読み物
鉄砲水
更新日:2023/10/25
今年の夏は北海道増毛(ましけ)山塊で十日間ほど釣り登山をした。
ここ何年かやはり北海道の日高山脈で地図無し登山をつづけていた。広大で原始的な雰囲気がのこる日高はこれまで訪れた日本の山でも一番好きな山域だが、去年地図無し登山が一段落つき、ちょっと日高を離れて別の山域を登ってみようと考えた。その際、真っ先に候補となったのが増毛だ。登山家の服部文祥さんがかつて何年か通いつめていた山域で、日高同様、ワイルドで魚が多いというイメージが強い。
増毛は想像通り野性的な山域で、魚も豊富で釣りも好調だった。だが、天気が悪く、十日間のうち八日間が雨。しかもゲリラ豪雨のような土砂降りが毎日つづいた。入山前は晴天がつづいていたそうで山は乾いていたが、降り続く雨で山のダム機能は満水状態となり、降ったらすぐに増水し、清流が濁流にかわる状態となった。
鉄砲水が出たのは入山六日目か七日目ぐらいのことだった。夕方、行動を終え、岸の少し高いところで野営の準備をしていると、急に雨粒の大きな豪雨となり、五分後、上流から轟音がひびきわたった。「うわ、なんか来る!」という同行者の叫び声で沢のほうを見ると、それまで透き通っていた水の流れに、土石流が津波のようにおしよせ、ドゴゴゴ……という音響と同時に沢の水位はいっぺんに二メートルほど上昇し、爆流と化した。
これまでの三十年ほどの沢登りのキャリアのなかで、嫌になるほど増水は経験してきたが、鉄砲水ははじめてだ。じわじわ水量が増すのではなく、上流から堰を切ったように土石流がおしよせるので、沢にいるときに食らったらひとたまりもない。
「いや~いいもん見せてもらったなあ。勉強になったよ」と軽口をたたいたが、その数日後、今度はそのさらに上流で野営中、深夜に鉄砲水が発生し、寝床に届きそうなほどの濁流がおしよせた。一回の山行で二度の鉄砲水とは尋常ではない。下山するとやはりひどい雨で、山の麓の集落で川の土手が決壊し、洪水が起きていたらしい。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。