読み物
橇
更新日:2017/01/25
犬橇(いぬぞり)にしても人力徒歩にしても極地旅行に橇は欠かせない。最近では頑丈なプラスチック製のボート型の橇をつかう冒険家が増えたが、私は今でも自作したイヌイット式の橇を使用している。プラスチック製の橇は使い勝手はいいが、万が一壊れたらどうしようもない。私が二〇一六年十一月から計画している極夜の探検は四カ月以上もの長丁場を予定しているので、何より頑丈で、かつ最悪壊れたときに応急修理ができる木の自作橇のほうが安心で安全なのだ。
今回使う橇は一五年、グリーンランド最北の村シオラパルクに滞在中に作っておいたものだ。材は日本の知人から送ってもらったブナ材。はじめて橇を作ったときは軽量なヒノキ材を使ったが、最終的には多少重くなるが頑丈で粘り強さがあるブナ材を使うことにした。作り方は、シオラパルクで仲良くなったイヌイットに指導してもらった。イヌイットはカリブーやアザラシの骨や皮で橇や衣服や家屋などなんでも作ってきた民族だけに、今でも大工や電気仕事など技術工作系はなんでもござれだ。橇の滑走面の傾斜角にはじまり、耐衝撃用の補強材の取り付け方や、横桁の縛り方まで徹底的に指導をうけた。
探検の道具を自作することには、実利面以外にも意味がある。それは制作すること、それ自体の意味だ。橇というのは極地探検においては決定的に重要な道具だ。橇が壊れたら私は村に戻ってくることができなくなり、極夜というレスキューがほぼ不可能な環境では死に直結する致命的な事態につながりかねない。そのような超重要道具を自分の力で作ることには、自分の冒険行為の最終的な責任は自分の命によってあがなわれるという決定的な意味が込められている。言いかえると、道具の制作プロセスに積極的に関与することにより、その冒険行為の深みが全体的に増す。自分で道具を制作することでその道具には魂が宿り、自分自身の〈私性〉が道具に乗り移って、私自身がそこに拡張するのだ。同じ旅でも、その拡張感をもつのともたないのでは私自身に与える影響がまったくちがってくる。そのことを、私は橇の制作を通じて学んだような気がする。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。