などされる。時々、村人の家にふらっと遊びに行くと、子供がうきゃきゃきゃーと猿みたいな嬌声をあげながら洗面所で十五センチほどの海豹の胎児を弄んでいるのを見かけて驚かされるのだが、そのとき親は何をやっているのかというと、子供のその、われわれの近代的モラルから見たらある種不適切きわまりない娯楽を、おほほ、とても元気ねあの子みたいな感じで優しげな眼差しで眺めており、それにまた驚かされる。
海豹の胎児の玩具化。それは死を殊更に崇め奉り、理解不能なものとして自分たちの世界の外側に位置する異界に追放するのではなく、暮らしのなかにある生と同等な現象としておのれの身体的世界に取り込むことを意味しているのではないか。子供の無邪気な遊びに私はふと、自分と彼らの死生観の違いを垣間見、死がすぐ間近にあるところで生きてきた民族のたくましさを感じる。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。