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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

ウーマンナの謎の家

更新日:2025/06/25

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 海象(セイウチ)狩りの翌日は白熊をもとめて南下しながら、ウーマンナの地へむかった。白熊の足跡もなく、途中の海象狩りも不発。狩りはときの運の要素が大きいとはいえ、取材のためにわざわざやってきた竹沢さんもこれでは報われない。ともかく狩りは低調のまま推移し、夜遅くにウーマンナに到着した。
 ウーマンナは20世紀中頃まで極地エスキモーの一大居住地があったところだ。1953年にチューレ米軍基地(2023年にピトゥフィック宇宙軍基地と改名)ができるにおよび住民たちはその地を追われ、現在のカーナックの町のあるところに強制移住させられた。現在は空き家がたちならぶ事実上の廃村だが、そのなかに〝カヨラングアの友達の家〟があり、そこを利用できるという。
 古びた狩猟小屋だと思い込んでいたが、行ってみると暖房設備がととのい、西洋風の内装がなされた、手入れのいきとどいた家である。よくわからないが薪ストーブまである。はっきり言ってグリーンランドでこんなきれいな家のなかに入ったことはない。それだけではなくコーラなどの炭酸飲料やポテトチップス、パンにパスタやオレンジなどの食料品まで備蓄されている。
 海象狩りで大汗をかいた私は炭酸飲料の充実ぶりに目を奪われた。
「これはなんだ?」とコーラ片手に私は訊ねた。
「それは君のものだ」とカヨラングア。
 と言われても、さすがに他人の家。つい最近まで居住していた雰囲気に満ちた、あきらかに現役の住居だ。他人のものに手をつけるのは気が咎める。炭酸飲料に目がない他のメンバーもスマホばかり見て手を出さない。だが、カヨラングアが2本目のファンタを飲み干すと、それを合図に私をふくめたメンバー全員が手をつけはじめて、あれよあれよという間にその夜のうちには飲みつくしてしまった。
 いったいこの僻地にある天国のような家の正体は何か? 私は竹沢さんと意見をかわした。個人の善意でイヌイットにこんな好き勝手させることは考えにくいから、たぶんピトゥフィックの米軍がおこなっている地元民の懐柔策じゃないか、というのが私の意見だった。基地関係者に家を管理させてイヌイットの旅人が来たら無償で提供する。そのための家である。
 だが、家の持ち主ミカーリ(綴りはおそらくMikael)と後日話をする機会があったのだが、実際のところは彼の純粋なる善意であるようだ。ミカーリは基地の除雪の仕事を請け負った南部グリーンランド人で、週末の息抜きの別荘としてこの家を友人二人と購入した。平日は使っていないので、イヌイットだろうが外国人だろうが旅人が来ると無償で使ってもらっているという。
 そのミカーリがカヨラングアと知り合いになったのはわずか数週間前。そのときカヨラングアはカーナックでの指の治療を終えて(というかそれが嫌になって)腕利き猟師のアトールの犬橇(いぬぞり)でモーリサックに帰村し、そのままこのウーマンナの地に足をはこんだ。そのときはじめてこのミカーリの家に宿泊したのだという。その割には「オレはここの管理を委託されている」と言ってカギも預かっているし、お菓子や炭酸飲料を勝手に飲食するし、その厚かましさには目を見張る。
 あとは数年前にドイツの女性が、ここより南部のサビシビックの猟師と一緒に来たことがあっただけで、「君たちもまたここに来たら使っていいよ」とミカーリ。
 謎の家の家主ミカーリは大天使ミカエルの化身のような男であった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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