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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

王家の谷

更新日:2017/10/25

 エジプト、ルクソールにある有名な〈王家の谷〉には行ったことはないが、この八月、北海道日高山脈で地図無し登山をしたときに、〈日高版王家の谷〉とでも呼びたくなる印象的な光景に出くわした。
 そのとき私は、雨水に濡れて黒い光沢を放った岩肌のなかを、強い水流に抗いながら、とある谷を上流にむかって登っていた。岩肌は谷の両側をとりかこみ、上部は藪や灌木がうっそうと生い茂った緑の斜面となってせりあがっている。谷の中は豊かな量の水が激しい音を立てて流れ落ち、下流部に呑みこまれていた。入渓して以降、延々と川原歩きがつづいていたので、ようやく沢登りっぽくなってきたなぁと、近づきつつある上流部の渓相を想像しながら谷を遡っていた。これからどんどん谷は狭まり、険しさを増して、滝や淵を連続させて日高山脈の主稜線に突き上げていくはずである。
 ところが、その私の予測は見事に裏切られることになった。こうまで不意に、山の光景が予測外のかたちで展開したのははじめてだったかもしれない。
 狭まり、険しくなりはじめてきたと感じた谷が、左にゆっくりカーブしたかと思うと、突然、目の前が切り裂かれたかのように、ぶわーっと開けて、野球場みたいにだだっ広くて真っ平らな大河原が現われたのだ。
 しかも天気は濃霧。神秘的な雰囲気を醸し出すには絶好のコンディションだった。河原の周辺の山々はぼんやりとした霞に包まれ、まるで異境に彷徨(さまよ)いこんだかのような情景となった。ついさっきまで豊かな水量をもって威圧的に流れていた谷筋は、気付くと二筋の流れに分岐しており、さらさらと癒し系の音を奏でて流れている。そして河原をとりかこむように、右手に一つ、そして前方に一つと、顕著なピラミッド型の小ピークが深く立ちこめる霧を突き破るようにして聳えていた。
 地図を持っていなかっただけに、どんな地形の場所が現われるのかまったく予想できていなかった私は、このピラミッドの聳えたつ広大な河原の出現には、ある種の神々しさをおぼえた。河原では五、六頭のエゾシカが神の使いのように自由気儘にピーピー鳴いて飛び跳ね、分流となった谷の流れに竿を投げ入れると、完璧に入れ食い状態で、ポンポンと小気味よく岩魚(いわな)や虹鱒が釣れ、神の川状態である。あろうことか、河原を少し進むと霧の中から三つ目のピラミッドが現われ、クフ王、カフラー王、メンカウラー王と三大ピラミッドが全部そろってしまったのだった。
 まさに神の棲む地、王家の谷である。三大ピラミッドがあるのはギザであり、ルクソールの王家の谷とは異なるが、雰囲気的にはまったく日高版王家の谷と呼ぶのがふさわしい場所だった。写真を見ても、その感じがまったく伝わらないのが残念でならない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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