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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

海氷流出

更新日:2025/07/09

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 モーリサックの旅からもどるころから南から暖気が流れこみ、気温が上昇。数日間ボタ雪がふる5月のような天気がつづいた。気温があがると当然ながら海氷はゆるむ。カーナックからシオラパルクの中間地点にあるインナンミウの岬はアウッカンナ(潮流で氷がうすくなった場所)が広がりすぎて黒い海原と化している。夜中にシオラパルクに帰着したときには風が吹き、沖からうねりも入っていたようだ。翌朝、窓の外を見ると村の前の海氷がずたずたに割れている。われわれが帰着した直後に崩壊したようで、まさに危機一髪だった。
 海氷が割れると犬橇ができない。頭をかかえたが、崩壊した氷は浮氷となってしばらくとどまり、何日かすると浮氷と浮氷とのあいだの海水面から結氷をはじめた。このまま待てばうまいこと結氷するかもしれない、と淡い期待を抱いて見守る。ただ、自然はそうあまくないようだ。今度は数日間北風が吹きつづき、凍りはじめていた浮氷をすべて沖に洗い流してしまったのだ。
 村の前には氷ひとつない完全な海原が現出した。もはや犬橇など夢物語。呆然とする私の顔を見ると村人は「今年は犬橇は終わりだ。来年だよ」とニヤ~っとし、風が弱まるといそいそとウミヤッ(モーターボート)の出航準備をはじめた。
 5年ほど前だったが、2月にやはり村の前の海氷が全部流れたことがある。そのときは風速20メートル以上はあろうかという猛烈な風がしばらくつづいたのが原因だった。今回は異様な暖気、沖で吹いた北風によるうねり、そして大潮という三つの悪条件がそろっての流出だ。
 前回は2月だったので2週間ほどで再結氷したと記憶するが、今回はもうすぐ4月。村の少し先から湾奥にのこった古氷に下りられるので、それがこれ以上流れなければ氷河にとりついて例年どおり北部の旅に出られる。頼むからこれ以上流出しないでくれ、と祈る日々がつづいた。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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